3 『11日の酒場』

 田村はよく眠った。ホテルの窓から朝日がというわけにはいかない。ここは陽が射さない町だ。明暗のみがある。新聞もない。1階のフロアーに降りて、ラウンジでモーニングを取った。珈琲はお変わり自由で3杯も飲んだ。することがない。部屋に帰ってベッドに横になった。


 記憶をたどった。11日、大きな揺れをおぼえた、これは何かある。とっさに外へ出た。道路が地割れしている、瓦が落ちてくる、向かいの看板が落ちてくる。妻を戻し、2階にかけ登った。子供たちは学校だ。揺れが収まってやれやれと思ったら、突然、窓ガラス一杯に黒い波が見えた。そこまでしか記憶はない。


 疲れているのか、二度寝した田村が寝覚めたら、午後の4時だった。たっぷり2日分寝たことになる。『11日の店』はこの時間で昨日開いていた。この町のことをもう少し知るにはあの店のママに聞くのが一番だと思った。

タクシーに乗って店名を云った、「酒場、11日の店」。

タクシー会社は一社だけで、二つのホテルに2台ずつ常駐していて、ホテルと店の間しか行き来しない。『11日のホテル』の運転手だと乗っても話が出来ないので、行き先云っても分からないから、『12日のホテル』に泊まって正解だと運転手は言った。


 店はすでに開いていて、もうお客で一杯だった。ママは田村の顔を見て、

「昨夜はよく眠れた?」と訊いてきた。

「ああ~、二日分も寝てしまいましたよ」ウイスキーの水割りを注文した。

「あては何にします?」

「干物が美味いって聞いたから、丸干しってあるの?」

「これは私の店しか食べられないよ。亭主にも、娘にも作り方は教えてないのさ。一応独立採算だから家族でも商売敵なんだ。隣は刺身だけだから…」

「食いもんで釣らねぇーと負けちゃうだんべ」とママの向かいの黒の革ジャンを着た客が相の手を入れた。

「な~んの、若い娘に負けてられっか!話も〈ごっと〉と云うっぺ。私ほどあの子は喋りができねぇー」

 

 そらそうだ、ママはこの道相当の年期が入っていそうだ。

「ママは以前何処で店やってたの?」

「気仙沼でやってたの」

「訛りがないね」

「これでも、銀座で10年ホステスやってたのよ。この美貌見たらわかるでしょう」

「銀座でも色々あっからねぇー」と先程の客が言った。ママは無視して、

「亭主が組合の連中と来たとき、見初められて。30のとき、気仙沼に来たの」

「勘定が合わないだっぺ。子供はいつ生んだんだぁ」先程の客。

「うるさいね。連れ子だってあんだ」とママは云い、

「昼間はどうしているのよ?」と訊いてきたので、

「時間が持てない」と答えた。「本屋でもないの?」

「図書館があるわよ。図書館に行ったら・・だいぶん揃ってきたとお客さんが言ってたから、あちらであったものは随分と揃ってきたわよ。ないのは・・」

「軍隊、議会、政治家、警察に裁判所・・え~と」先程の客。

「原発もだろう」とその男の隣の客。

「一番は、お金がないことね。だからお金のために働かなくていい」ママ。

「あー!昨日お金を払うの忘れてた!いくら?」

「いらないわよ」

「じゃー、ママはただ働き?」

「いいえ、その分いろいろ便利貰っていっからぁ」

「ママ、競輪場か、競馬場を作ってくれよ!退屈でしゃない。ハサミでこちょこちょとやればよかんべや」先ほどの客

「『作って委員会』に直接言ってよ。そこの許可あるもんしか作れないよ。それも忙しくってたまってるのさ」

「学校作ったべさ。この客の前で」隣の客が言う。

「前から言われてたんだよ!あんた先生してたんだよねぇー」ママが田村に訊いた。


 そのとき、みながテレビの前に集まりだした。

「ああ、『この町TVニュース』が始まるの。早めの客はこれが目当て、これが終わったら、食いもの目当ての客よね」とママ。

「終りがけの客は、へへッート」と、先ほどの客が意味ありげに笑った。

「ニュースが一番人気があるの。向のことも放送されるしね。ただ、30分しかないのよねぇー」とママ。

「んだな、もちょっと長ければよかんべさぁー」と言って、客二人もTVの方に行った。

「あんたも、見たら…」

田村もテレビが見える方に席を移した。


テレビには学校の校庭が徐染されているところが映し出されていた。そして子供たちは外で遊べないと…。「徐染・・何が起きたのだ?」と田村は思った。先ほどの客に尋ねると「11日の地震で、12日に福島の原発が爆発事故を起こして、放射能をまき散らしたんだ」「爆発?・・放射能?」

「隣の店の客に聞いてみっぺさぁー。あいつら詳しいからぁ」

 12日に原発で何事かが起きたのだ。故郷は津波だけでなく大きな事故に巻き込まれたのだ。妻、春海は津波に飲み込まれたけれど、無事だろうか?学校に行っていた子供たちは無事逃げられたのだろうか・・そうだ、あの日は風邪を引いて俺は学校を休んでいたんだ。クラスの子供たちは無事だろうか?画面を見ながら田村はそんなことを案じた。


 ニュースを見ていた誰かが突然泣き出した。

「母ぁーちゃんだ!無事だったんだぁー」。テレビは避難所を映し出していた。隣の男が「うんだ、よかった。よかったぁー」と云って、泣いている男の肩をさすった。ニュースが終わると客たちは帰って行き、店は空いた。田村はカウンターに戻った。ママは、

「みんな、あないして向の家族が映らないかと見に来てんだ」と言った。

「お金の話だけど・・」

「いらないと云ってるだろう・・」

「いや、それはわかった。何でないの?」

「『作って委員会』が作れて言わないからさぁー」

「その委員会が全てを決めるの?」

「いいんや、決める人は別にいる。委員会は、作れって云う要望をどうするかだけきめんだ。多分、そのぅー別の人に聞いてると思う」

「委員会って、選挙か何かで決めるの?」

「いいんや、なりたい奴がなってんのさぁ」

 食い物目当ての第二陣で店は混んできたので、料理を出すママに遠慮して店を出た。金を払わないで店を出るなんて、得したような、何か忘れてきたような、変な気がした。

 明日は図書館に行って見ようと、田村は思った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る