第18話 未来の景色

 週末が終わり、月曜の朝。

 洋介は珍しく早めに登校し、職員室を訪ねていた。


「市大付属?」

 洋介のクラスをまとめる担任、藤沢は受け取った紙を目にした瞬間に素っ頓狂な声をあげた。

 そして、手元の紙と洋介の表情を交互に見る。


 何かしら考えているようで、洋介は居心地の悪い思いで次の言葉を待っていた。


「本気か、いや、本気なんだな。それは分かるよ」

 藤沢は慎重に言葉を選ぶ。


 例年、進路に悩む生徒は多々いる。しかし、洋介ほど無頓着な者はいなかった。

 あまり真剣に考えていない者でも、適当に名前のある高校を書いてきたりする。洋介のように、そこそこ学力のあるものなら無難に普通科高校を選ぶものだ。

 ただ、洋介はそういう誤魔化しも一切なく、この半年間の希望調査は毎回白紙だった。二者懇談をしても煮えきらず、三者懇談をしても保護者からは「息子に任せていますから」と言われるだけだ。


 そんな彼が、初めて書いてきた高校名。

「やっぱり難しいですか」

「難しいのは分かって書いてきたんだろ、それはいいよ」

 それがトップクラスの人気校なのだから、その真意を藤沢は測りかねていた。


 市大付属は公立では珍しく、卒業式前に入試がある。それが人気校である所以でもあるが、そのために受験者数が非常に多い。

 記念受験組ももちろん存在する。しかし、彼はそういったネームバリューで書いてきた子達とは違う印象があることに藤沢は感づいていた。第二希望、第三希望を見れば、それが分かる。


 第二希望は県立、第三希望は私立。どちらも普通科進学校だ。

 しかも、後者は通知表の点数よりも当日の点数を重視する高校ときた。お世辞にも授業態度が良いとは言えない洋介が考えた末に選んだ高校だと、藤沢は理解した。


 だからこそ、だ。

「どうした急に。やりたいことでも見つかったか?」

 大学に進学したいという明確な意思が見えるからこそ、洋介の心変わりが気になっていた。


「ちょっと友達の影響で」

 洋介の頭に、瑠璃色の瞳が思い浮かぶ。



 ライツと出会えたことで、自分自身がはっきりと輪郭をもった感覚を洋介は覚えていた。彼女が存在している、それだけで過去の洋介を今の自分が容認できるのだ。


 同時に、なぜ桔梗達が人間から離れていったのかが気になった。

 それを知るためには人間が辿った歴史を調べたほうがいいだろうか。それとも、地理的に環境が変化したことで住みにくくなったのか。彼女達がまだいたころの痕跡を調べてみるのも面白いかもしれない。

 そういえば平田さんは市大だったっけ、と良美のことを思い出す。優香の家からの帰り道に、自分のしている研究について話してくれた。専門的で分かりづらかったが、充実していることは伝わってくる。


 それならば、市大への内部進学を目指して市大付属の合格を目指してみよう。


 土日を目一杯使って考えた結論がそれだった。

 あまりにも長く思考しているものだから、かまってもらえないライツが横で頬を膨らませていたのだが。



 藤沢の前に立つ洋介の表情は、明らかに柔らかくなっていた。いつも進路のことを追求すると、渋い顔をするのが彼だった。

 それがどうだ、今の顔は。表情に出す子ではないから分かりづらいが、目の輝きが違っている。


 自分では何ともしてやれなかった悔しさを隠しつつ、藤沢は洋介に笑顔を向けた。

「そっか、いい友達をもったな」

「はい」

 驚くほど、素直な返事が洋介の口から飛び出した。



「まぁ、分かっちゃいたけど大変だなぁ」

 まだ人の少ない廊下を歩きながら、まるで他人事のような呟きとともに、洋介は嘆息した。


 藤沢がにこやかだったのは最初だけだった。

 実力テストの結果を突きつけられて、どれが足りない何が足りないと藤沢は色々と攻め込んできた。洋介の容量を軽く超える情報量で、脳がパンクしそうだった。

「授業、寝ちゃいそう」

 結果、朝一なのに放課後のような疲れを感じてしまっているのである。


 眠気眼。そんな彼の目が、教室の扉を開いたと同時に見開いた。

(あっ)

 息を飲む。


 そこには凛とした姿で、読書に勤しむ優香の姿があった。

 いつもの朝の光景、しかし、いつもとは違うことがあった。


「おはよう、澤田くん」

 普段であれば誰が来ても顔を上げない優香が、洋介が入ってきたことを確認すると彼女から声をかけてきたのだ。


「あ、おはよう」


 洋介の声は語尾が裏返っていた。

 あれだけ心を開いて話した相手だと言うのに、優香に対して洋介は微妙な緊張感をもって対峙していた。


「どうしたの、そんなところに立ち止まって。入ってきたら?」


 反対に、優香の声は朗らかだった。表情の凛々しさはそのままに、平常の刺々しさは彼女の声からは感じ取れない。

 優香に促される形で、洋介は彼女の側まで歩いていった。


 優香が読んでいた本を閉じる。

 それが洋介と会話しようとしている態度だと気付くと、洋介の緊張感はさらに増した。


 あの時、あれだけ話せていたのは優香の様子がおかしかったせいもあるが、洋介自身にも変なスイッチが入っていたのだろう。

 ライツがいないことも影響しているのかもしれない、と洋介は考えていた。


「今日はラ……どうしたの?」


 優香は一旦言いかけた名前を引っ込めて、頭の上を指差すジェスチャーをする。一見、相手の寝癖でも指摘しているような動作だ。しかし、洋介には『頭の上にいつもの子がいないね』という意味で伝わってくる。

 自分達しかしらない、そして見えていないライツの名前を、誰かに聞かれたら面倒だと思っての行動だった。


 そこまで周囲に気を配れるというのに、だ。

(教室に二人しかいない、ってのは気にならないのかな)

 結論、自分の考えすぎだと洋介は思うことにした。


「あいつ、最近一人で行動してるんだよ」


 週末に一緒に動くこともあったが、ライツは基本的に洋介と別行動をしていることが多かった。それは、洋介が自分の未来を考えるのに集中していることも原因なのだが、今日も洋介が気付いた時にはもう家を出た後だったりする。

 洋介の言い方が少し拗ねているような口調だったので、優香の心は微笑ましい気持ちに包まれる。


「信頼しているのよ。どれだけ離れても、澤田くんなら待っていてくれるって」


(待っていてくれる、か)

 優香の言葉で洋介はある事実を思い出した。一度、頭に浮かぶと気になって仕方がない。

 しかし、簡単に聞いてはいけないことだと思い、洋介は口にだすことをためらっていた。


 ただ、優香がまとっている空気が本当に柔らかで。

「あー、あのさ。おじさんの容態って、どう、なのかなって」

 洋介はたどたどしくも、気になっていることを聞くことができた。


「……」

 優香は小さく首を横に振った。しかし、その顔に先日見た悲壮な色は出ていない。

「大丈夫よ、私なら」

 その言葉は強がりではない。彼女は彼女なりに覚悟を決めていた。


 医者は命に別状はないと優香に告げた。

 なら、父が目覚めた時には彼が驚くくらいに前に進んでおいてやろう。背中を追いかけるのでなく、優香は優香の道を歩いていく。

 それが、今の自分にできることだと優香は信じている。


「そっか」

 心配なのは変わりがないが、優香の力強い視線に洋介は安堵の息を吐いた。


「澤田くんはこんなに早くどうしたの?」

 あまり交流はなかったものの、洋介がいつも遅刻ギリギリで教室にやってくることを優香は覚えていた。


「あー、それは」

 その後、しばらく洋介と優香は話を続けていた。

 そこで優香の志望校が自分と同じであることと、彼女がすでに中学の範囲を全て終わらせて高1の内容を勉強していることを洋介は知って驚くことになる。

 家庭の指導方針で公立中に通っているものの、私立中の生徒に負けぬように努力しているそうだ。


 優香の話を笑顔で聞く洋介だが、彼らしくもなく心に焦りが生まれていた。

(う~ん、いけるのかな、僕って)

 強く決意したはずだったが、再び未来図が崩れそうになっている。


 そんなこんなで、洋介の意識が少し遠くに行ってしまっていた間に優香の視線が洋介から外れていた。

 洋介が彼女の視線を追っていくと、教室の入り口に立っていた知也と目があった。彼は洋介が自分に気付いたことを知ると、こっちに来るように手招きしている。


「何か、呼ばれてるから行ってくる」

「そっか。じゃあ、またね」


 またね、と洋介は軽く返すも内心はドキドキしていた。

 単純な言葉ではあるが、次の約束をしたみたいで心地良い。そんな風に浮かれていたからではないが、洋介は制裁を受けることになる。


「滝、何か用……ごふっ!?」

 教室を出た瞬間、衝撃で息が漏れた。知也が腕をラリアットのように勢いよく洋介の首に回し、体ごと巻き取られた。

「おまえ、井上と何かあった?」

「へ、何って」

 耳元で知也の声がするが、痛みで余裕がない洋介は聞き返す。

「とぼけんなって。俺、小学生から一緒だけど、井上のあんな顔見たことないぞ」


「あー」

 洋介の口から間抜けな息が吐かれた。


 ようやく、なぜ知也がそこまで驚いているのか合点がいった。そういえば、教室に入ってくる人はみんな優香の方を見て目を丸くしていたことを洋介は思い出す。

「まぁー、いろいろ?」

「すげぇな、おまえ。勇者だな!」

 知也は勢いよく背中を叩いてくる。正直非常に痛いのだが、悪くはないと洋介は思えている。


 何か全てが良い方向に行く気がする。洋介はそんなことを感じていた。


 そう、この時までは。

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