12 『久しぶりの12日の酒場』
深見ミエは早く7日の入学式が来ないかと胸をときめかしていた。いつも年度変わり、受け持ちのクラスが変わる時の興奮だが、今年は特に待ちどうしい。早く子供たちの顔が見たかった。田村となら上手くやっていけそうだった。
「いります?」「別に・・」と答える田村を思い出して笑ってしまった。自由な学校が出来る。何と素晴らしいことだろう!
規則、いらぬ気配り、教師が窒息してしまいそうな中でどうしていい教育が出来るのだろう。チョット点数がいいからって、人生でどれだけの値打ちがあるのだろう。
入学してくる子供たちの名簿をくって、ミエは何度も見ていた。
田村は教室の中に一人でいた。俺はあの日学校を休んでいた。教え子たちは無事避難出来たのだろうか?そして秀樹と小夏も無事なのだろうか?子供たちを教えることは楽しい。なんの縛りもない中で教えられるって夢みたいだ。いっぱい創意工夫していい授業をしなければと、意欲が湧いてくると同時に、「俺はここに何時まで居るんだろう?」という不安は隠せなかった。ともかく、今は今と思うしかない。
12日の酒場に深見ミエを誘った。もう、そこでは会話が出来る。大きな学校を身体を使って描く必要もない。12日のママはカウンターの中で洗い物をしていた。
カウンターの前に立って、田村は改めて挨拶した。
「前の学校に勤めることになりました。田村ジュンです。こちらは同僚の先生で、深見ミエさんです」
「深見ミエです。お母様にはお世話になっています」と深見ミエは丁寧におじぎをした。12日のママも丁寧におじぎをして、
「こちらこそ、よろしくお願いします。先生が揃って、いよいよ学校が始まるんだ。子供たちの声が聞こえて、賑やかになっていいわ。田村先生、綺麗な先生と一緒でいいでね」
「はい、幸せに思っています。でも、お手柔らかに願いたいです」
「あら、私、お手が硬うございました?」
「そんなつもりで言ったのでは・・困ったな」
「困ったなは98円ですよ」と12日のママ。
「何のことです?それ」と田村が尋ねると、
「うちのお父さんの口癖、何かあると、〈困ったな〉〈困ったな〉を連発するもんだから、母が怒って1回100円取ることにしたの。すると父が2円だけ負けてくれって頼んだの。どうして2円だか?バカバカしい話でしょう」
「いいえ、いい話だと思います。男が簡単に〈困ったな〉を言うものではありません。田村さん、就業規則、第1条第1項は〈困ったな〉は98円の徴収ですよ」
「深見さんもですよ」
「私が、言うはずないじゃないですか!」きっぱりと彼女は言った。
すごい自信だ、これは「困ったな」と田村は内心思った。彼女はジンライムを、田村はビールを注文して、座れる席に移り、二人のスタートを祝して乾杯した。
「カアーンパーイ!」
深見ミエは東京の生まれで、大学も東京で、勤めた学校も東京だと言った。中学校で国語を教えていたが、息苦しくなって、2年前、三陸の小学校に赴任して来たのだと言った。
「田村さんはどこの学校を卒業されたのですか?」
「東京の・・」思い出せない。自分の出た学校が分からない?田村は焦った。
「東京大学ですか?」東大でないことだけは確かだ。
「東京芸術大学」と言葉が勝手に出てしまった。本当か?定かではない。
「美術か何かの先生だったのですか?」
自分の出た学校が言えなかったのはショックだった。
深見ミエは学校に対しての彼女の抱負や考えを話したが、田村は上の空だった。自分の過去の記憶に自信が持てない。こんな不安なことはなかった。
そんなときに、トクさんが店に入ってきて、田村を見つけて「お邪魔して悪いかな」と、二人のテーブルの傍に立った。
「何だ、深見先生とご一緒なんだ」
「あれ、二人は知り合い?」
「学校の生徒の件でお世話になったのですよ」と深見ミエが言った。
「隣のママに聞いたよ。先生を引き受けたんだって、てぇー変だ。でも、綺麗な先生と一緒でお幸せだ」
「はー、そうですね」田村の歯切れは先ほどでない。
田村はここで一番聞きたいことを聞くべきだと思った。ここで先生を続けるためも・・。
「トクさんは『深い海の人』のことを知っているし、この町にも詳しいみたいだし、教えてもらいたいんだ」田村の真剣な表情に、トクさんは半ば驚いた表情で、
「えれー、深刻な顔して、どうーしたね?」
「『あの方』のことだ。この町を治めているのか、統率している人のことだ。その人のことを知りたいんだ」
深見ミエも口にはしないが同感の顔であった。
トクさんが思わぬ事を口にした。
「先生方よ、陸に帰れる方法があるとしたらどうするね?」
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