第21話 混乱の火種

 幾重にも重なった雷の槍が降り注ぐ。その一つ一つに必殺の力がこめられている。

 襲いくる明確な死の気配。


「ほれほれ、どうした。それでは届かぬぞ」

 その雨の中でも彼女は変わらずに笑顔を振りまいている。

「すげぇ」

 桔梗に促され、距離をとったシィドは素直に感嘆の声をあげる。


 土煙がもうもうと立ち上がる。

 地面は抉られ、景色はいよいよ原型を留めないほどに破壊される。

 それなのに、その中心にいる桔梗はあくまでも優雅に舞っているのだ。


 その手にした扇子がひるがえると、周囲の空間が共に歪む。

 彼女を貫こうとするコーヤーの槍は、そのことごとくが失速して桔梗に届かずに爆散する。見た目は派手にコーヤーが攻めているように見えて、実際はかすり傷さえも負わせていないのだ。


「……ん」

 シィドの研ぎ澄まされた聴力が、爆音に紛れた涼やかな音を聞き取る。

「歌ってる?」

 それが桔梗の声だということをシィドは信じられない思いで聞いていた。あまりにも眼前の光景とかけ離れた、楽しげで穏やかな歌。


 しばらく、そんな状況が続いた後。

「ま、こんなもんじゃろ」

 桔梗はパチンと扇子を閉じた。


 圧倒されていたシィドが、土煙がなくなっていることに気づいて駆け寄ってくる。

「えっ、どうなったんですか」

 シィドの口から思わず飛び出した敬語に含み笑いを浮かべ、桔梗は動きの止まっているコーヤーに近寄っていく。


 彼女が目の前に立っても、コーヤーは微動だにしない。

「とんっとな」

 桔梗が背伸びをして、コーヤーの額を小突く。彼はそのまま後ろにばたんと倒れていった。


「寝起きで無理するからじゃ」

 コーヤーの体をじっと睨む桔梗。

 その目に映っているのは、彼の本質的な部分。コーヤーの体は空っぽで、存在が薄っぺらくなっている。

「いくら光の宝玉の影響で力を扱えるようになっても、燃料がないとな」

 ガス欠をおこして気絶しているコーヤーの襟を、桔梗は片手で無造作に掴んだ。そのまま、首根っこをつかまれて引きずられるコーヤーは猫のようである。

「ほれ、持ってけ」

 それをそのまま、シィドの背中めがけて持ち上げた。


「うおっ、けっこうズッシリしてる」

 その予想外の重さにシィドは唸った。桔梗の所作があまりにも軽やかだったから準備ができていなかったのだ。

「なんじゃ、弱々しいの」

「いや、あんたと比べないでほしい」

 桔梗のじとっとした視線に対し、シィドは苦々しい表情を浮かべ、その首を横に振っていた。



 コーヤーの引き渡しをシィドに任せて、桔梗は領域の中心地に戻った。

 そして、闇の妖精王が居城にしている建物に桔梗はたどり着いた。


 そこはちょっとした騒ぎになっている。牢獄に囚われていた囚人が逃げ出そうとしているところを、門番が体をはって止めたとのことだ。

 すでに門は閉じられ、事態は収束に向かっている。

 なぜ、こんなことになったのか。議論をしている者達を興味なさそうに見つめ、桔梗は足を進めた。


 廊下を、ばたばたと忙しなく走っている者達がいる。彼らが治癒の心得のある者だと気づき、若干興味が湧いた。

 桔梗はとてとてと彼らについていく。


 その先は開けた部屋になっていた。柔らかな素材が敷かれ、簡易的な寝床になっている。

(なんじゃ、この有様は)

 何人もの屈強な者達がそこに横になっていた。寝息が聞こえるから死んではいないようだが、あまりにも静かすぎる。

 ただただ、介抱をしている者達が慌ただしく行き来する足音が聞こえるだけだ。


「ん?」

 桔梗はその中に見知った顔があって、足を止めた。

「こやつは」

 そこに眠っていたのはケールだ。暇そうにしていた彼に茶の湯を教えてのは昨日のことである。


 桔梗はその顔の側に寄って座り込む。じっ、と彼の力の源である額の角を見つめて、あることに気づく。

「どっかに繋がっておる」

 よく見えないが、うっすらと角から力が絞り出されている。


 眠っているかのような被害者。そこから力を奪う所業。

 空っぽになっていたはずのコーヤーに囚人から集めた力を流して、門を破った黒幕の存在。

「ああ、あやつか」

 桔梗には覚えがあった。こんなことをできる者を彼女は一人しか知らない。


「百年じゃぞ。元人間のくせに、なんと執念深い」

 逆に元人間だからか、と桔梗は思いを馳せる。きっと、力を封じるのが中途半端になってしまったのだ。牢獄で、機会をずっと狙っていたのだろう。

 桔梗は、大きく息を吐いた。


 それは、まだ桔梗が地上界にいた頃だ。地上界の、人間が欧州と呼ぶ地域で騒ぎを起こした闇妖精がいる。彼女は己の力を奮って人間達に害をなしていたのだ。

 基本、闇の妖精王は地上界で起こったことなど無関心である。しかし、彼女を見過ごすことはできなかった。あまりにも表立って行動し、人間に存在を知られそうになっていたからだ。

 もし悪事を為すなら、誰にも悟られずが原則である。その頃はまだ、地上界に隠れて生きる闇妖精も多くいたから、存在を公にされるのは困りもの。だから、彼女を捕らえようとした。


 ただ、その能力が特殊で誰も手出しができず、遠く日本から桔梗が派遣された。彼女のことを知っているのは、そういう経緯からである。


 彼女が人間に仇をなした、その動機もよく知っている。


「面倒なことにならねばよいが」


 彼女はおそらく地上界に行ったはずだ。そこで何を企んでいるか、桔梗は予想のつく彼女の行動に頭を痛めた。

 ただでさえ、元人間。擬態をされたら、把握する術がない。


 桔梗は思い出の中に残る人間達の顔を次々に思い浮かべて、最後に会った少年の顔を思い出したところで深く大きな溜息をつくのだった。

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