第10話 平凡に見える朝

 カーテンの隙間から、朝日が差し込んでいる。


「おお」

 アラームが鳴る前に時計を止めることができた自分に向けて、洋介は感嘆の声をもらした。


「なんか、スッキリしてるな」


 昨日も夜が遅かったので、念のため目覚まし時計を二つ用意しておいた。連続で徹夜は体がもたない。しかし、どうやらその心配は杞憂きゆうに終わったようだ。

 前日にほとんど寝ていないものだから、寝付きが良かったこともある。

(夢見が良かった気がする)

 しかし、原因はそれだけではないようだ。いつもと同じ睡眠時間でもずいぶん体が休まっている。そもそも、前日寝ていないのに昨日は体力が尽きていた感じもしない。


 ライツと出会ったことで、どこかに抱えていた重荷がなくなったのか。それは洋介には分からない。


 首を動かし、机の上にあるライツに与えた籠(こも)の方を見る。昨夜、ライツは自らこの中へと入っていって丸まって眠っていた。

 気に入ってもらえてなによりだ、と洋介は思う。


「あれ?」

 しかし、そこに少女の姿はなかった。洋介はぐるりと周囲を見渡す。

「あいつ、もしかして出てった?」

 閉めたはずのドアが開いていることで、洋介は全てを察した。今度、開けたら閉めるということをライツに教えてやらなければならないと洋介は思う。


(ああいう風に、ものを動かすところを見せたら他の人も気づいてくれるのかな)

 少し暗い考えが洋介をよぎる。

(本当にやったら、気味悪がられるだけか)

 洋介は首を小さく横に振って、着替えの準備を始めるのであった。


 着替え終わって、二階から一階におりる。

「あら、今日は早いのね」

 洋介の気配に気付いた母がソファーに座ったままで、顔だけをこちらに向けた。


「ご飯用意しようか」

 テレビの音が聞こえる。何かのドラマを見ていたようだ。くつろいでいる母を動かすのが忍びなくて、洋介は立ち上がろうとする彼女を制した。

 いつも母は忙しいのだ。時間があるときくらい、ゆっくりしてほしいと洋介は思う。

 

「いいよ、自分でパン焼くから」

 その言葉に、母は素直に元の姿勢に戻る。母の視線が自分からはずれたことを確認した洋介は、きょろきょろと周囲を見る。

 ライツの姿が見当たらない。はて、本当にどこに行ったのだろうか。


『あんたの拳、なかなか重いな』


(なんだ、今の台詞せりふ

 妙に芝居がかった言葉が耳に残る。いったい母は何を見ているのだろう。気になった洋介は彼女に近寄って後ろから眺めてみた。


 映像の雰囲気からして、ずいぶんと古いドラマ番組だ。独特な髪型をした男が、口についた血を拭っている。

 そういえば、昨日母は仕事帰りに大きな袋を持っていたことを思い出す。色々と借りてきたのだろう、と洋介は推測した。


「ずいぶん古くない、それ」

 正直な感想を口にする。洋介はもちろん知らない。そして、母の年齢から考えても、もっと上の年齢層に向けた作品のように感じた。


「う~ん、こういう暑苦しいの最近ないのよ。どうしても、見たいと思うとこの辺のになるのよねぇ」


 母には年の離れた兄がいて、どちらかといえば趣味が男の子なことは洋介は知っていた。どうやら熱血学園ドラマも興味対象のようだ。


 母の言葉にへぇ、と相槌あいづちを打つ洋介の目にむちゃくちゃに殴り合っているシーンが映る。そして、しばらくして、ぼろぼろになった二人が見つめ合っている。お互いを認めあったのか、夕日を背景にがっつりと握手を交わしていた。


(ここまでコテコテだとおなか一杯になるな)

 確かに暑苦しい、と洋介は思う。自分には理解できない世界だな、とも。


「ん?」


 ただ、その世界に非常に興味を示している存在が、母以外にもう一人この場にいたのだ。


(あいつ、ああいうの好きなんだな)


 母の前、ちゃっかり最前席に座って映像を見つめるライツ。洋介が来たことにも気づかず、ドラマの登場人物に合わせて体を動かしていた。

 背中しか見えないが、おそらく満面の笑みなのだろうと洋介は思う。

(さて、こうなると話が合わないぞ)

 昨日、あれだけ星の話を聞いてもらったのだから今度は聞く側にならないといけない。しかし、どうするべきか。どうすれば、会話がかみ合うのか。


 ライツの意外な趣味を知った洋介は、このあとおそらく興奮して話しかけてくる彼女にどう接するのか苦悩するのであった。



 学校へ向かう洋介。その頭の上には、今日は最初からライツが乗っかっている。


「それでね、こう、バシュボシュッとね」

(なに、その擬音)

 生徒が多くなってきて、洋介がライツに返事をしなくなってからも、ライツの興奮は続いていた。


 教室に入る。

「あれ?」

 一瞬の違和感に立ち止まった。


 それはなんだろう、と周囲を見渡すとすぐに分かる。いつもの光景に、ピースが一つ足りないのだ。

(井上さん、まだ来てないのか。珍しい)

 優香の席、いつもならこの時間に読書しているはずの彼女の姿がないのだ。カバンも見当たらないので、まだ登校していないのだろう。


 あまり気にしないことにして、洋介は自分の席につく。すると、先に席についていた知也ともやが声をかけてくる。

「よぉ、昨日のニュース見た?」

 知也ともやの話題はいつも唐突だ。基本、相手の都合を考えずに話しかけてくる。だからこそ、洋介が会話できる数少ない相手なのだ。

 彼以外だと、洋介との会話はそれこそ唐突に話が終わってしまうことが多い。洋介に自ら積極的に会話をしようとする意志がないから、すぐに話が滞ってしまうのだ。

 半ば無理矢理むりやり、話を続けようとする知也ともやのような人間でなければ話が長く続かない。そういった存在は洋介にとって希有けうである。


 いつもだったら「うん」や「いや」といったイエスノーの返事しかしない洋介。しかし、その導入に驚いた洋介は深く話に入っていく。


「え、滝ってニュースとか見るの」

 はっきり言ってしまえば、知也ともやが世情に興味を示すような人間に洋介は思えない。失礼な物言いにも、知也ともやは気にせず話を続ける。


「集団昏睡こんすいとか、何とか。怖いよな」

「ああ」


 集団昏睡こんすい、その不穏なキーワードですぐにくだんのニュースが思い当たる。

 洋介が自転車でなら何とか行ける距離に大きな駅があるのだが、そこで急に人が倒れたという話だ。おそらくガス漏れだろうという専門家が言っていた。ただ、はっきりとした原因は不明なのだそうだ。

 特に大きなイベントもやっていなかったというので、巻き込まれた人数は少ない。それでも、まるで糸が切れたかのように同時に数人が倒れるものだから、ちょっとした騒ぎになっていた。


「新聞に載ってたね。ずっと眠ったままで目覚めないとか」

「え、澤田さわだ。新聞読むの?」


 失礼な、と洋介は言おうとしたが口を閉じた。スポーツ新聞すら、まともに読もうとしない知也ともやのことだから純粋に驚いているのだろう。

 それに自分はもっと失礼な言い方をしていたのではないか、とようやく洋介は思い至った。


「何か巻き込まれたのに、うちの生徒がいたらしくて。先生が慌ててた」

「え、それって」

 洋介はもしかして、と思い肝を冷やす。しかし、その恐れはすぐに知也ともや払拭ふっしょくした。


「一年の誰かだったけなぁ」


 優香かもしれない、と思っていた洋介は少し安心する。しかし、すぐに安心した自分自身に罪悪感を覚えた。仕方のないことだが、被害者が知っている人と知らない人では事件に対する関心の度合いが変化してしまう。

 まだ、これではだめだと思える洋介には救いがあった。


「うーん」

 知也ともやが洋介をじっと見て、うなっている。

「何?」

 意味の分からない視線で見られていると落ち着かない。洋介は首をかしげた。


 そんな洋介に知也ともやも首をかしげながら言った。

「なぁ、俺って澤田さわだに何かした?」

 その言葉に、洋介の胸が一拍強く高鳴った。


 進路の件でぶつかったことで、洋介は知也ともやに対して若干の負い目を感じている。昨日よりはうまく話せている気がするのだが、知也ともやに気づかれるほど顔に出ていたか。

 洋介は焦りを覚えたが、どうやら知也ともやの懸念は別にあるようだった。


澤田さわだ、さっきから視線合わせないけど。俺の反応見て楽しんでるのか。もしかして、いじめ?」


(ああ、そういうこと)

 合点がいった洋介は苦笑いしながら首を振った。納得がいかない様子だったが、話したいことがなくなった知也ともやは大人しく元の姿勢に戻る。


(いや、だって、気になるって。あれ)


 洋介は、やはりチラチラとある方向を見ていた。


「ははは、ツンツン」

 その視線の先にはライツがいる。彼女が何をやらかすか、洋介は心配でたまらない。


 ライツは、彼女が触れることができる相手を見つけてちょっかいをかけていた。

 彼女を見ることのできるものは洋介以外で優香しか見つかっていない。そして、触れることのできる相手も限られていたのだ。中には素通りしてしまう人もいる。

 飛んでいるライツが人と廊下でぶつかった瞬間、するりとライツがそのまま出てくるのには洋介も驚いた。

 しかし、今現在ライツの遊び相手と化している彼は、飛んでいるライツとぶつかったのだ。そもそもライツの質量が軽いのでお互いに怪我けがは無い。彼も気にする素振りは見せなかった。


 そして、今。ライツは彼の、短くかりそろえられている髪の毛で遊び始めたのだ。

 確か野球部に所属していたはずだ。坊主頭から伸びた髪が逆立っていて、ライツはそれが興味深いらしく、ずっと触っている。


「あれ、何か頭がかゆいよーな」

 彼が頭を触ろうとすると、とっさに避ける。そして、手を下ろすとまた触りに来る。また避ける。その繰り返しを洋介はずっと見ていたのだ。


 それはライツが飽きるまで行われ、ずっと頭を触っていた彼は周囲から怪しい目で見られることとなった。


(すみません、ほんとすみません)

 そんな彼に、洋介は心の底から謝ったのであった。

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