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 第二校舎を通り抜けて外に出ると、すぐに空気が湿気付いてくる。


 小校舎へと延びる渡り廊下は、第一校舎と第二校舎を繋ぐそれと違い、粗末なトタン屋根があるだけの吹きさらしになっている。おまけに第二校舎の北側にあって、ほとんど日が入らないため、いつ来ても薄暗くじめじめしているのだ。


 その渡り廊下に沿って建っているプレハブ小屋が、我が五十海高校の部室棟だ。梅雨時になるとしばしばあの気味の悪い軟体動物が大量発生することから、通称・なめくじ長屋。うーん、何て嫌なネーミングだ。


 新聞部の部室はなめくじ長屋の中ほど――軽音部と落語部の間にあった。幸い今のところは工事現場のようなギター演奏も、永久凍土のような寄席もまだ始まってはいないようだ。あたしは早足で新聞部の側まで歩を進めると、粗末な引違い戸をノックしようとした。


「別に難しいことを言ってはないと思うんだけど?」


 と、部屋の中から取り澄ましたような男の声が聞こえてきて、あたしはぴたりと動きを止めた。


「どういう表現がダメなのか、どういうテーマが不適切なのか。それを示して欲しいってだけなんだから。簡単でしょ?」


「でも、その……いくら何でもこの内容じゃ」


 おどおどした声は多分、仲井君のものだ。それでわかった。文化祭の出展内容のことで、ちょっとした押し問答になっているのだ。押し問答と言うより仲井が一方的に押されているような気もするが。


「そうやって話を逸らさないで、僕の質問に答えてよ。出展の可否はどうやって判断するの? 明確な基準は定めてあるの、ないの? どうなのさ?」


「明確な基準は……ありません」


 仲井君がか細く震えた声でそう言うと、新聞部員らしき男は、勝ち誇ったように鼻を鳴らした。


「あ、そう。なら、この話はこれでおしまいだね。新聞部としては、君たち生徒会の主観に基づく一方的な言論統制に断固反――」


 男は自分の主張を最後まで言い切ることができなかった。


 その前にあたしが勢いよく部室のドアを開け放ったからだ。


「うっす、こんちは。なーんか楽しそうな話してるね」


「ノックもせずに何だアンタは」


 奥にいた気取り屋が、むっとした様子で尋ねてくるのを無視して、あたしは仲井君に話しかける。


「どういう状況?」


「新聞部の企画が、文化祭には不適切な内容を含むものだったので、その――」


 大体あたしの思った通りだった。


「その話はもう済んだ」


「あたしはまだ済んでない。仲井君、その不適切な内容とやらを教えて」


 仲井君は答える代わりにおずおずと一枚の紙片を差し出した。


 あたしは気取り屋が舌打ちするのも気にせず、紙片を開いた。


 それは文化祭の出展に関する新聞部の計画書だった。



標 題:特集! 五十海市で起きた怪事件!

責任者:部長 深月創介 


昨年からこの夏にかけて、五十海市内の高校に通う生徒が次々と転落死した連続高校生転落死事件のことは、記憶に新しい。本校の生徒二名が命を落とすことになるなど、たいへん痛ましい事件だった。


一見のどかで平和にみえる五十海市だが、ここ数年物騒な事件も増えてきているのも事実である。本特集では、前述の『連続高校生転落死事件』の他、『連続殺猫事件』や『高架橋不審死事件』『推理小説作家殺人事件』など、実際に市内で起きた事件について、新聞部が行った調査・追跡の結果を紹介していく。とりわけ『連続殺猫事件』については、被害猫の写真を入手できたこともあり、かなりの情報量であると自負している。事実は現場に、真実はペン先に。乞うご期待!



 読むだけで目眩がする文章だ。連続高校生転落死事件だけじゃない。物騒な事件の裏に確かに存在する被害者やその周囲の人間に対する配慮というものがまったくなされていないことが、行間どころか文字の一つ一つからにじみ出てくるようだった。最後の宣伝文句も悪い冗談にしか思えなかった。


 いや、あたしは半ば感嘆していた。たかが部活ごときのためによくまぁ品性をたたき売りできるものだと。新聞部長、深月創介か。中性的でおとなしそうな顔立ちだが、別の生き物のようによく動く細い目を見れば油断ならない人間だということがわかる。


 あたしは深呼吸して気持ちを整えると、コンマ五秒で作戦を立案した。


「ダメに決まってるでしょこんなの」


「何故?」


「文化祭には小中学生だって来るんだよ? 子どもたちにそんな物騒な記事を読ませてどうするつもりなのさ。しかも被害猫の写真を公開するなんて。ありえないでしょ」


「さっき彼には説明したが、被害猫の写真にはモザイクをかける。表現についても充分言葉を選んで――」


 あたしは無言で手を伸ばして、深月のYシャツの首元をひねりあげた。そうしてあたしは、「がっ、ごっ」と喉を鳴らす深月に向かって、こういう時、こういう場面にもっともふさわしい言葉を口にしたのだった。


調


 半歩、身体を押し込みながら、Yシャツを掴んだ右手をリリースすると、深月は二、三歩後ろに下がってからぺたんと尻餅をついた。


 ――ちょっとやり過ぎたかも知れない。


 とは言え、今更後悔しても始まらない。あたしはあくまで冷厳とした視線で深月を見下ろしながら、言った。


「計画書は明日中に再提出。そんなに言論の自由を行使したけりゃ、自分の家でチラシの裏にでも書いてろっての」

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