第4話 瑠璃色の瞳

 あたたかい。


 ライツは心の奥底から湧いてくるような熱を感じていた。自分を抱きかかえているような温もり。まどろみの中で、ライツは優しさに包まれていた。


 体が、心が、凍り付いてしまうかのように冷たかった。そんな空気が、彼女の内から生まれる熱で押し流されていく。胸に灯る小さな灯火ともしび。ライツのそれが、再び息を吹き返して燃え上がる。

 

 その明かりは彼女の沈んだ意識が進むべき道を指し示す。ライツの体を駆け巡る熱さは瞬く間に広がっていく。

 ライツの意識は、覚醒へと浮き上がってきた。


「ん」

 ゆっくりと目を開く。涙で濡れた瑠璃色の瞳に、徐々に光が戻っていく。

 

 ライツの霞んだ視界に、硬い光が入ってきた。その硬質な光の線は、ライツが初めて感じる輝き。生命的な力を感じない代わりに、別のエネルギーをライツは感じ取っていた。


 ライツの感じたそれは科学の結晶。

 人工的な明かり、それを人が蛍光灯と呼んでいることを、ライツは後々知ることになる。


 まだぼんやりとしていて、はっきりとしないライツの視界を大きな影が覆った。それに驚くことができるほどライツの意識は戻ってきていない。


「こんにちは」

 影が声をかけてきた。頭の中に直接聞こえてくる感覚。そういったものも初めてだ、とライツは心のどこかで感じていた。


「……こんにちは」

 ライツは、意味も分からずに聞こえてきたそのまま言葉を返す。その声に、影の正体、洋介は大きく息を吐いた。


「良かった、良かった。このまま目を覚ましてくれなかったら、どうしようかと思ってたよ」


 胸をなで下ろす洋介と、自分の手を交互に見やるライツ。自分がどうなって、どうして今に至るのか記憶が繋がっていない。


怪我けがは、ないかな。空から落っこちてきたから、痛いところとかないといいけど」

「落っこちた?」


 そうだったろうか、とライツは抜けている記憶を探そうとする。しかし、その行動を邪魔してくるのは側にいる洋介の存在だ。


 見たこともない顔だ、と洋介を見てライツは思う。黒い髪に黒い瞳。それに、ライツの目には見える命の輝きが自分達のそれと全く異なっていることに気付く。


(あ、そうだ。ライツは落っこちて……落っこちて、どうなったのかな?)

 くるくると首と瞳を回して周囲を確認する。そこは、洋介の自室であり、ライツが知らないものに溢れていた。


 どうやら、ここは妖精界ではないらしい。それだけは理解できた。

「あれ?」

 その根拠。周囲の景色だけではない、明確ないつもとの違い。理解が、ある気づきをライツにもたらした。


「な、何で。何、コレ」

 その気付きが恐ろしい不安感をライツにもたらす。


 ライツは知らない。

 あんなに退屈だと思っていた日常。そこで、意識せずによりどころとしていた輝きを感じられない。こんな状況を。


(ママ……ママはどっち?)


 ライツは、護られていた。母の存在に、いつも。側にいなかったとしても、妖精界では常に傍らに気配を感じていた。どこにいたとしても、母のいる場所が感知できた。

 その気配が、今はここにない。それだけで、ライツはどうしたらいいか分からないほどに惑う。


「あれ、どうして、何で」


 ライツはそれを探し求めるように、きょろきょろと挙動不審に周囲を見渡す。洋介はそんな彼女の様子に戸惑って声をかけることもできずに立ち尽くしている。


(見つかんない。見つかんないよぉ)


 ライツがどれだけ探そうとも、それを見つけることはできない。最初からなかったのではないか、そう思うほど綺麗さっぱり無くなってしまっている。

 今まで当たり前だった感覚の喪失。途方に暮れたライツの不安はついに決壊した。


「ひっ、ぐ。ママ……」


 ライツの目から止めどなく、大粒の涙がこぼれて行く。


「ちょ、ちょっと。大丈夫?」


 急に泣き出したライツに、今度は洋介が慌てだした。こうした相手に対する経験が洋介には無い。

(えっと、どうすればいいかな)

 対処法を考えていた洋介は、幼い頃に手を握られて安心した記憶を何とか思い出す。しかし、サイズの違いがある。どうすればいいか。


「落ち着いて。心配は、するよなぁ。それは仕方ないけど、大丈夫だから」

 とりあえず、彼女の頭をなでた。


 彼の手のひらの上に座れるかというほどにライツの体は小さい。そんな彼女には大きすぎる手。

 しかし、それがかえって良かったのか。大きいのに、穏やかなその手から優しさが伝わってくる。しゃくり上げていたライツは、その想いに感化され、徐々に落ち着きを取り戻していく。


(あったかい)

 

 不思議な感覚だ、とライツは無意識にそれを受け入れている。母とは違うのだが、確実に暖かくなってくる気配。

 ライツの、失ってポッカリと空いてしまった隙間が埋まっていく。そんな風に、心が満たされていく。


「おまえの事情は分かんないけどさ。僕にできることなら、何とかするよ。頼りないかもしれないけどね」


 洋介は不慣れな感じを見せつつも、精一杯微笑んだ。


(あの子は、どんな顔してたっけな)


 洋介も、かつて不安に負けそうになったことがある。その時、洋介は偶然の出会いに救われた。その日に見た笑顔を、精一杯まねてみる。

 うまくできていないことは分かっている。笑うのは、苦手だ。感情を表に出すことを、ある時期から躊躇ちゅうちょするようになった。


 それでも震える彼女の助けになりたい。それは洋介の本心だ。だから、できる限り、頼りがいがありそうな笑顔を心がけている。


 洋介の言葉に、表情に、ライツの瑠璃色の瞳が光を取り戻す。ようやく、洋介とライツの視線が真っ直ぐに向き合った。


 これならよし、と洋介は安堵する。


「僕は洋介。とりあえず、おまえも混乱してるだろうけど、僕は味方だから安心して」

「うん」

 すんなりと、ライツは洋介の言葉に頷いた。その素直さに、洋介はなぜか自分が肯定されたような心地よさを感じていた。


「まずは、色々教えてくれる?」

「分かった」

 ライツの目はまだ潤んでいた。しかし、それを振り払うかのように強く頷いた。

 彼女もまた、洋介の想いに応えたいと無意識に思ったのだ。



「ライツはね、ライツって言うんだよ」


 それからのライツは先程までの悲しげな表情はどこへやら。持ち前の天真爛漫さを思う存分発揮していた。


(楽しそうだな。迷子のくせに)


 その顔を見て、これが本来のこいつなんだろうな、と洋介は呆れながらも微笑ましく思う。泣き顔よりは、今みたいにほがらかに分かっている方が彼女に似合っている。洋介はそう感じていた。


「それでね、キラキラの花が咲いているところを飛んでたんだ。ママはその先にいっちゃダメって言ってたんだけど、ライツ忘れちゃって。だって、面白いんだよ。そこはちょっと暗くてね。だからかな、ちょっとの明かりがすっごくキレイで。でも、ママに知られたら怒られるかなぁ。ママはね、怒るとすっごく怖いの。このまえもねー」


(……これ、僕は何の話を聞かされてるんだ?)

 洋介は、まずはライツがどうして空から落ちてきたのか知りたかった。だから、どうやってここに来たのか尋ねてみたのだ。

 しかし、ライツに何を聞いても、話があちらこちらに浮気するものだからいまいち要領がつかめない。

「え、少しで済むはずだった勉強が二日がかりになったのか。それは辛いな」

「でしょー。ライツ、ちょっと抜け出しただけなのにね」

「いや、抜け出すおまえも悪いけどさ」

 とりあえず、今は、ライツの母親とやらの鬼神のようなスパルタ教育の話になっている。どうも、ライツの主観ではあるが、ライツの母はライツに対して厳しいのは本当のようだ。


 ただ、聞けば聞くほど面白くなってくる。ライツの口から出てくる言葉全てが洋介には新鮮だった。


(本当に、そんな世界があるんだな)

 世界とは、自分の身の回りだけ。そんな洋介にとって、ライツの語るもの全てが興味深かった。

 

 全体的に、ライツの話はとても主観的であった。知識のない洋介に理解は難しい。

 それでも何とか、彼女の名前、彼女の種族が星妖精と呼ばれていることと彼女の仲間達については聞き取ることができた。

 しかし、何個か気になる点がある。聞いてみよう、と洋介は終わらないライツの話に割り込んでみる。


「じゃあ、ライツのお母さんは大きいんだ」

「ヨースケよりも、ちょこっと」

 口ではちょこっと、と言っているがライツは大きく両手を縦に広げている。


(人と同じくらい、か)


 洋介はライツを小人のようなものだと考えていたが、どうやら違っているみたいだ。話を聞いて想像する限りでは、ライツを除く星妖精達は皆人間と同じサイズのようである。


 ライツだけが突然変異なのか、それとも実は違う種族なのか。


――いつも、ひとりだよ。だって、こどもはライツだけだもん。


 遊び相手の話になった時に、「こどもはライツだけ」と彼女は言っていた。その言い方は、ライツが小さいのはこどもだから、ということを意味している。

(それでも、子どもが一人ってのはちょっとおかしいかなぁ)

 洋介は、少し腑に落ちない顔をして黙り込んだ。


「ルーミもおっきいよ」

 ライツは思案顔の洋介に構わずに話かける。


(るーみ?)

 洋介の思考は、謎の固有名詞の登場で中断された。


 おそらく星妖精の一人なのだろうが、ルーミとやらはこの会話の中で初登場だ。それなのに洋介が知っている前提で話を続けるのが、実に彼女らしい。

 ここまでくると、ライツのペースが洋介にも分かってきた。

「うん、そっか。ルーミもおっきいんだ」

 同意を示すと、ライツは満足げに胸を張っている。そうして、洋介が、話を切り出すタイミングを上手に作り出すことができた。

 

「あとさ、聞きたいことあるんだけど」

 だから、ずっと気になっていたことを洋介はライツに聞いてみることにした。


「ライツって空、飛べるの?」


――キラキラの花が咲いているところを飛んでたんだ。


 彼女がそう口に出してから洋介はずっと引っかかっていた。「跳ぶ」ではないことが、彼女のジェスチャーから想像できた。

 両手を広げて、滑空するような仕草。明らかに、想像上の彼女は「飛んで」いた。

 

「うん、飛べるよ」


 何を当たり前のことを言っているのだろうと、彼女の瞳が告げていた。逆にお前は飛べないのか、と洋介に問いかけているようだ。

 

「んしょ」

 ふわり、と何の脈絡もなく彼女の体が宙に浮いた。


「うおっ」


 洋介の驚きの声を置いて、ライツは部屋中をふわふわと飛び回る。まるで、無重力空間を遊泳する飛行士のようだ。

「ふふふ」

 ライツは洋介の反応を見て楽しくなってきたのか、彼の周囲をくるくると速度を上げて飛び続けていた。


「すっげぇ……けど、ちょっと休憩」

 彼女の姿を追っていたら目が回った。洋介は襲ってきた気分の悪さに思わず顔を伏せる。


「よっと」

 洋介の視線を感じなくなったライツはつまらなくなったのか、彼の机の上にちょこんと腰掛けた。

 そんなライツに回復した洋介は話しかける。

 

「羽とかないから、どうやって飛ぶのか不思議だったけど。そうか、そんな感じなんだなぁ」

 ライツの浮遊感は重力を超越していた。物理的な理由はなく、その自由自在に飛ぶ姿は魔法の類なのだろう。


「はね?」

 ライツは少し首を傾げた後、洋介の言っているものがはねであることに気づいて満面の笑みを浮かべる。

 ライツの背中には確かにはねがある。しかし、大人のそれとは違って服に隠れてしまうほどに小さなものだ。


 洋介が、それを気にしているらしい。彼を喜ばせるにはどうすればいいか。

 ライツは行動に移そうと、洋介に問いかける。


「ハネならあるよ。見る?」

「見るって」

 顔を上げた洋介の目に、自分のワンピースを脱ごうしているするライツの姿が映った。


「バカ、おまえっ!」


 反射的に手にもったままになっていたバスタオルを彼女に投げつける。一瞬、何が起こったか分からないライツはしばし沈黙する。

「うわーん、まっくらっ」

 そして、すぐにタオルごと飛び上がった。

「なに、これーっ!?」

 部屋の中を勢いよく飛び回る白いタオル。視界をふさがれたライツはそのまま壁に激突。ベッドに墜落した。


 こんな結果になるとは思っていなかった洋介は、恐る恐るライツらしき白い物体に近づいていく。


「ライツ、大丈夫?」

「うん、だいじょぉぶ」

 タオルが立ち上がって答える。まるで幼少の頃に見た人形劇のお化けのようだ、と洋介は思った。


「先が思いやられるなぁ、これは」

 タオルをかぶったままで遊び出すライツ。そんな彼女を、洋介は軽い頭痛を感じながら、心地よい高揚感と共に見つめていた。

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