第8話 鎧をまとった心

「それで、本題なんだけど……」

 

 そこまで言い切って、洋介は違和感を抱いて口を閉じた。どうも、独り言を話しているように感じる。

「あの、井上さん」

 その懸念は事実であった。実際に、こうやって説明を止めても、それに対する優香の反応は返ってこない。


 どうやら、優香が真面目に聞いていたのは最初だけだったらしい。今、優香の注意は完全に洋介と彼女の間をふわりふわりと行ったり来たりしているライツに注がれている。

 ライツが動く度に、その瞳がくりっと動くのだから分かりやすい。これはダメだな、と洋介は真面目に話をするのを諦めた。


「はぁ」

 しばらく洋介が観察をしていると、優香が感嘆の息を吐くのが聞こえた。


 優香だって、最初から洋介の話を無視していたわけではない。己の中にある疑念や、疑惑、そういった自分だけでは対処しきれない問題を解決するために洋介をただす気満々だった。


 しかし、そんな思いも、光の粒子を残して飛び回るライツを見ていたら吹っ飛んだ。彼女の、優香からしてみればあやふやな存在に対して湧き出る様々な感情。そんなものよりも強い衝動が、彼女を支配していた。

 それは『可愛かわいい』という感想。今の優香の心にあるものは、ただ、それだけだ。


(キラキラさせちゃって)

 いつもとは優香の目の輝きが違う、と洋介は思う。


 どちらかと言えば、こちらの方が本当の優香に近いのかもしれないとさえ、洋介は思う。今までの彼女の表情や態度に対して抱いていた、どこか無理をしているのではないかという疑問が一気に氷解していく気分になった。


(そうだよ、こういう感じなんだよ)


 洋介は、目の前の優香を見て、首を縦に振っている。

 この、魅力的な姿。彼女を冷たいと酷評している者達(たち)に見せてあげたいとも思うし、自分だけ知っていればいいとも思う。そんな複雑な気持ちで洋介は彼女を見つめていた。


「ね、ねぇ」

 思考に意識をとられていた洋介は突然話しかけられて、目をパチパチとさせた。そんな彼の不審な態度に気づかないほどに優香は浮き足立っている。


 急に説明を中断した事への非難をされるか。そう身構えた洋介だったが、どうやら様子が違っている。

 そわそわと、落ち着かない優香は上目遣いで洋介に問うた。


「この子、抱っこしてもいい?」


(抱っこって)

 そのかわいらしい台詞セリフに、思わず表情が緩みそうになったが洋介は何とか踏みとどまる。


「……それは本人に聞いて。人形じゃないんだから」

 無理に力を込めたせいで、苦笑いになってしまった。きつい言い回しになっていないか洋介は心配だったが、優香は気にしていないようである。


 優香が視線をライツに戻す。


「わぁい!」


 ライツは両手を広げ、ニコニコして彼女の方へ飛び込んだ。とっさに優香は彼女を胸で抱きしめる。


 洋介は、柔らかそうな音が幻聴として聞こえてきた気がする。

「いいなぁ……」

 反射的に、羨望せんぼうの声が漏れる。


「えっ?」

「あ、いや、べつに何も」

 

 本人的には、心のつぶやきであった声に反応されて洋介はうろたえる。しかし、やはり優香は彼の挙動不審な行動に気づかない。年齢相応、いや少し幼いくらいの少女のように無邪気な様子で、優香はライツと戯れている。

 振り回されている格好のライツであるが、こちらも満面の笑みで優香に付き合っていた。


 そんな様子に、昼間のライツの不機嫌さを思い出し、洋介は安堵あんどした。

(楽しそうだな。よかった)


 それからしばらく。

 二人の世界を作り出してしまった優香とライツ。蚊帳かやの外に置かれた洋介は彼女達(たち)がもう一度、この場には彼がいることを思い出すまで、その様子を眺めていることしかできなかった。

 しかし、彼にとって退屈な時間でなかったということは付け加えておこう。


 そうして、しばらくはしゃいでいた優香であったが、洋介の観察するような視線に気づいてぎょっと目を見開く。

 すると、ライツを静かに離して、洋介たちから顔をそらした。


「不覚だ……なんで私は……こんなの失態よ」


 なにやら、優香はぶつぶつと何事かつぶいている。洋介には「不覚」だの「失態」だの「精進」だの、優香が自らをいましめる声が聞こえてくる。彼女が何を悔やんでいるのか、何となく察したうえで洋介は、別に気にしなくてもいいのに、と思う。


(本当、私は何をしてるのよ。一人で舞い上がって。澤田さわだくんにも見られて)


 我に返った優香に、急に羞恥が襲いかかってきた。ぞわぞわと、落ち着かない心。その対応に優香は苦慮しているのであった。

 しかし、それも時間にしてみれば一瞬のこと。すぐに、優香は冷静さを取り戻す。


「ごめんなさい。私のせいで、ずいぶんと遅くなってしまったわね」

 そして、普段のような冷たい口調でびる彼女を洋介は少し残念に思うのであった。


 優香が落ち着いた頃合いを見計らい、洋介は考えていたことを口に出す。


「それで、井上さんにお願いがあるんだけど」

「私に?」

 優香は洋介に向き直る。


(ん?)


 優香と視線がかみ合わないことに洋介は引っかかりを覚える。若干ではあるが、洋介の目よりも優香の視線は上に向けられている。


 しかし、その視線の意味はすぐにわかった。

「ヨースケ、もう帰るの?」

 優香が見ている先から、ライツの声が降ってくる。そういうことか、と洋介は納得した。優香は洋介の頭の上、そこに大人しく座っているライツを見ているのだ。


 優香がライツを解放した後、彼女はそこに移動していた。ちょこん、と座る姿が非常に愛らしいのか、ライツから優香の視線が外れない。

 冷静さを保とうとしていても、目は口ほどに物を言っている。無理しなくてもいいのに、と優香にバレないように洋介は嘆息する。


「井上さんなら分かると思うけど、こいつを見れる人って少ないんだよ」


 はっきりと「ライツを見ることができるのは、今のところ二人しかいない」と洋介は断言できなかった。優香という、自分のように妖精を認識できる存在に出会ったことで、希望が持てたからだ。

 ずっと、孤独を洋介は感じていた。しかし、その孤独は偽りだったのかもしれないと洋介は考え始めていた。


「ああ、それで」

 ライツを見ることができる、そのキーワードで優香は午前中の出来事を思い出した。あんなに目立つライツに驚いていたのは自分一人だった。

 優香は胸の奥から湧き出てきた羞恥を表には出さずに、小さくうなづいて洋介に答えた。


「ライツちゃんに、私しか反応しなかったのね。澤田さわだくんは、例外として」

「そういうこと。だからさ、もし、ライツみたいなのがいたら教えてほしいんだ。こいつを探しに来てくれると思うからさ」


 普段の優香に雰囲気が戻っている。だから、洋介は恐る恐る言葉を選んで彼女に頼んでいた。優香は、自身が無駄だと思うことに対して、ハッキリと拒絶する。そんな姿も、洋介は何度か目撃している。

 しかし、洋介もここで優香に断られるわけにはいかなかった。自分以外にライツが頼れるとしたら、現状優香しかいないのだから。


 洋介は、じっと優香の反応を待つ。しかし、優香のそれは洋介が想定した全ての予測と違っていた。


「誰が?」


「誰が、って」

 思わず洋介は優香の言葉を繰り返す。優香は心底不思議そうな態度で、誰がライツを探しに来てくれるのか、と聞いてきたのだ。

 これには、洋介もうまく答えられない。


「ママは無理かなぁ。とっても、忙しそうなんだ。前はルーミがママの代わりに探しに来てくれたよ」

 洋介が呆気あっけにとられていると、優香の疑問にはライツが答えてくれていた。


「前?」

「うん。ライツがね、お部屋飛び出して草原で遊んでたら、すっごく怒られた。『いいかげんにしなさい!』って」

 ライツが普段とは違う口調で、ルーミの怒号を真似まねしている。その言い方から、恐らく、ライツの脱走は何度も繰り返して行われたもののようだ。

 洋介は知らなかったが、何度かライツは迷子になっている。その好奇心に陰りがないからこそ、今回のような事態に陥っているのだ。

 

「そりゃ、心配だったんだって」


 洋介のフォローに、そうかなぁ、とライツは首をかしげている。この様子では、そのルーミとやらも苦労しているに違いない。

 洋介はまだ見ぬ彼女に、深い同情を覚えていた。

 

 そんな二人の様子を黙って見ていた優香は、はっと何かに気付いた様子を表情に出す。すぐに優香は微笑ほほえんで、ライツに話しかける。


「そうね、きっと、今回も来てくれるわ。その、ルーミさん、って人が」

 ライツを見る優香の目は優しげだ。その穏やかな顔には陰りは見当たらない。


「……?」

 ただ、洋介だけはその微笑ほほえみに小さなうれいが含まれていることを感じ取っているのであった。



 優香と別れ、夜になっても、洋介は夕方に見た優香の表情が気になって仕方がなかった。


(あれは……。う~ん、ダメだな。何も思いつかないや)


 仮に何か思いついたとして、それが自分にできることなのかは分からない。ただ、優香がもし苦しんでいるのなら力になってあげたいと思う。

 洋介の胸中にあるのは、彼女に恩を返したいとの思いだけ。あの時の自分のように、沈んでいるのであれば手を差し伸べたい。あの時の、優香のように。


 そう、優香は知らない。

 洋介が、彼女の存在にどれだけ助けられたのかということを。


 しかし、それも洋介からの一方的な感情だ。そこまで踏み込んでいいこととも思えない。

「まぁ、無理だな」

 相手の実情を知らないお節介ほど、当事者の心をえぐってしまうことも洋介は経験として知っている。今みたいな何も分かっていない状況では、彼女の助けになるどころか傷を深くする結果にもつながってしまう。


 それと、いい加減手が冷たいから、まともな思考をするのは難しいと洋介は思う。

「僕の体温で溶けちゃうし」

 洋介の手にはアイスクリームが握られていた。冷凍庫の前で物思いにふけっていても、何も生み出さない。


 昨日、ライツに何か食べ物をあげようとした洋介が見つけたのが、季節外れのバニラアイスだ。結論を言えばライツに食事は必要なかったのだが、彼から手渡されたそれをライツは一気に平らげてしまった。

 ライツはそれを大いに気に入り、また食べたがっていたことを思い出して買ってきた。中学生の財布にも優しい百円の安物ではあるが。


 家に帰った瞬間に昼寝を始めたライツが起きるまで待っていた。先程目を覚ましたから、ちょうど良い頃合いだろう。


「あれ?」


 扉を開けると、そこにいるはずのライツの姿がなかった。その代わり、涼しい空気を感じる。

 その流れの元は、開いていた窓。洋介はそこをのぞむと同時に頭上から聞こえる鈴のような歌声に気付いた。


「あいつ、屋根の上にいるのか」

 一旦、戻ってどうするか思案する。そして、洋介は気合いを入れた。


「行ってみよう」


 屋根の上になど登ったことのない洋介は、どこから攻めるべきか、もう一度窓に顔を突っ込んで注意深く周囲を見る。

「体、鍛えとくべきだったか」

 腕力勝負のルートしか見当たらず、洋介は大きく息を吐くのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る