14 『時が流れて』

 田村は4年、5年、6年生と10人づつ、30人を受け持った。図書館で教材を見ながら、準備テキストノートの作成に余念がなかった。受付嬢も元気な顔を見せていたし、メガネ嬢はテキパキと仕事をこなしていた。アシルは修復の追い込みに夢中であった。


 小学校高学年では算数の計算に力を注ごうと思っていた。小学校でつまずくのは、上から借りて、又借りての桁の多い引き算と、分数である。分数の概念がつかめないと高校に行っての文字を使った分数式が出来ない。中学校でつまずくのは√(ルート)記号の平方根、無理数と2次方程式の解の公式のとこだ。公式がどうして出てくるのか、導けるようになればしめたものだ。根気よく何ども、何ども教える。途中の式の運びを見る。職人が新米に仕事を教えるように。何事も基本は同じだ。計算と、概念と、記号負けしないこと。高校ぐらいまでの数学ならなんとかなる。数学者になるなら別だが。


 それから、美術の授業、時々、見学に来た深見ミエに田村は褒められた。

「みんな、上手になっている!のびのびと楽しそう・・」と。

「花を描くとして、すぐに描かないこと。しばらくじっと、花を見ること。花と話をして、何かを感じてから描きなさい。描くときは一気に」と、田村は教えていた。


 隣の教室は音楽の時間だ。ピアノに合わせて歌が聞こえてくる。サクラ サクラ ヤヨイノ ソラハ ・・子供たちの声は澄んで綺麗だ。田村にはここが海の中とは到底信じられない思いだった。


・・・・・・・・・・・・・


 月日は流れた。田村の図書館通いと、酒場通いは相変わらずだった。町にはちらほらと人も見るようになった。


 酒場では、男たちが論談に忙しく、二人のママの「あ~ら、嫌だ」は絶好調だ。しめっぽくなるのはニュースの時間ぐらいだ。それも号泣する者はほとんどいなくなった。遊んでいるのも結構辛いものらしい。何か自分に手に合う役割を見つけては仕事をしている。見つけられない者はそれらの人を手伝っている。トクさんの潜水艦も2艘になった。


『でもおらたち助けられたんだよな』

『こうして酒を飲んで楽しんでいるだ』

『でも酒ばっかり飲んで仕事はどうする』

『そうだな。ここは竜宮城見てえで、もう飽きたな』

『そんだ事言うでねえよ、あの方に悪いだよ』


来たとき、そのように、話していた連中は

『でもおらたち助けられて良かったな』

『こうして、酒も楽しめる』

『おめー、仕事はなにしてるんだ』

『こんぶを取ってきてそれを削って、とろろ昆布作ってんだ』

『よく売れるべ』

『そうだな。でもここは金になんねーから』

と話して、笑いあっている。


 12日の酒場ではやはり原発の話だ

『おらー、あきれ果てた。原発やめっかと思ったら再稼働だとさ』

『ほらー、津波の人たちが海を汚してるのは原発地区のお前えたちだと怒るのは無理ねーな』

『お前たちが汚すから、海が怒って津波になったって言うんだろう』

『ほんで、喧嘩になって、店、分けられて、口パクになったんだろう』

『なんにしても、喧嘩は良くないだ』

『ストレステストして、安全に配慮してだって』

『どこが、お墨付き与えるんだ』

『そら、おめー、保安院だべさ』

『見え見えの茶番劇だっぺな』

『そんなことより、保安院で最初テレビに出てた男はどうした?』


残した家族や、町のことがやっぱり心配になるのだろう。

『東電の補償はどうなった』

『政府基準がはっきりしてないから、たいして進んでいないそうだ』

『又、うやむやで、裁判闘争になって、さらにうやむやになるな』

『もう、帰れねーな』

『お前がか』

『バカこけ、避難してる連中がさ』

『可哀想だな』

『おらたちに同情されて、本当に可哀想だ』


男たちの話は毎夜尽きない。


 トクさんから連絡が入った。「春海が見つかったのか」と思ったがそうではないらしい。『女酒場』まで来てくれと言うことだった。トクさんが『女酒場』に行ったと聞いたことはなかった。珍しい。何事?

 田村もあれ以来『女酒場』には行っていない。身振り手振りはやっぱり苦手だ。何より深見ミエと二人のママの所に行ければそれで十分だった。


 トクさんはすでに来て、壁際の席に座ってビールを飲んでいた。

「何にする?」「ビールにします」。トクさんは手をあげてオーダーをした。

この町では全てセルフの筈だった。カウンターの中の3人並んでいる真ん中の若い男がビールとグラスを持ってきて、テーブルに置いて一杯ついでくれた。

「こちらが、先生をなさっている田村さん」とトクさんが言ったので目礼だけした。若い男は無言で、目礼を返してカウンターに戻った。


 トクさんが何時にない緊張した顔で、声を落として言った。

《田村さんも随分と、この町のようすも分ってきたっぺ。あの男がこの町と『あの方』を繋いでいる男だ。『あの方』の御意向と、といっても数は少ないんだが、こっちからの要望や意向は、これは結構多いんだ。あの男が伝える。ここにないものは陸(おか)から来ると適当な事を言ったが、悪かった。あの時にはあーとしか言えなかったんだ。陸から来るのは放射能で汚されたものばっかりだ。実は『あの方』のおられるところから来ている。食べるものの殆ど、米も、魚も、肉も、菜っ葉もだ。木材もそうだ。ママの紙で作るものは本当に限られてるんだ。『あの方』のおられる所へ行ける道を知っているのはあの男だけだ。田村さんが行けるように頼んでおいた。俺だって行ってねぇー。この町の誰もだ。ちょっとは知りてぇーが、あんたほど好奇心は強くない》トクさんはビールで一息入れて、さらに、


《遠くから見るだけだそうだ。それとあの男が言うには、本気で知りたいのなら、命をかけてもらいましょう。迷える人が何処にいくかは『あの方』の御心次第だそうだ。田村さん、それでも行くかね。俺だったら深見先生と仲良くやってるけどなぁー》と言った。


 好奇心なんかではない。何か突き動かされるものがあってだ。春海や秀樹や小春に逢えなくなるかも知れない。それでもいいと思った。田村はトクさんに頷いて答えにした。トクさんは男にその旨を伝えた。明日学校終わって、4時に来てくれと云うことであった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る