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「皮膚は培養、臓器は移植、骨・腕・足は完全人工。それがもとえもんだ。このわたし、医療工学の権威である湯之寺教授の仕事はね、この子の成長に合わせて、人工部分のパーツを交換・修復することなのさ」

 うつむいたまま言葉が出ないわたしを、天村が心配する。

「潤朱門さん、急にこんなこと言われて、びっくりしたでしょう? 僕はもうすっかり慣れちゃっているけれど、初めて聞いた人からすれば、こんなにグロテスクな話は無いよね。それにしても、八重さん」

「なんだい」

「そんなストレートな調子で話さなくたって、いいじゃないか。もっと、潤朱門さんがショックを受けない言い方があったはずなのに」

 天村は、間違っている。

 驚きこそすれ、わたしはショックも受けなかったしグロテスクだとも感じなかった。「もとえもん」ってロボットつながりかよとかそんな呑気なことさえ頭に浮かんだ。

 それにわたしは――

?」

 三たび、わたしはギョッとした。顔を上げると、湯之寺さんがその怪異的な力の込もる瞳でこちらをじっと見つめている。

 わたしに対し、きちんと言い直せばわたしのに対し向けられたその言葉に、応対したのは天村だった。

「いや、たしかに、僕の左腕がもし義手じゃなかったら、潤朱門さんはうっかり生身の人を傷つけたことになってたわけだし、その意味では安心したかもしれないけどさ」

「そりゃなんでだ。生身だろうが義手だろうが、怪我は怪我だ」

「なんでだって……。それは、もし生身の人の肩が外れたら、激痛が走るでしょう? そんな痛がってる人の様子を病院まで、直接、延々と見届けるのは、『心が痛む』というと抽象的だけれど、なんとなくその場を去りたいような、嫌な気分にはなるじゃないか」

「もとえもんは、嫌な気分になるのか?」

「それは八重さん、意地悪な質問だな。僕は情動機能が弱いから、そりゃあ嫌な気分になる程度は低いよ。言い訳をさせてもらえるなら、僕はそういうときに嫌な気分にならない自分が、嫌になることはある。だけどそもそも、潤朱門さんは僕とは違う」

 湯之寺さんはうんうんと頷いた。 

「偉いなあ、もとえもんは」

 そしてもう一度わたしのことを見る。

「茜ちゃんの説明からは省かれてたけど、事情はどうあれ、もとえもんの肩、君が外してしまったことには変わりない。この子は自分が痛みを感じていないからといって、茜ちゃんを責めないけど、世の中、そんなに甘くない。わたしは、暴行罪のようなサムシングで君を警察送りにしたっていいんだよ? もとえもんの肩が外れていて、その外れた腕が君の手首に固定されている。この状況で、もとえもんとわたしが茜ちゃんのせいだと主張したら、もう言い逃れのしようがない。茜ちゃんは賢そうだし、そのことは理解できるだろ?」

「そうじゃない」と、天村が反論する。「机から落ちた携帯を拾ったら、ちょうど眠っていた潤朱門さんが起きた。潤朱門さんは、僕が、携帯の中身をこっそり覗いてると思ったんだ。僕の体はガタがきてて、肩も外れやすくなってたわけだし、勢いでこういうことになりやすい状況だった。要するに、僕のせいなんだ」

 それに、と天村は自分の左肩に触れた。

「前に似たようなことがあったとき、原因になっちゃった人をあまり責めるようなことはしないって、決めたじゃないか。僕の体は特別だから、『危害』の定義だって普通の人とは変わる。これは『暴行』じゃなくて、『器物破損』だ。しかも、この腕は今回のメンテナンスで破棄する予定だったわけだから、関節が外れるどころか、腕自体が粉々になったって、なんの問題もない」

 自分の体が傷つくことを「器物破損」だと言い切る天村に、わたしは場の状況に似合わず感心してしまった。体の構成物の変化というのは、こういう特殊な観念まで生み出すものなのか。

 わたしは当然警察に行くのを避けたかったから、話をまぎらわすために天村が口にした「先行事例」について興味を持つふりをすることにした。

「あの、前にもこういうことがあったというのは?」

「気になる?」

 けど言わない、というふうにてっきりいやらしく拒否されるのかと思いきや、湯之寺さんは腰を捻って自分の右肩を見せ、左手で背中を指し示した。

「仕様で、肩甲骨の出っ張ってる部分の、少し外側に強い衝撃が加わると、もとえもんの肩は取れちゃうんだよな」

 トントンと該当箇所を叩きながら説明する湯之寺さんの言葉を、天村が引き受ける。

「それで、小六のとき、野球部の打ったボールが低い弾道で飛んできて、ちょうどそこに当たって、取れた。もちろん、取れた瞬間信号が途切れるから、痛くは無かったんだけど」

「まあ、それは瑣末な話だ。わたしが言いたいのは、こちらの心変わりひとつで、茜ちゃんの手首を覆うのがもとえもんの手から手錠になっちゃうかもしれないよってことさ。まずこの点を押さえようか」

 湯之寺さんはそう言ったかと思うと急にソファーの上に立ち上がり、

「だけどね、ここで一番重要なのは!」

と顔の前に人差し指を立てて見せた。次いでわたしたちを見下ろす。思わず背もたれへの負荷が大きくなる。

「わたしたちはもとえもんのことについて、ということ。そしてこれに対して茜ちゃんは、ということだ」

 その言葉を聞いてようやくわたしは。

 しまった、と思った。

 この人は、わたしのことをよく知っている。

「話しすぎた」と言ってるけど、そもそも躊躇する天村に対し「全部話しちゃえ」と促したのは他でもない湯之寺さんだ。やっと彼女の真意が見えた。こうすることが目的だったんだ。わたしにわたしを打ち明けさせることが。

 湯之寺さんは知っている。わたしが、かけがえの無いものが嫌いだということを。それから――。

「茜ちゃんなら、特にからすれば、君は君のことを、携帯の中身のことも君自身の中身のことも、話さざるを得ない。なぜならわたしたちは君に多くを打ち明けてしまったから。君はもらいすぎた分をきちんと返済しないといけない。平等な交換をしないといけない。そうだよねえ、かけがえの無いものが嫌いで、」

 だからこそ、と湯之寺さんは立てていた人差し指を折ると同時に、もう片方の手の人差し指を顔の前にかざす。

「かけがえのあるものが大好きな、ウルミカドアカネちゃん」

 喉が乾いていることに気づいていなかった。わたしは天村の左腕の上から右腕を伸ばし、まだ一口も手をつけていなかったマグカップを持つと、中の液体を勢い良く口に含んだ。

 突如、舌にまったく予想だにしない味覚刺激が走った。吹き出すのはギリギリこらえ、きちんと飲み込んだ後で、我慢した分思い切り咳き込む。

「ぐはあ! なんじゃこりゃあ!」

 天村が「どうしたの、大丈夫?」と声をかけてくるが、口の端をぬぐいながらわたしは「お前知ってて飲んでたのなら言ってくれよ」と内心半ギレ状態であった。

「あれ?」

 湯之寺さんがこれは予想外というふうに驚き、後頭部を掻いた。

「ごめん茜ちゃん。やっぱり、砂糖必要だった? 甘さが足りなかったかなあ?」

「冗談じゃないですよ!」

 わたしは湯之寺さんを睨んだ。

「甘さが足りないどころじゃありません。甘すぎます。だってこれ、黒蜜じゃないですか!」

 視界の端に、人体模型が見切れていた。「ドッキリ大成功!」とでも言ってこの状況を茶化してるようで、今すぐそのダブルピースする両腕をぶっ壊してやりたいという気持ちになった。

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