13 『開校式』

「田村さん、奥さんは『深い海に』いてそうだと、お前さんは思っているが、この町かもしれねぇー。この町の人はたいていは知ってるが、全部ではない。陸に助かっているかも知れない。お子さんも一緒のことだ。さー、陸に帰れるチャンスが一度だけあるとすれば、どっちを選ぶね?」

 田村には、とってもすぐに答えられる質問ではなかった。


 トクさんは話を続けた。

《テレビの前で自分の妻が無事で写ったのを見て、泣いてた奴がいたよな。背中をさすってやっていたのは陸でも家が隣の奴だ。そいつが言うには「家には金を入れない。遊びほうけて、嫁さんが文句を言おうものなら手が出る始末に負えない奴だった。なんぼか中に入って彼奴と喧嘩したこともある。だのにあの喜びようと、涙だ。それに感動した」ということだ。デモ、今、あいつが陸に戻たら、やっぱり昔とおんなじだと思うよ。彼奴はここにいてた方が人間として真っ当だ。俺かて、人のことは言えないよ、競輪、競馬、賭け事は全部やった。手こそ出さなかったが嫁さんにはでぇーぶん苦労かけたさ。今、俺が帰って見ろ。やっぱり一緒だ。競輪や、競馬のあるところには帰りたくないよ。ここにおれば、なんぼか心穏やかに暮らせる。『深い海』でこんなこと言いやがった奴がいてたよ。起こして聞いたんだ。「行きますか?」「どこへ?前の所じゃ嫌だよ。おらぁー、原発がある所には帰らねぇー。日本には愛想もクソもつきたんだ」「いや、原発もない、海の町なんですよ」と町のことを説明したんだ。こう言われたよ。「そんな中途半端な、生きてるんだか、死んでるんだか分からないとこはなおさら嫌だ。生きたってあと何年もないんだ、頼むからこのまま静かに眠らせてくれよ」ってね。返す言葉がなかったよ。あれから一年か、こうして学校も出来た。生きてる町を作らなくちゃ。一人でも多く『深い海』から人を連れてこなくちゃ、それが俺の仕事だ》


 聞いていた、深見ミエが突然泣き出した。

「どうしたんだい?何かいけねーこと言ったかな?」とトクさんが優しく声をかけた。


《いいえ、私は帰りません。帰れないのです。あの津波で生徒を助けられなかったのです。あの地震です。校舎が壊れるのではないかと思いました。収まって、海のそばですから、〈津波〉のことは頭にありました。校庭に全員集合しました。点呼を取るように言われました。随分ゆっくりでいいんだなーと思いました。地元の先生がほとんどですから、任せて置けばいいのだと思っていました。次に避難するところをめぐって、迎えに来ていた父兄も入れて意見が別れました。「ここまではこないだろうから、来ても二階に上がればいいとか」「いや、余震がきて建物が壊れる危険性があるとか」「裏山だとか」「あの崖と倒れた木で怪我する奴が出るとか」私は津波のことは言葉程度にしか知りません。そのうちイライラしてきました。一人の生徒が男の先生にむかって「先生、裏山に逃げっぺ。怪我ぐらいどうってなかろうが!」男の先生はその生徒を無視しました。その先生は川の傍に少し高いところがあるからそこにしようと言って引率しょうとしました。するとさっきの子と何人かが裏山に向かって走り出しました。私は迷いました。わたしのクラスの子達は私を見ました。他人事ではないのだ、私が決めなくっちゃ。「校舎の屋上に上がりましょう」と言いました。逃げて行く方向が三つに別れたのです。町のファザードマップでは学校は浸水域の境界にありましたし、屋上が一番無難で近いと思ったのです。初めて見る津波でした。見る見る全てを飲み込んで行きました。屋上にいた生徒たちが手すりにしがみついている姿を見たのが最後でした。後から、テレビのニュースで知りました。裏山に逃げた子たちだけが助かったと》


 深江ミエは背中を震わせ号泣した。田村はトクさんがいたけれど、抱き寄せて背中を摩り、髪を撫でた。田村には深見ミエの深い悲しみをそうしてしか受けてやることが出来なかった。


 他の席の人たちは何事とこちらを見たが、救助隊のトクさんがいたので別段の心配をしなかったようだった。暫く無言が続き・・トクさんが口を切った。

「皆んな何かを背たらって、この町にいるんだ。『あの方』を知るのはもう少しあとでもいいんでなかっぺ。綺麗な先生を助けてやんなよ」

 田村はトクさんの言うようにしようと思った。切り絵も出来ないし、潜水艦の運転も出来ないけど、子供なら教えられる。


 今日は晴天と言いたいけれど、薄日が射す程度でここでは晴天なのだ。校庭に生徒が60人集まった。父兄らしき人と、町の人も来ていた。勿論、トクさんも、二人のママも、そして酒場でよく見る顔も、自信を無くした地震学者も元気な顔で、横にはジャンパーの男が付き添っていた。


 田村は挨拶をした。「町の人のお陰で素敵な学校が出来ました。元気で勉強して、思い切り遊んでください。以上です」

「先生、短か過ぎやしませんか」と野次が飛んだ。これで十分。深見ミエの方を見た。今日のミエの顔は泣いてマツカラでパンダみたいな顔でなく、爽やかに綺麗だった。突っ張ったとこもなかった。

 田村の挨拶が終わると数人の子供がミエの方に駆け寄ってしがみついた。トクさんが横に来て、「前の学校の子供たちだ。あれだけの人数を見っけるのも大変だったんだ」と、そっとつぶやいた。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る