4-6

 時計の針が一時四十分を回ったところで校内放送が流れた。


「二時から講堂で一鯨のリハーサルを開始します。文化祭実行委員は速やかに集合してください。一鯨に参加する団体は予定時刻の十分前までに講堂器具庫前に集合してください」


 生徒会は一番手。それに着替えもしなくちゃならない。つまりは今すぐ出発しろってことだ。


「鮎、いける?」


 清乃の問いに、あたしは「もちろん」と答えて勢いよく立ち上がった。すると、あたしたちのやり取りに気づいたクラスメートたちが「二人ともがんばれよー」「クラス展示の準備はまかせろー!」「本番は絶対観にいくね!」などと声援を送ってくれる。ああ、くそ。みんな良いやつだな――。


「ありがと! じゃ、行ってくるね!」


 そうしてあたしたちは教室を後にした。


 講堂に入ると、既にフロアシートが広げられていて、パイプ椅子まで並べられていた。最前列に座っているのは、各クラス一人の文化祭実行委員。生徒では彼らだけが、一鯨のリハーサルを観ることになっていた。


 教師では、大畑さんと福屋の二人が内容のチェックも兼ねて、リハーサルを観ることになっている。


 時間に几帳面な福屋は実行委員たちと一緒に最前列に座っていて、近くの女子が甘ったるい声で「福ちゃん、そろそろ携帯番号の教えてよー」と言ってくるのに対して「持ってない持ってない」などと言って軽くあしらっている。うーむ、やっぱ人気あるなぁ。まぁ服装はともかく、ルックスは悪くないし高身長だしおまけに授業もわかりやすいらしいから、無理もないよね。服装はともかく。


 一方の大畑さんはまだ姿を現していない。教室にはいなかったけど、どこに行ったんだろう。前に授業あるのを忘れて、数学の難問を解くのに没頭してたことがあったから、ちょっと心配になる。


「鮎、こっちこっち」


 清乃にブラウスの袖を引っ張られて、人の心配をしている場合じゃないということを思い出した。早く器具庫の前に行かなくては。すぐにそちらに向かうと、正木先輩と常日が出迎えてくれた。


「よーし、来たな」


「間もなくだからいつでも動けるようにしといて」


 二人ともスーツ姿に着替えていて、ばっちり準備が整ってる。


「了解。名取会長と仲井君は? もう舞台袖にいるの?」


 二人は音響と緞帳の操作を担当することになっている。操作盤の前でスタンバイしていても不思議ではない。


「仲井君はそうだね。会長は――あ、来た」


 来たのは会長だけではなかった。演劇部のOBら十数名が後ろに続いている。照明の操作や大道具の移動を担当してくれる心強い助っ人たちだった。


「サンキューな。助かったよ」


 正木先輩が声を掛けると、会長のすぐ隣にいた三年生――演劇部の元部長らしい――が「気にするな。それくらいの恩義は受けている。お前じゃなくて会長にだが」と、笑って応じた。


「あたしたちも準備しなきゃ」


「だね!」


 器具庫の横には、元々体育館として使われていた頃の名残なのだろう。更衣室がある。あたしと清乃はその中に入って、服を着替えることにする。


 あたしの衣装はスーツパンツにブラウス、ネクタイ。薬局のシーンでは白衣を羽織ることになっているが、今はそれだけで良い――はずなのだが。


「緊張してるでしょ、鮎」


「ちょっとね」


 手が震えて、ネクタイがうまく締められないのだ。


「しめてあげよっか?」


「ごめん。お願いするわ」


 清乃は「ん」と短く返事をして、ネクタイを受け取った。


 ゆっくりと、しかし、淀みのない手さばきで、あたしの首にネクタイを巻き付けていく清乃の動作に、あたしはちょっとだけ緊張が和らぐのを感じる。


「清乃は音楽部のコンサートとかで、あがったりすることある?」


「そりゃあもう。いっつもだよ」


「いっつもって。じゃあ、いっつもどうしてるのさ」


「決まってるじゃん。楽しむの」


「へ?」


「緊張してるってことは、ここが譲れない一線だってことだもん。だったら、楽しむだけ楽しめばいいのさっ」


 だったらの前後がうまく繋がっていないような気もするが、清乃らしい言いぐさだとも思う。何だかんだで敷島と似たようなところに辿り着いているのも面白いと思った。


「これでよっし。ネクタイきつくない?」


「大丈夫。これくらいきついほうが気合入る」


「それじゃあ――」


 清乃が言いかけたところで、更衣室のドアをノックする音が聞こえてきた。


「準備はできたか?」


 会長の声だった。


 あたしたちはドアを開けると、声を揃えて言った。


「バッチリです!」

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