第15話 その背中を追って
「会社の人から、夜に電話があった。お父さんが倒れたって」
優香は両足をベッドの上に持ち上げ、抱えるようにして座り直した。その姿が洋介には小さく見えたのは気のせいではないだろう。
優香のそれは、落ち込んだ子どもがする仕草によく似ていた。
「病院に駆けつけたんだけど、お父さん、全然目を開けないの。静かに眠っているように見えるのに」
お医者さんも焦ってたなぁ、と呟く優香の声はまた力が無くなってきていた。他にも同様の症状を見せている患者が運ばれていたらしく、走り回る医者からは詳しくは聞けなかったらしい。
そこまでで、一つ洋介の頭の中で言葉がつながった。
昨夜の集団昏睡事件、優香の父はそれに巻き込まれたのだ。今朝の時点で原因不明、とのことだったので昨夜の混乱ぶりは察するに余りある。
「お母さんはお母さんで、話聞いたら卒倒して動けなくなるし。うん、これは連絡の仕方を間違えた私が悪いね。冷静でいたつもりなんだけど、私も相当焦ってたんだなぁ」
洋介は知らないが、優香の母は離れて暮らしている。持病の悪化を軽減するために、空気の綺麗な場所に移り住んでいるのだ。
「それは仕方ないよ。父さんでしょ、心配じゃないか。動揺しないほうがおかしい」
洋介は自身に置き換える。
もし、身内にそんなことがおきたら自分のままでいられるか洋介には自信がない。
優香への労りの言葉であったが、彼女は小さく首を振って否定した。
「ううん、たぶん、私は心配だから動揺してるんじゃない」
優香の、足を抱く腕の力が強くなる。
「昨日は病院に付き添ったんだけど、お父さんの顔を見て私が考えていたことって分かる?」
突然の問に、検討もつかず洋介は黙ったまま優香を見つめた。その瞳があまりにも真剣だったから、優香は思わず笑っていた。
腕の力も少し緩む。このタイミングで優香は再び、ベッドの下に足を下ろした。
「なんで私を置いていくの、よ」
比喩的表現なら、何もおかしくはない言葉だ。しかし、優香自身は自分の頭に浮かんだ言葉が不思議でならなかった。
浮かんだイメージが、妙に具体的だったのだ。そのイメージの出処を、優香はずっと考えてきた。
「どうして、置いていかれるなんて考えたんだろう。そんなこと考えてたら朝になって。学校行くつもりで家に戻ったんだけど、体が思うように動かなくなってね」
そして、学校に連絡して、そのまま眠りについた。そこで夢に見た。起きた時に忘れることのないくらい、はっきりとした映像で。
人混みをかき分けて走る優香と、ようやく見つけた父が全く振り返ってくれない。そんな、フタをしたつもりでも心に刻まれていた幼き日の傷跡が、夢になって現れたのだ。
「ライツちゃんのお母さん、探しに来てくれたかな?」
急に話を振られて、ライツは文字通り飛び上がった。内容を理解できずとも、神妙に話を聞いていたライツは彼女なりに一生懸命優香の質問に答えようとする。
「ライツのママ、きっと地上界に来るのはムリだと思う」
その言葉に、今度は洋介が目を丸くしていた。
確かに母親は忙しいと彼女は言っていた。しかし、こうもはっきりと無理ではないかとライツから言われたのは初めてだ。
「ルーミに聞いたことあるんだ。ママがいなくなっちゃうと、みんなバラバラになっちゃう。だから、家からも出られない」
それはライツにとって、辛い事実であろう。しかし、彼女の表情が暗くなったりしない。
一回、視線を下に向けるライツ。それが、洋介の存在を再確認している行為であることを優香は察した。
「でも、きっとなんとかなるよ。それまでは、ヨースケと待ってるんだ」
早く帰りたい気持ちはある。しかし、ライツにとって洋介達と過ごす時間も悪くないと思っているのも、また事実であった。
そんなライツに、自分と同じ影と、自分は持てなかった輝きを感じて優香は目を細めた。そして、あらためて優香はこう思うのだ。
ライツには洋介がいて良かった、と。
「……もしかして、井上さん。迷子になったことってある?」
洋介の呟きに、優香は眉根を寄せた。その表情に、洋介は恐縮して縮こまる。彼女の視線が洋介を非難するように突き刺さったからだ。
別に怒っているわけでない、と優香は口調を強くして言う。そして、大きく息を吐いた。
「どうして、澤田くんは私が見せようとしていないことに気付くのかな?」
「ご、ごめん」
「だから、怒ってないわ。ちょっとビックリしただけよ」
一度相手の心に踏み込むと決めた洋介は、優香がずっと作り上げてきた壁を一気に突き破ってくる。そんな彼だからこそ、優香は今更取り繕っても無駄だと諦めたのであるが。
(それと、こういう人だから話したくなったのかな。こんな話)
優香は鋭かった視線を緩めると、人差し指をピンと立てた。
「澤田くん、あと気になることがあるなら先に言ってください。私を驚かせたいのなら悪趣味だから止めてね」
そして、先生のような口調で洋介の言葉を引き出そうとしていた。
そんな優香の様子に首をかきながら洋介は口を開く。
「ん~、昨日井上さんが『誰が探しに来るのか?』って言ってたのがずっと気になってて。僕は逆に『親は子どもを探すもの』って思ってて。これも経験からだから、井上さんも何か経験したんじゃないのかなって」
「……澤田くん、お世辞抜きで凄いわね。将来、調査する仕事とか向いてるかも」
良美さんもそんな感じなのよ、と優香は続けた。ここまで図星だと驚愕とか羞恥より、先に感嘆が生まれてしまうことを優香は知った。
「去年、もっと大きくなった遊園地。知ってる?」
洋介は黙って頷いた。自然との共生をテーマにつくられたテーマパークだ。敷地を広げて、今度は海をテーマにしたものを増設したと聞く。
「家族と遊びに行くことはまれで、とても楽しみにしてたし楽しかったんだけど、帰り際にね」
迷子になったのはそのとき、と優香は肩をすくめた。
あの規模の施設で迷子、想像するだけで洋介はぞっとした。自分だったら、二度と会える気がしない。
「じっと待ってた方が良かったのに慣れない人混みでパニックになって、お父さんを探し回ってね。ようやく見つけたんだけど」
そこで言葉を切る。おそらく、その辺りが話の核心なのだろうと息を飲む洋介。頭の上では意味も分からず、ライツが洋介と同じ行動をしていた。
「お父さん、私がいなくなってたことに気付いてなかった。そういえば、迷子になったのも父が電話してて退屈になったからよ。まさか、そこからずっと電話しているとは思わないじゃない」
「それで、どうしたの?」
「電話が終わって、帰るかって言われたから帰ったわ。それだけ」
優香は意識して大したことないように言った。それを洋介は何も言わずに受け取る。ただ、視線は優香から動かない。
その目から「言ってくれるまで待つ」という意思を感じる。驚かせるな、という優香の指示を律儀に守っているのだ。
仕方ない、と優香は嘆息する。
「その時からかな、お父さんの言う通り完璧な人間にならないと、きっとこの人は私を置いていくと思ったのは」
一生懸命走ってきた。父に今度は振り返ってもらえるようにと。それなのに。
「眠っているお父さんに感じたのは心配よりも、怒りかな。こんなに頑張ってるのに、この人は私を置いていくんだって。もう、お父さんが大変なときにそんなこと考える自分も嫌になって、これまでやってきたことの意味が全部分からなくなって、これからどうするのかも分からなくなって……」
たがが外れて、次々と溢れてくる言葉。優香にも止めようがなかった。ただただ、心の奥底に閉じ込めていた感情を吐露していく。
徐々に言葉が無くなって、優香は黙り込む。今更な話ではあるが、羞恥心が顔をのぞかせていた。
「みっともない。何で、こんな話をしているんだろう」
気づけば涙目にすらなっている。
洋介は優香が落ち着くまで待っていた。自分が親に探してもらった出来事を思い出しながら。
「井上さん、ちょっといいかな?」
そして、口を開く。今の自分なら、優香に言葉を届かせれると信じて。
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