2 『酒場』


「不思議だね?最初ママの声は聞こえないのに、喋っていることは分かった。

お客だってそうだ。声は聞こえないけど会話は分かった」

「不思議だねぇー・・はこっちのセリフ。普通は聞こえないものは分からないんだ。さすが、学校の先生。喋れない子もそうして分ってあげてたんだ。でぇー今は?」

「慣れてきたのか、聞こえる。ママの鶯のような声も」

「よく言われんのよ。声も、顔も素敵だって」

「ママ、隣にも店があるね」

「ああ、『12日の店』ね」

「じゃー、ここは『11日の店』ってわけだ。隣は誰がやってるの?」

「私の娘」

「11日の町に『12日の店』があるって、変じゃない?」

「そうかね、ここには町は二つしかないの。11日の町と、12日の町しかね」

「『12日の店』は12日の町にあるべきだろう?」

「学校の先生っていうのは理屈ぽいんだね。11日の町には『11日の店』と『12日の店』の2軒があって、どうして悪いのさ。12日の町にも2軒あるよ」

「12日の町の店は誰がやってるの?」

「あんたも、詮索好きだね。私の亭主と2番目の娘」

「他には酒場はないの?」

「ああ、この二つの町では、特別に認められた者しかお店はできないの」

「そんなこと、誰が決めたの?」


他の客が酒を注文したいみたいで、そちらに行きながらママは言った。

「少しいたら分かるわよ!隣の店も覗いたら…」


 田村は表に出た。まだ日が暮れるには早い。看板を見た。日付だけが違う同じ看板が架けられていた。店の造りは隣と同じであったが少し小さい。長いカウンターに真ん中には丸テーブル。どちらも立って飲む。壁側には丸テーブルに脚長の椅子がしつらえてある。隣が50人なら、ここは30人と云ったところだろうか。客は全てセルフサービスである。店はママ一人だけだから無理もない。


 ママが云った娘さんだろう。カウンターの中で忙しそうに立ち働いていた。娘と聞いてきたからそう思っただけで、二人が親子だとはまず、当てる人はないだろう。姉妹?そう云えば横顔が似ないでもない。姉妹と云えば合点がいく。隣のママには悪いが、若いだけではない、こちらの方が数段美貌に勝る。


 店は狭い分だけ賑やかに感じられ、活気があるように見える。ビールを注文して真ん中の丸テーブルについた。同席には野球帽を被った男、ハチマキを巻いた男、丸刈りの男と3人がいた。

真ん中にいた、ハチマキの男が訊いてきた。

「兄さんどっちからこられた?」

「どっちからって、ここは11日の町か、12日の町しかないんでしょう?」

「いや、あっちの世界のことを訊いてんだぁ」

「ああ、福島の大熊町です」

「この店の客はみな福島出身だべ。それも原発避難地域のものだけだぁ」

「じゃー、隣の店には行っては行けないんですか?」

「いいや、そんなことはなかんべ。行ってもいいけど、声は聞こえないし、話ができないんだ。口パクパクじゃ面白うなかんべ」右隣の野球帽の男が口を挟んだ。

「僕は聞こえましたよ」

「おかしいなぁ~。おめーえ、出身地が違ってんじゃないか、本当に大熊町け?12日の町のもんが11日の店に行っても、声がお互い聞こえなくって会話ができないんだぁ」

「でも、ここと違う食べ物がおいてあんだ」左隣の丸刈りの男が云う。

「やっぱー、おっ母の方がうまかんべ。こっちには干物もないし、煮付けもない。そんなものを食いたいときだけ行くのさ。ここのママは別品、隣の食物は別品というわけだ」元のハチマキ男が言った。


 田村はなんとなく、二つの店の違いが分って来たようである。

「ところで、ホテルはありますか?」

「どっちのホテルにすっぺ?」ハチマキの男。

「『11日ホテル』か、『12日ホテル』どっちかと聞いてんだべさ」野球帽。

「大熊町出身ならともかく『12日ホテル』がよかっぺ」と丸刈り男。

 田村は理解した。町は二つあって、店は二つあって、行き来はできるが、出身が違うと、声が聞こえなくて、会話が成り立たないことだ。

でも、手振り、身振り、筆談だって出来るだろう?


「兄さん、外国に行ったことはあっぺ。手振り、身振りで何日おれる。それと紙に書いた文字だって、出身が違えばすぐ消えちまうんだ」ハチマキの男が言った。


 ともかく、田村は『12日ホテル』に泊まることにした。

カウンターで、キーとシーツ、タオル、歯磨き、石鹸、カミソリのセットを渡された。セルフである。シーツ敷きは初めてで手間取った。妻の春海が毎日綺麗なシーツに交換してくれていたことに、改めて感謝した。

「疲れた、ともかく横になって眠ろう」白いシーツと、暖かい毛布が気持ちよかった。


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