第11話 初めての訪問者

 授業が進み、昼を越え、ついには放課後になっても空席となっていた優香の机。

(どうしたんだろう、井上さん)

 洋介は胸騒ぎを覚えた。なぜかは分からない。特に確証はないのだが、洋介の胸中を嫌な予感が埋め尽くしていた。


 井上優香が欠席する、それだけで異質なことだ。それに加えて、洋介にとっては昨日の今日である。

 なにかしら、してはいけないことをしてはいなかっただろうか。洋介は己の行動を省みてみるが心当たりはない。


 唯一あるとすれば……。

(やっぱり、あの表情。なんかあったのかな)

 優香の見せた、うれいを隠した顔。思い出すほどに洋介の心に、さらに深く突き刺さっていく。


「ユーカ、来なかったねぇ」

 物思いにふける洋介の頭上から、ふわりとした声が振ってくる。


 洋介からは見えないが、ライツがつまらなさそうに口をとがらせていた。

 彼女は彼女で、洋介以外に初めて会話ができる人間と会うことができたのだ。優香に話したいことでもあったのだろう、と洋介は思った。


「あ、いたいた。澤田さわだ君」


 教室の外から名前を呼ばれて、洋介はゆっくりと振り返る。そこにいたのは、教師の高嶋たかしまだ。廊下から教室の中をのぞんでいる。英語の教科担任ではあるものの、そこまで密接な関係は洋介にはない。こうやって、授業外で名前を呼ばれることも初めてだ。

 何かしでかしただろうか、と意味も無く不安になってくる。


「はい?」

 洋介は、恐る恐る返事をして立ち上がる。高嶋たかしまが手招きをしてくるので、仕方なく駆け寄っていく。


「これ、井上さんの家まで届けてくれないかしら」

 彼女は洋介に、大きめの封筒を差し出した。何も考えずに受け取ると、手にずっしりとした感触が伝わる。薄く見える見た目よりも、重たいようである。


「井上さんから電話があって。明日、明後日がお休みだから家で仕事したいって、ね。体調悪いのは聞いていたから、休んでいなさいって伝えたんだけど強情でね。澤田さわだ君、お願いできる?」

 高嶋たかしまが言うには、これは生徒会関連の仕事のようだ。


(井上さん、まだ生徒会に関わってたのか)

 洋介はあきれを少し混ぜた感嘆の息をついた。その仕事に対する熱意は尊敬の域にたっしている。


 優香は二年時の後期、三年の前期と連続で生徒会長を務めていた。普通は連続で就く任ではない。

 しかし、第一期の彼女の仕事ぶりがすさまじかった。本来、慣例で決められていて誰も手出しをしなかった案件を解決させたり、そのために教師陣を説得したり、生徒の枠を超えた活動を優香は行った。

 生徒会長の権限は、彼女の活躍で膨れ上がり、結果誰も彼女の後任をやりたがらなかったのだ。


 さすがに三年の後期は固辞した。しかし、離れてみたら離れてみたで、後輩の仕事ぶりを優香は気に食わないらしい。結局、洋介たちが知らない裏で色々と動いているようだ。

(裏って)

 洋介は自身の想像に、思わず口端を緩めた。フィクサー、黒幕。そういったイメージで仰々しい黒スーツに身をまとった優香を思い描いてしまったのだ。


 それにしても、と洋介は思う。優香のためならおつかいをすることもやぶさかではないが、一つ問題があるのだ。


「でも、僕、井上さんの家知らないですよ」

 そう、今回のミッション。洋介は、それをこなす情報を手に入れていない。


 優香の存在を認識はしていたが、彼女とまともに会話したのは昨日が初めてなのだ。偶然、彼女の生活圏内がどこなのかを知る機会はあったものの、細かい住所なんて個人情報は知らない。

 それこそ、知っていたらストーカーだろう。そこまでの執着心は、洋介にはない。


「え?」

 そんな洋介の返事に、高嶋たかしまは疑問の声をあげた。洋介の返答があまりに予想外だったのだ。彼女は目を丸めている。


「じゃあ、何で井上さんは……」

 高嶋たかしまは考える素振りを見せる。しかし、すぐにどうでもよくなったのか、一人納得して首を縦に振った。

「まぁ、いいわ。ちょっと待ってなさい。あなたになら、教えて良さそうだしね」

 何か言いたそうだったが、高嶋たかしまは会話を打ち切って教室を出ていった。


 部屋に取り残された洋介は首をかしげる。

「なんだろーね?」

 彼の頭に座るライツも、傾いた足元と同じ角度で一緒に首をかしげていた。



「そんな感じで井上さんの家まで来たわけなんですよ」

「だれに話してるのー」

 緊張をほぐそうと説明口調になる洋介に、ライツは声を出して笑っていた。憮然ぶぜんとした表情を見せる洋介とは対照的に、ライツはけらけらと、非常に楽しそうである。洋介の不自然さが、ライツには滑稽で仕方ないのだ。


(人の気も知らないで)

 多少ライツの態度に不愉快さを覚えながらも、ライツが楽しいのなら良しとしよう、と洋介は気持ちを切り替えた。


 高嶋たかしまから受け取った地図は正しかった。目的の場所までは、問題なくこられた。

「……むぅ」

 しかし、洋介は眼前の家に圧倒されて声を出せない。ここに来るまで、高級な住宅が並ぶ地区に足を踏み入れた時点で覚悟をしておけば良かったと洋介は思う。


 同級生の家、という固定観念を吹き飛ばす井上邸は洋介の行き先をふさぐ壁のように立ちふさがっていた。

「ははは、大きな直方体」

 変な感想しか出てこない。洋介は次の行動がとれずにいた。


 周囲の景観から浮いている学生服姿の少年はよく目立った。だから、彼の姿は遠目からでもよく分かる。洋介に向けて歩いてきた女性の足音に、彼は気付く様子がない。


「こんにちは」

「ふぁい!?」


 だから、別に驚かせるつもりは彼女にはなかったのだが、洋介は一人で勝手に驚愕きょうがくしていた。びくっと、洋介は体を震わせる。


「ひゃあ!?」


 彼が慌てて振り返るものだから、頭上のライツはバランスを崩す。そのまま洋介の背後に転げ落ちていったが、地面にぶつかる直前で背中から光がこぼれ出た。服の下のはねが輝いたのだ。

「んしょ」

 ライツは体勢を整えて、ふわりと地面に着地をする。洋介に声をかけた女性を、ライツはそこから見上げていた。


 そこには長い髪の女性が立っていた。年齢は二十代前半といったところ。化粧は薄く、服装も女性らしくはあるものの、シンプルで動きやすさを重視している。洋介とは違う意味で高級感のある風景に似合っていなかった。

 彼女の雰囲気が、洋介の緊張を緩和させる。そのせいか、自身の失礼な態度を洋介は恥ずかしく思えるほどには余裕が出てきた。


「ごめんなさい、決して怪しいものでは」

 洋介が弁解しようとすると、女性はゆっくりと首を横に振った。


「大丈夫、あなたは澤田さわだ……洋介君だよね」

 名前を知られていることに動揺しながら、洋介は軽くうなづく。


「よかった。間違ってたら、どうしようかと思った」


 女性は安堵あんどの息をつく。


 学生服だから優香の同級生だろうと、彼女は予想をした。それでも、知らない男の子に話しかけるのは勇気が必要だったのだ。彼女は胸をろしている。


「はじめまして。あなたのことは優香さんから聞いてるわ」

 彼女は、自然な仕草で洋介に手を差し伸べる。


「私は優香さんの家庭教師……だったんだけど、今は色々やってるかな。とにかく、優香さんの家でアルバイトをしている平田良美って言います。よろしくね」


 にこやかに、穏やかかに微笑ほほえむ良美と恐る恐る手を伸ばす洋介。あと少しで届くところで止まった洋介の手を、彼女は自ら手を伸ばして受け取った。彼の手を握りしめると、縦に力強くぶんぶんと振った。

 思っていたよりも、体育会系なのかもしれない。洋介はそう感じながら、右腕を振り回されていた。


 洋介の腕が痛くなってきたところで、良美は手を離した。そして、そのまま己の家に招待するように洋介を促した。

「さぁ、どうぞ。優香さん、中にいるから入って」

 そんな彼女に、洋介はぎょっと目を丸くする。良美の登場で、家の中の人を呼び出さなくても良いかもしれないと期待していた矢先だった。


「い、いや、これを届けに来ただけですから、平田さんから渡しておいてもらえれば」

 洋介は必死だ。そんな彼の形相に、良美は思わず吹き出した。


「いいのかなー」

 笑みを浮かべつつ、良美が近づいていく。その瞳にからかいの色が宿っていた。

「そんなに言うのなら荷物はもらってもいいけど、それは君の用事じゃないのかな?」


 彼女は洋介のカバンを指さした。厳密に言えば、指を指したのはそこから顔を出している一輪の花だ。


「えっと」

 洋介は言葉に詰まって、花と良美の間を視線が行ったり来たりしている。この花は、優香の欠席理由が病欠だと知って、急遽きゅうきょ洋介が用意した贈り物だ。


 良美の観察眼は素晴らしく、彼の背後に立った時から花の存在に気付いていた。それと、その花に込められた真心も良美は察している。

 これは、自分が受け取るべきではない。良美はそう結論づけた。


 だからこそ、少しだけ怖い顔をして洋介の勇気を奮い立たせる方向に話を変える。

「そういうものは、直接相手に渡しなさい。それに、このまま帰したら私が井上家に怒られます」

 わざと堅い言い回しを選び、良美は再度洋介を促した。


 私が怒られる、というのは迷う洋介には効く一言だ。他の人に迷惑をかける。そういうことであれば断るわけにはいかない。

 それに、優香に会えるのなら会いたいし、優香の家に興味が無い、と言ってしまえばうそになってしまう。


「お邪魔します」

 しぶしぶといった様子で動き出す洋介に、良美は得意げに胸を張っていた。

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