『切り取られた日付の町』

北風 嵐

1 『見知らぬ町』

気を失い沈んでいった所がどこなのか田村にはわからなかった。

その町は見たことのある町であった様な気がした。

田村は酒の看板を見るとその店に入ることにした。


「・・・・・・」

30代ぐらいの女は口を開けてはいるが声は聞こえては来なかった。

多分『いらっしゃいませ』と言っているのだろうと田村は感じた。

カウンターに腰をかけウイスキーの水割りを頼んだ。

いつもの口当たりではなかった。

何か潮っぽい感じだ。

「換えてくれないか」

田村は新しいグラスを口にしたが、やはり前のものと同じであった。

「ここの水は美味くないね」

「・・・・・・」

『そんなこと有りません普通ですよ』

と言っているらしい。

まわりを見ると誰もが楽しそうに酒を飲んでいる。

ただその人たちからは、声は聞こえなかった。

何故声が聞こえないのだろうかと田村は考えた。

この部屋を満たしている空気と思いこんでいたものが、空気のように抵抗のない海水である事がわかった。

そのために鼓膜が圧迫されていたのかも知れなかった。

1時間もすると、田村は音が聞こえるようになった。


「こんなおっきな津波が来るとは思わなかった」

「そんだ、早く逃げれば良かった」

「子供がしんぺえーで、死ぬにも死にきれねえーだ」

「でもおらたち助けられたんだよな」

「こうして酒を飲んで楽しんでるだ」

「でも酒ばっかり飲んで仕事はどうする」

「そうだな。ここは竜宮城見てえで、もう飽きたな」

「そんだ事言うでねえよ、あの方に悪いだよ」


田村は、自分は教師であることに気が付いた。

学校に行きたいと思った。

「ママさん、近くに学校はありますか」

「直ぐに創りますから」

「酒ではないですよ」

「解ってます。子供たちもね」

田村には何の事か理解できなかった。

「この店の前が学校ですよ」

ママに言われ店から出た。

言われたように学校があった。

学校に入る前に田村は深呼吸をした。

薄い海水の臭いがした。

これでアルコール臭さも消えるだろうと田村は思った。

子供たちに会うのに酒の臭いはまずいと思った。

教室には子供たちの笑い声がしていた。

田村は教室の外から眺めた。

新しい先生がいた。

この学校には海水の臭いが消えていた。

乾いた空気の臭いであった。


ママの店に戻り壁を見ると、

ハサミで切り取ってあったものは平成23年3月11日のカレンダーの日付であった。

酒場のママはハサミから何でも創れたのだ。

くるくると紙を動かしながら、人も建物も・・・

「信じさえすれば命も・・与えられます」とママは言った。

田村が来た町は切り取られた3月11日の町であったようだった。

鏡のなかに写しとられた命はその世界で生きているのだろう。

田村が気が付いたのは妻の大きな声を聞いた時だった。

「よかった!」

田村はこの世界がまだどこなのかわらなかった。


                   

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