Detective Side

 とある平日の午後――総合病院の病棟は、ひっそりと静まりかえっていた。


 外来はあれだけ人がいて、ざわついているというのに不思議なものだ。


 少年はそんなことを思いながら廊下を進み、個室の前で立ち止まった。指先がほんの僅かにだが震えているのは緊張のせいか。リラックスしていけ。何、失敗したって死ぬわけじゃない。少年は特徴的な三白眼で天井を睨み付けた後で、意を決して個室のドアをノックした。


「どうぞ」


 凜とした声が返ってくる。


 少年はドアを開けて、その場で「失礼します」と言った。


「君は確か、サッカー部二年の敷島哲君だな」


 病衣を着た少女が、ベッドから身を起こして言った。


「ご存じでしたか」


「全校生徒の顔と名前ぐらい覚えているさ。良いよ。入ってくれ」


 病衣を着ていても、少女は学校にいる時と少しも変わらない威厳を保っていた。


「体の具合はどうです?」


 少年は見舞いの果物詰め合わせをテーブルに置くと、少女に尋ねた。


「実際に突き落とされたわけでもなし、元々かすり傷一つないんだ。ただ、周りが休めというから仕方なくこうやって入院しているだけであって」


「それは良かった」


「今日はどんな用向きだ?」


「事件のことで確認したいことがありまして」


「カワは一緒じゃないのか?」


「一緒じゃない方が良いでしょう」


 さりげなく言うと、少女は一瞬だけ猫科動物のように目を光らせた。


「聞こうか」


「俺の考えを話す前に、川原の推理についておさらいしておきましょう。何かのきっかけで自分の学校の数学教師――福屋が過去の殺人事件に関与していることを知ったあなたは、事件をモデルにしたミステリー劇で彼を告発し、自首させるという計画を思いついた」


「ふむ」


「しかし、当の福屋には自首をする気などさらさらなかった。まずは文化祭前日の夜に講堂に侵入し、ステージを水浸しにしてミステリー劇を中止に追い込み、続いて文化祭当日の夜に生徒会室に侵入して議事録を読み漁り、あなたこそが脚本家だという確信を得るに至った。そしてあの片付け日に、たまたま一人でいたあなたに近づき、ナイフで脅して屋上へと連れ出し、事故に見せかけて殺害しようとした」


「まぁそんなところだろうな」


「川原の推理は概ね真実を捉えていますが、腑に落ちない点もあります」


「そうかな?」


「第一に、あなたが神託で記名ありの用紙に時代劇と書いたことです。このことがきっかけで、俺も川原も――そしてもちろん福屋もあなたが脚本家なのだと気づいたわけですが、あなたが本気で脚本家の正体を隠そうとしていたなら、こんなことはありえない。もっと実現性の高いテーマを記入していたはずだ」


「うん。私もそこはうっかりしていたようだ」


 少女は白々しく笑って言った。


「まさか。正木さんならともかく、あなたがそんなミスをするわけがない」


 少年はかぶりを振って応じた。


「だから俺は考えました。、と」


 少女の返答はなかった。


「第二に、劇のタイトルです。あの劇の真の狙いが殺人事件の告発だったとして、それが『至高のトリック』とまで呼べるものだとは俺にはどうしても思えない。センセーショナルなやり方ではあるし、意外な犯人であるということもわかります。しかし、それを『読者=犯人』の一バリエーションと主張するのはいささか無理があるのではないでしょうか」


「私はそうは思わないな。過去にも似たような作例はある」


「語るに落ちましたね。過去にも似たような作例があるのだとしたら、あなたは『至高のトリック』とは名付けませんよ」


 少女の反論はなかった。


「川原から事件の顛末を聞いた後、俺はずっとこの二つの疑問について考え続けていました。そして、ふと思いつきました。ひょっとして、あなたの計画は福屋を告発するところまでで終わりではなかったのではないか。告発された福屋が脚本家を探り出し殺害する。それこそが『至高のトリック読者イコール犯人』の完成形だったのではないか、とね」


 川原鮎が言っていた。事前に職員会議で配られた資料では、生徒会の劇はロミオとジュリエットということになっていた、と。


 おそらくはそれも目の前の少女が意図してやったことだろう。福屋の意表をつき、リハーサルでより効果的に恐怖を与えるために。


 であれば、少女の目的は告発などではあるはずがない。


「告発した人物に殺されることで完成する計画、か。つまり君は私が自殺しようとしていたと言うんだな? 何故だ」


 ようやく少女は口を開いた。


「人が自殺する理由は様々です。貧困、いじめ、家庭や恋愛、仕事の悩み、それから贖罪――」


 また、少女の瞳が猫科動物のように光った。


「そもそも生徒会長は、どうやって連続殺猫事件の情報を入手していたんですか?」


「決まってる。当時の新聞を読み漁ったのさ」


「川原から聞きましたよ。あなたの実の父親は五十海市警の刑事なんですってね」


「それは事実だが、それ以上はノーコメントとさせてくれ。父に迷惑を掛けたくはない」


「なるほど。しかし、これだけは答えてもらえませんか? あなたはどのようにして満田寿殺しが、連続殺猫事件の手口を真似た模倣犯の仕業だという結論に至ったのですか? 新聞社にも警察にも誰一人としてそんなことを考えた人間はいなかった」


 再び少女は沈黙した。だから、少年は続けた。


「あなたは、あの事件について警察が知りえない情報を持っていた。そう。連続殺猫事件の犯人――首飾り売りのモデルは、あなただったんです」

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