第9話 星に託した想い

 話は少し前にさかのぼる。


「ヨースケ、どこに行ったんだろ」


 昼寝から目覚めて、しばらくは一緒に話していたのだが何かを思い出した様子の洋介は部屋を出て行ってしまった。

 階下に降りていった洋介を見送ってから、ライツは部屋の中をうろついている。手持ち無沙汰だ。洋介の部屋はそこまで広くないので、もう見たいものも見切ってしまった。


 あの本棚にある本は気になっているが、流石さすがに勝手に手を出すと怒られるだろう。ライツだって、他人の所有物に関する注意事項は把握しているのだ。


 ライツの瑠璃色の瞳に、窓ガラスに映る自身が映った。外が暗いため、反射しているのだ。その奥は、朝とは違って真っ暗になっている。


 そういえば、とライツは思い出した。


「空に何かあるのかな?」


 洋介に自分たちが他の妖精族に星妖精と呼ばれているとライツは伝えた。


――星って、星のこと?


 その時、彼はあの窓ガラスを開けて空を指差した。彼が指差す先に、少しだけ見えた。ライツの故郷に咲く花と同じ輝きを持つ、柔らかい光。

 あれをもっと見てみたい。ライツの好奇心がうずいた。


 ライツは窓ガラスの錠に手をかける。朝、ライツは寝ぼけていたがかすかに覚えている。洋介は確か、こうやって窓を開けていたはずだ。

 その逆をしてみれば、開くだろう。

 

「んしょ」


 見よう見まね、試行錯誤。ライツは小さな体を駆使して、窓を開けた。開いた窓から、冷えた風が部屋の中に吹き込んでくる。

 通り雨が降った後で雲が出ていた昨日の夜は、ほんの少ししか見えなかった。

「わぁ」

 今日は違う。空の闇には、懐かしい輝きがそこら中に広がっていた。うれしくなって、外に飛び出す。しかし。


「なんか、イヤな感じ」


 ライツはすぐに空中で立ち止まった。洋介の家から離れると、途端に忘れかけていた不安感が増す。

 少し離れては、戻って、離れては戻って。ふらふらと空中をさまよう。

「ここならだいじょーぶ!」

 結果、屋根の上に座ることにした。少し冷たいが問題は無い。あらためて、そこからライツは星空を眺めることにした。


「ヨースケは言ってた星って、あれのことかな?」


 今宵こよいは空気が澄んでいる。夜空には、無数の輝きが散らばっていた。

 ライツたちは他の妖精族から星妖精と呼ばれ、洋介はあの光を星と呼ぶ。そして、その星々からは懐かしさを感じる。

 少なくとも、何かしら自分たちと関係のある灯火ともしびなのだろうとライツは感じ取った。


 ふと、ライツの胸にざわざわと冷たい波が起こる。不安だ。妖精族のことを考えたから、同時に母たちのことも思い出してしまったようだ。

 しかし、そんな不安も一瞬の間に過ぎ去っていった。洋介が近づいてくるのを感じたからだ。


「ラ~♪」


 気分が高揚したライツは、ルーミがよく歌ってくれた歌を真似まねしてみる。音程は拙く、ルーミの美しい歌声とはまるで違う。それは、ライツだって自覚している。

 しかし、上手うまい下手は問題ではないのだ。ライツはただ声を出すことが楽しかった。夢中になっていた。


 そんなことをしているものだから、近くで物音がしてもライツは気づかない。


「ラ、ライツ。そこにいるの?」


(ヨースケだ!)

 ライツの表情がさらに明るくなる。しかし、すぐに不思議そうな顔に変わった。聞こえてくる洋介の声は苦しげでか細い。

 どうしたのだろう。気になって、ライツは声のした方へと飛んでいった。


「何してるの?」

 そこには屋根につかまったまま、動けなくなっている洋介がいた。体が宙吊ちゅうづりになっている。


「う、うん。何、してるんだろうね」

 洋介は自分でもよくわかっていない。窓から屋根の上に登ろうなど、自分の力では無理なことは分かっていた。しかし、ライツの歌声があまりに楽しそうだったのも後押しして、深く考えずに行動してしまった。

 結果、身動きがとれずに固まってしまっている。ちなみに、腕は曲がらない。伸びっぱなしで洋介の体重を支えている。自分を持ち上げる力など、最早もはやその腕には残っていない。


 手を離して降りるにしても、それは落ちると同意だ。すぐ下に一階の屋根があるから大丈夫ではある。しかし、こんなやんちゃな行動に慣れていない洋介にとって、それも恐怖だ。


「アイスクリーム、用意したからさ。食べようか、一緒に」

 かなり苦しいが、それでも笑顔を見せながら洋介はライツに言う。ライツはにこやかにうなづいて、先に部屋の中へ戻っていった。


「いいよな、飛べるって」

 洋介は心の底から羨望せんぼうの声を漏らした。

(さて、落ちるしかないな)

 洋介は覚悟を決めて、その手を離す。そのまま地面まで転げ落ちないことを祈って。



「ところで、ライツ。君こそ、何してたの?」


 幸運なことに洋介怪我けがなく、音もそれほどなく、部屋に戻ることができた。

「何って、歌ってたんだよ」

 ライツはアイスクリームを食べるのを中断して、洋介に答える。しかし、彼女はそれだけ言って、すぐに目の前のカップに視線を戻した。

 ライツは自分の体の半分はあるプラスチックのスプーンを操っている。カップからアイスクリームをすくっては、次々と小さな口に運んでいた。

 時折、足でカップを抑えているのは、そうしないとスプーンを差した時に推す力でカップが動いてしまうからだ。彼女は全身を使って、アイスクリームに立ち向かっている。


 器用なものだ、と洋介は素直に感心する。

「僕が言いたいのは、何でおまえは屋根の上にいたのか、だよ」

 そういえば、と洋介はライツに話しかけながら思い出す。幼い頃に小さくなって好物をおなかいっぱいに食べる夢を見たことがある。

 彼女の顔がほころぶのを見て、そんな幼子の夢を思い描いた。


「星見てたの」

「星?」


 ライツの答えが気になって、洋介はあらためて窓の方を見た。今日はよく晴れている。星も、いつもよりよく見えるような気がした。


「うん。ライツの好きな花にそっくりなんだよ」

「花?」

 昨日、彼女が話題にした中に青白く発光する花があった。さぞ、美しいのだろうと洋介は想像していた。

 その輝きは星に似ているものだという。そんな花が咲き乱れている。何て心躍る景色なのだろうと、洋介はうらやんだ。


(まてよ。星と同じ色の花ってことは)

 あの星に似た花もあるのだろうか。洋介はライツに聞いてみることにした。


「ライツ。その花ってさ、赤いのもあるかな?」

「赤?」

 ライツは首をかしげている。その様子から、洋介は赤い花が少なくともライツの記憶にはないことを悟った。

 少しだけ残念な思いを抱きつつ、洋介は話を続ける。


「星にはさ、赤く光ってるのもいるんだよ。アンタレスっていうんだけど」

「そうなの? どこに?」

 ライツは再び、窓の外を気にしだした。思ったよりも食いつかれた洋介は、「う~ん」とうなってから立ち上がる。


 今は季節的に見えないはずだ。洋介は本棚を物色する。最近読んでいなかったからどこに置いたか忘れていた。

「あ、これだ」

 しかし、無事に見つけることができた。洋介は、大きめの本を持ってライツの側へと戻っていく。


「ほら、これ。こいつが、アンタレス」

 洋介が持ってきたのは、昔好きだった星座の話が書かれた本だ。


 洋介が開いたページにはサソリ座が描かれている。その中心に赤く光る星、それがアンタレスだ。

 赤い星、その奇妙さから洋介はその存在を妙に覚えている。実際は、年老いた星らしいが、それはそれで洋介は重みを感じて好きな話である。


「うへぇ」


 ライツは苦い顔をして、目をそらす。隣のリアルなサソリのイラストがライツは気に入らなかったようだ。


「サソリ、嫌い?」

「知らないけど、キライ」


 知らない。それはそうだ。洋介だって、まともに生きたサソリを見た記憶は無い。しかし、ライツが嫌がっているのは確かだ。仕方がないので、洋介は別のページを開く。


 いて座、みずがめ座、オリオン座。そこには、星座の元となった物語も書かれていた。昔、プラネタリウムで語られたその物語を聞いて、思ったことを洋介はライツに告げる。


「昔の人は、こんな感じで星をつなげて夜空に絵を描いてたんだ。神様とか、英雄とか、時には怪物とか。そんな風に、夜空の星に色々な思いをのっけたんだ」


 「そうそう流れ星ってのもあるぞ」と、洋介は語りだしたら止まらない。最近、口から出していなかった関心。

 それを、興味深そうに聞いてくれる存在がうれしくて洋介は饒舌じょうぜつになっている。


 しかし、聞いているライツは実際ほとんど理解していなかった。持っている知識もそうだが、育ってきた文化が違うから、大半はイメージすらできない。

 その隔たりが、二人にはある。それでも、今は共にいる。それだけは確かである。


「ふふふふふ」


 洋介がライツの見たことのない笑顔で話すものだから、ライツもニコニコと笑っている。その態度が心地良いから、洋介もどんどんページをめくっていく。

 こうして、二日目の夜も夜更かししてしまった洋介たちなのであった。

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