6-5

 新聞部を出たあたしは、第二校舎を抜けて第一校舎へとひた走った。


 走りながら、前に敷島と二人で星雲堂書店に行った時のことを思い出していた。


「この本はノベルス版では別の題名がつけられていたの」


 あたしは『最後のトリック』を持ったまま、続けた。


「ウルティモ・トルッコ。究極のトリックという意味のスペイン語だね」


「至高のトリックに対して、究極のトリックか。なるほど――しかし、その帯は一体何なんだ?」


 黒い帯に赤字で大きく書かれた『読者全員が犯人』という文字を指さして、敷島が言った。


「書いてあるとおりだよ。この本は読者全員が犯人なの」


「言っている意味がわからない」


「読めばわかるよ。ま、ミステリーの世界では昔からよく言われていることがあってさ。究極に意外性のある犯人は誰か――それは読者だってね。その究極に挑んだのがこの小説ってわけ」


「にわかには信じがたい話だが――いや、仮に読者全員が犯人たりうるとして、帯にこうやって書いてある以上、意外でもなんでもないような気がするんだが」


「この本はあくまで『読者が犯人』というふつうに考えたら実現できそうにないことをどうやって実現させるか、その方法トリックを主眼とした作品だからね」


「だから究極のトリックというわけか」


「そ。脚本家が『至高のトリック』という題名をつけたのが、ウルティモ・トルッコと無関係だとは思えないんだよね。内容的には全然違うんだけど。あっちは読者が犯人というわけでは全然ないしさ」


 ――ところが全然あったのだ。

 

 『至高のトリック』は明らかに現実の五十海市で起きた連続殺猫事件をモチーフに書かれている。事件発生の日付が一致していることや、実際に亡くなった人とよく似た名前の人物が登場することは、偶然ではないはずだ。


 一方で『至高のトリック』には、連続殺猫事件をモチーフにしていることが簡単には悟られないような工夫もある。


 その最たるは、山辺清乃殺しより前に起きた事件を全て殺人としたことだろう。他にも関係者の名前や性別を変えたことなど工夫は随所に見られる。


 なんのための工夫か。決まっている。誰よりも早く満田寿を殺害した人物が真実に到達できるようするためのものだ。


 真実――すなわち『至高のトリック』が連続殺猫事件をモチーフとしていること――そして――。


 ――山辺清乃を殺害したのは川原鮎です。彼女は山辺清乃を殺害した後、首飾り売の手口をまねて公園に死体を遺棄しました。


 脚本家――名取文香の狙いは告発だった。


 彼女がどういう経緯で現実の連続殺猫事件の真相を知ったのかはわからない。わからないが、ともかく犯人が誰なのかを知った彼女は『至高のトリック』という劇を通じて、真実を知ってる者がいるということを犯人に伝えようとしたのだ。


 倒叙ミステリという形式の中に、観劇者のひとりが犯人だという意外性を潜ませる――だから、至高のトリック。


 効果はあった。絶大な効果があったと言うべきか。


 現実に満田寿を殺害した人物は、リハーサルを観て自分が告発されていることを悟り、窮余の策としてステージを水浸しにした。その上で、生徒会室に忍び込み、議事録を漁って脚本家が誰なのかを探ろうとしたのだろう。


 もしも現実に満田寿を殺害した人物が、あたしや敷島と同じルートを辿って脚本家の正体を特定できたならばどうか。決まってる。


 それが、やっかいな予感の正体だった。


 あたしは走りながらケータイを取り出し、電話帳を開く。た、ち、つ、て、外村さん――!


「はい、外村ですが?」


 百歳交番勤務の婦警は、四回目のコールで電話に出た。


「川原です。すいません、時間が無いんで手短に。三年前に桜ヶ池公園で発生した連続殺猫事件、あれの最後の被害者のアパートに、うちの学校の関係者がいないかどうか、至急調べてください!」


「え? ちょっと、川原さん? どういうこと?」


「連絡待ってます!」


 返事を待たずに電話を切る。くそ、酸素が足りない。もっと早く動けってば、あたしの足。


 実のところ現実に満田寿を殺害した人物――名取会長が誰を告発しようとした相手の正体はわかっていた。


 一鯨のリハーサルを観ていた人物であって、劇中の川原鮎と同様に車が運転できる人物だということ。何より、普段から白衣を着ていて、携帯電話を所持していない人物だということ――。


 福屋教諭。彼こそが、至高のトリックの真犯人なのだ。


「邪魔!」


 あたしは屋上へと続く階段の前に置かれた立ち入り禁止の看板を蹴り倒し、一気に階段室まで駆け上がった。案の定、ドアに鍵が掛かっていない!


 彼が連続殺猫事件の手口をまねて満田寿を殺害した人物であるならば、脚本家の正体が名取会長だと気づいたなら、そして名取会長の口を封じようと考えたなら――。


 今回もまた、過去の手口を模倣しようとするのではないか。


 ジャンピング・ジャック。


 夏に三年生の先輩が転落死してからずっと閉鎖されている第一校舎の屋上。


 そこに、名取会長を連れ出し、事故に見せかけて突き落とす――。


 冗談じゃない。あたしはこれ以上誰も殺させはしないし、死なせもしない。


 あたしは心の中で呟くと、ドアを開けて、屋上へと飛び出した。


 ――手摺の近くで白衣の男と女生徒が対峙していた。


「そこまでにしましょう、福屋先生」


 あたしは彼にそう声を掛けると、ジャージのズボンから携帯電話を取りだした。


 ベストタイミング、外村さん。


 あたしは振動し始めた携帯電話を頭上に掲げて、着信ボタンを押す。


「この電話、警察に繋がってます。これ以上、罪を重ねない方が得策だと思いますよ?」


 授業が上手いと評判で、生徒からも慕われてた若き数学教師は、こちらを向くと、ゆっくりと顔を歪めていき、そして右手に構えていたナイフを取り落とした。


 そのすぐ横で名取会長は、呆然と立ち尽くしている……。

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