紅玻璃篇:第三章

「襲われてるってことは……やっぱ……他の識士団ギルドだろうな……?」

 ウサギのぬいぐるみを抱えて走りながら、誓が隣を疾走する絆に訊ねた。

識士クオリアが来てたら厄介だけど……ま、腕利きの識士クオリアなら暴れるヒマもなくさらっちゃうから、雑魚でしょ、たぶん」

 こちらはロクに息も切らさずに答える。相変わらずの体力だ。


「――あそこだ!」

 走り出してしばらく、児童養護施設からほど近くにある公園にて。

 黒塗りの車が数台と、数人の人影が群れているのが見えた。ダークスーツにサングラスという物々しい出で立ちの男たちが、一人の少女の周りを取り囲んでいる。

 白いチュニックにジーンズを着た少女―――書類の写真で見たとおりの龍野ななみが、ぐったりとした様子で男の一人に抱きかかえられていた。抵抗空しく、気絶させられてしまったのだろう。

 足元には盲人が使う白杖と、誓たちのために買ってきてくれたのであろうか、和菓子の包みが転がっていた。


「そこまでよっ!」


 公園に入るやいなや、絆が男たちを指差しながら叫んだ。

 突然の闖入者に男たちの動きが一瞬止まるが、絆たちを普通の女子高生と思ったのか、邪魔そうにシッシッ、と手を振ってきた。

「な―っ!」

 絆は慌てて胸の校章バッジを外すと、男たちに見せつけた。

「ちょっとあんたら! この校章が目に入らんのか―っ!」

 鳥の巣をモチーフにした精緻な作りのそれは、校章であると共に、識士団ギルド・古宮学園のエンブレムでもある。

 超法規的戦闘集団の証であるそれを見せれば、泣く子もヤクザも警察も黙り……

「……あれはどういう意味だ?」

「さぁ?」

「おい、ヘンなガキは放っておけ。それより早く引き上げるぞ」

 ……はしなかった。

 男たちが互いに怪訝な表情で顔を合わせ、肩をすくめるのを見て、慌てて絆が補足する。

「って知らないの!? エンブレムよ、エ・ン・ブ・レ・ム! 識士団ギルドのっ!」

「!」

 それを聞いた男たちが、ようやく絆たちの正体に気付いて目の色を変える。

「お、お前らの学園、知名度低すぎじゃね……?」

「ほっといてよ!!」

 真っ赤な顔で否定されてしまった。


 絆たちが識士だと知って身構えた男たちの身のこなしは、なるほど素人のものではなかった。単なる無頼の輩ではないらしい。どこかの識士団ギルドが雇った、それなりに腕に覚えのある傭兵か。

「数が多いわねー。めんどくさ」

 周囲の車から、続々と出てきた男達に囲まれながらも、さほど緊張感のない声で絆が言う。

「……識士クオリアじゃないとはいえ、この数はちと面倒だな」

 絆と背中合わせになって死角を隠しつつ、誓は周囲を見渡す。すると、公園の外におあつらえ向きのものを発見した。

「おい副会長。あれ」

「なに? …………地蔵?」

 誓があごをしゃくって示した先を見ると、そこには小さな6つの地蔵が並んでいた。アルカイック・スマイルを浮かべた、古びた六地蔵。

 可愛らしさすら覚えるその小さな石像が、一体何の役に立つというのか。

「あれで”下僕ミニオン”が使える。術に集中する間、すまねぇけど護衛頼むわ」

 そう言うと返事も聞かずに、誓は目を閉じ、両手を合わせた。


「オン・カカカビ・サンマエイ・ソワカ。―――この地を守るいにしえの守護者たちよ、どうか力をお貸し下さい」


 真言しんごんを唱え、手に持った錫杖をしゃらん、と鳴らした瞬間。

「な……っ!」

 六体の地蔵から立ち昇った輝かしい光柱に、男たちは息を呑んだ。

『念識』使いの誓にとっては、何十年、何百年もの間、無数の道行く人々が「祈り」を捧げてきた六地蔵は、強力無比な呪物じゅぶつに他ならない。

 ななみのぬいぐるみの『念識』が開放された時も淡い光を放っていたが、地蔵の中に内包された膨大な量の『念』は、それとは桁がまるで違っていた。

「……ちょっと、手加減しなよ?」

 識の量から推測したのだろう、絆が苦笑しながら忠告する。無心にお経を唱え続けながら、誓は親指を立ててそれに応えた。


 六本の光柱は地蔵を離れ、誓のぐるりを囲んだ環状に集まってくる。

下僕化ミニオナイズ!」

 そして、誓が練られた『念』の力で術を行使する。

 最初はただの光柱だったそれらは、誓の両手の指が複雑な印を組みたびに、その形を変えていった。徐々に光の眩さが薄れていき、代わりに明瞭な実体を現し始めた。

 それらはやがて、人型の輪郭をかたどっていく。


 戦闘用デュエル下僕ミニオン―――「場」に存在する『識』の量、術者の力量が共に高くなければ行使できない、下僕化ミニオナイズの中でも高位の術法であった。


 圧倒され、言葉を失った男たちの前で、誓の周りに6柱の下僕ミニオンたちが顕現する。

 容姿は誓のそれとよく似ているが、いくつか歳を経た精悍な風貌の大人の男性である。中世の僧兵を思わせる出で立ちだが、頭を包むのは白袈裟しろげさではなく白いパーカーであるなど、微妙に現代風の洋服にアレンジされているのは、術者のイメージする「強そうで格好いい」装束を具現化してのことだろう。

 各々が軽々とかついでいるのは、巨大な薙刀なぎなたまさかり刺又さすまた突棒つくぼうのこぎりといった七つ道具。

 武蔵棒弁慶むさしぼうべんけいを気取るにはやや貫禄が足りないが、屈強な下僕ミニオンたちであった。


 下僕たちが完全に実体化し終わると、誓はつむっていた目を開いた。

 誰もが息を呑み、静まりかえった公園に、6体の分身に囲まれた誓の声が朗々と響く。


「皆月誓と戦闘用デュエル下僕ミニオン転輪六騎衆チャクラム・ラウンド。『念識』の真髄、見せてやるぜ!!」


 それは、さながら伝説の円卓の騎士団ナイツオブラウンドのごとく。

 あるいは、歌舞伎十八番・勧進帳かんじんちょうにおける源義経とその忠臣である弁慶らのごとく。

 男たちに向かって、一糸乱れぬ動きで、7人の誓は見得を切ってみせたのだった。


 *


 「ぐはぁっ!?」

 戦闘の口火を切ったのは、下僕ミニオンの一体が放った一撃だった。

 一足跳びで黒服の男の一人に詰めよると、左手で強烈なアッパーを見舞う。180センチを優に超える大柄な男がやすやすと宙を飛び、そのまま後方に停車した車に激突、ボンネットが凹むほどの衝撃だった。

 スピード、パワー共に人間のそれを凌駕して余りある戦闘力である。右手に抱えた薙刀をあえて使わなかったのは、手加減してのことだろう。

「あ、わりィ……ちょっと力加減ミスったか?」

 すでに動かなくなった男に向かって、誓が申し訳なさそうに詫びる。識士クオリアではない人間を相手にするのは久々のことで、どうにも力の匙加減が難しい。

「ははっ、すごいじゃん! この「場」じゃ、あんたに任せたほうがよさそうだね……っと!」

「ぐぅ……っ!」

 そう言いながら、ひるがえるスカートを気にもせずに、絆は回し蹴りで手近な男の頬に靴底をめり込ませた。こちらも下半身のバネを利かせた、見事な蹴りであった。

「……ちぃっ! 油断するな!」

 ハッと我に帰ったリーダーと思しき男の指揮の下、男たちが二人に襲いかかる。他の下僕ミニオンたちも各々散開し、公園は一気に敵味方あい乱れる乱戦となった。


 絆の体術は見事だった。水のように流れる動きで男たちの拳打をかわしながら、隙を突いてフェイントを織り交ぜた強烈な一撃を見舞う。柔軟な体を活かした、静と動の入り混じった攻撃は男たちを幻惑し、次々とクリーンヒットを決めていった。中国武術のような動きが見て取れる、熟練した套路とうろである。


 誓の下僕ミニオンたちも負けてはいない。

 絆のような変幻自在の動きこそないものの、こちらには大の男にも遥かに勝るパワーがあった。そして――

「くたばれぇぇ!」

 劣勢を感じた男の一人が車に乗り込むと、術者である誓を轢き殺さんばかりの速度で背後から突っ込んでくる。

 あわや誓が跳ね飛ばされそうになったところで、下僕ミニオンの一体が前面に割り込んできた。

 響き渡る、衝突の轟音――――だが、それだけである。

「……ありがとよ」

 術の制御のための読経を中断して振り返ってみると、半身になった下僕ミニオンが片腕をゆるく曲げたガード一つで、大型セダンを完全に受け止めていた。大きくひしゃげたバンパーとひび割れた窓ガラスから衝撃の程度が知れるが、下僕ミニオンは地面から生えた不動の柱のごとく、微動だにしていない。

 車を睨んでいた下僕ミニオンは誓の視線に気付くと、微笑みながら、チッチッチと指を振ってみせた。


 地蔵に込められた『念』は、道中の厄災からの保護や、我が子の健康や安全。つまり『守り』こそ、その本質である。その『念』を引き出された下僕ミニオンたちに、このような尋常ならざる防御力が宿るのは必定であった。

「すごいぞ下僕ミニオン! がんばれ下僕ミニオン! かっこいー!」

 襲い掛かる男たちを余裕の表情であしらいながら、おどけた声援を送る絆。あくまで下僕ミニオンしか応援していないのがミソである。

「てめぇっ! 言っとくけど、操ってるのはオレだかんなっ!?」

 不平の声を上げる誓。

 確かに、下僕ミニオンの一体に守られながら、その場に突っ立ったまま合掌する彼のみ戦闘には直接参加していないが、無論サボっているわけではない。

 精神を集中させて術の制御に専念しているのである。これだけの「質」の下僕ミニオンを6体同時に操作するとなれば、脳内の情報処理量は相当なものだ。自分自身も立ち回りながら……というわけにはいかないのだった。


 軽口を叩き合いながらも、絆と誓たちは確実に敵を沈めていく。

(な、なんなんだ、こいつら……話と違う……!?)

 腕っ節には自信のあった部下たちが、たかだか2人の高校生に次々と倒されていく。リーダーの男にとっては、予想だにしない状況だった。


『誘拐する時、もしかしたら護衛が付いてるかもしれないケド、ザコ識士団ギルドだから安心してイイヨ。殺しちゃっても後始末はするし、いざと言う時は援護もするカラ!』


 つい先日、この誘拐を依頼してきた者が話していたことを思い出す。

 その話しぶりと法外な報酬、そして何より依頼主の抜群の知名度に安心して受けた依頼だったが――――。

(くそっ! 信じていいのか、あの小娘……!?)


「もういい、抜けっ!」

 できることなら穏便に済ませたかったが、もはや手段を選んでいる余裕はない。

 リーダーの男は部下に号令をかけると共に、自らも懐に手を伸ばした。

 その手が拳銃をつかんだところで―――

変質化メタモライズ!」

 鋭く飛んできたのは絆の声だった。


 その瞬間、サングラスをかけた彼らの視界が、突如として白一色に染まる。


「!?」

 唐突に視界を奪われ、動揺する男たち。咄嗟にサングラスを外そうと手をかけるが、その隙をもちろん絆たちは見逃さない。男たちのガラ空きになった腹に、あるいは顎に、目にも止まらぬ速さで拳と蹴りが叩き込まれる。

 リーダーの号令の声からほんの数秒の後……絆たちの周囲には、銃を抜くことすらできずにやられた男たちが倒れ伏していた。

「レンズをちょっといじらせてもらったの。あたしとる時に、眼鏡をしていたのが運が悪かったね」

 ようやくサングラスを外したリーダーの男が見れば、10人を超える手勢を揃えていたにも関わらず、もはやその場で立っているのは、自分と2人の部下だけだった。

「くそっ!!」

 追いつめられた男たちが、銃の引き金を引いた。

 誓と絆に迫る弾丸……しかしやはり二人の前に立ち塞がった下僕ミニオンの強靭な体が、9ミリ弾をもなんなく弾き飛ばす。

「ば、化けモンかよ、こいつら…………っ!?」

 銃すら通じず、あまりの力の差に戦意を失いかけた男達に、絆が詰め寄る。

「さてと。じゃあ、そろそろ覚悟を決めてもらおうかな?」

「……っ」

 絆たちが勝利を、男たちが全滅を覚悟した、まさにその瞬間。


「な、ななみおねえちゃん……?」


『!』


 思いもしない所から、思いもしない声が響いた。

 その場の全員が顔を向けた先には、公園の別の入り口、男たちの背後に立つ小さな男の子がいた。先ほどの園長の話にあった、ななみを捜しているという同じ児童養護施設の子供だろうか。

「動くな!」

 我に返ったリーダーの男が、天恵とばかりにその子供に拳銃を向ける。

「しまった……!」

 思わず絆たちの動きが止まる。

  下僕ミニオンを回り込ませようにも、場所が悪すぎた。絆たちが少しでも動こうものなら、間違いなく彼らは引き金を引く。そう確信させるほど、追い詰められた男の目には危険な光が宿っていた。

 一気に形勢逆転したことで、男たちは引きつった笑いを浮かべる。

「は、ははは……惜しかったな? おい、さっさと車を出せ! 引き上げるぞ!」

 銃をその子供に向けたまま、リーダーの男はじりじりと車に近付く。気を失ったななみも部下たちに抱えられて、車に連れ込まれてしまった。


「ちぃっ……」


 歯噛みする絆。

 男たちを『殺していい』のなら、この場を切り抜ける術はいくらでもあった。

 車に乗り込んだ男たちの目の前に張られたフロントグラス。

 胸ポケットにしまわれたサングラス。

 それらを凶器にすれば、今この瞬間にでも――――。


(……駄目! ……それじゃ……あたしは、また―――――)


「お、おいっ、どうした副会長!?」

 不意に両手で頭を抱える絆。

 様子がおかしいことに気付いた誓が心配して声を上げるが、その隙にリーダーの男も車に乗り込んだ。

「それじゃあな、ガキども!」

 そして自らハンドルを握った彼の号令で、二人の部下が車窓から最後の土産とばかりに、銃弾の雨を浴びせかける。

「……六騎衆ラウンド、頼むっ!」

 誓の命令で、下僕たちが二人の盾となった。威嚇射撃だったのだろう、足元を狙った何発もの銃弾が公園の地面を抉った。

 銃声が静まるのを待って、下僕ミニオンの影から顔を出した誓が見れば、急発進した黒い乗用車は、土ぼこりを上げて公園から脱兎の如く走り去るところだった。


(……くそっ! 追いつけねぇ……)


 追い付けないのを覚悟の上で公園を出る。

 半ば絶望的な気分でその後ろ姿を見送る――――かと思った、その時。


具現化イデアライズ


 低く静かな、しかし、力強い女性の声が響く。

 付近の住宅地に立った道路標識――『徐行』と書かれたその文字が、淡い光を放つ。すると、まるで急ブレーキがかかったかのように、男達を乗せた車がのろのろと走り始めた。


「――会長か!」

 言うまでもなく、学園が誇る書識使いの識術であった。誓たちに追い付いた紗夜が、手を標識に向かって広げている。

 見れば、標識にペンキで書かれた『徐行』の文字が、見る見るうちにぼやけ、塗料が滲んだかのように溶け始めていた。

「……あまり長くはもたないわ。さっさと片付けなさい」

 永久に効力を発揮し続けられる識術は存在しない。おそらく、この文字が完全に形を失った時、彼女の術は効力を失うのだろう。


「あ、ああ。行け、お前達!」


 足さえ止めてしまえばこっちのものだ。

 予期せぬ徐行を強いられ、パニックに陥った様子の車に、瞬時に追い付いた6体の六騎衆ラウンドの猛攻によって、敵は完全に沈黙したのであった。


 *


 ななみを下僕ミニオンたちによって車から救出させつつ、誓は思わず安堵のため息をつく。

「ふぃ~……終わった終わった。助かったぜ、会長」

 そこに、珍しく、しおらしい様子で絆が伏し目がちに紗夜に向かって謝ってきた。

「ごめん……あたしがミスった……」

 子どもという予期せぬ闖入者ちんにゅうしゃがあったとはいえ、敵の逃走を一度許してしまったことは、彼女にとって恥ずべきことであった。識術で先に車を潰しておくなり、周囲の住宅のガラスを視覚化ビジュアライズして子どもの接近を事前に察知するなり、いくらでも対処の仕方はあったのだ。

 そしてそれは、おそらく昔の彼女にとっては容易なことで……。


「あいたっ」


 そんな絆の頭の中を見透かしてか、紗夜の軽いデコピンが額を打つ。


「何度言わせるつもり? そうやって、何もかも自分だけで解決しようと抱え込まないで」


 そう言って腰に手を当てる紗夜。

 過去に囚われて浮かない顔をしていた絆は、その一言でハッとした様子だった。

 体術はもちろん、識士クオリアとしての実力も絆には一歩も二歩も劣ると思われる彼女だが、なかなかどうして、頭が上がらない存在であるようだ。

「さてと。男の子も怪我はないようだし……さっき学園長に電話したのだけど、このまま家に送り届けても危険だから、しばらくななみさんはうちの学園で預かることになったらしいわ」

連合ユニオンは? まだ迎えに来ないのか?」

 紗夜が言うには、ななみが連合ユニオン直営の学校に入学するというのは、まだ正式に手続きが終わった話ではないらしい。2,3日のうちにはその手続きも完了するが、その間無所属の一般人に過ぎないななみを放置しておくのは危険極まりないため、連合ユニオン旗下の古宮学園でその身柄を保護せよ、ということだ。


「後の処理は連合ユニオンに任せて、行きましょう。警察に見つかると色々面倒だわ」

 見れば、もう陽が傾きつつあった。

 戦闘の後の疲れはあるが、任務が達成できたことによる心地よい疲労感であった。


 男の子を送り届けがてら、施設のおばさんに挨拶を済ませる。おばさんはななみの無事な姿に目に涙を溜めながら、くれぐれもよろしく頼む、と頭を下げた。


 再び彩乃の軽自動車に乗り込む。

「ハラ減ったな。帰りにコンビニ寄ってくれ、副会長」

「坊さんなら、道の草でも食べてれば?」

「……てめー、ちったぁ殊勝になったと思ったらぁぁぁ!! もっぺん、転輪六騎衆チャクラム・ラウンド呼んだろかコラァァァ!」

「上等よ!」

「い・い・か・ら・帰・り・な・さ・い・!」


 そして、来た時と同じように賑やかに。

 いや、来た時とは違って後部座席にすやすやと眠るななみを寝かせて、4人を乗せた車は、夕焼けの中をのんびりと家路についたのであった。


 *


 絆たちの車が帰路に付いて、しばらくした頃。

 誓たちが男たちと戦闘を繰り広げた公園は、物々しい雰囲気に包まれていた。

 複数の人間が倒れているとの通報を受けた警察が、現場を封鎖して捜査に当たっていたためである。警官に交じって、連合ユニオンから派遣されたと思しき者も見えた。彼らがマスコミ各社に裏から手を回すことで、この騒動もほとんど報道されることなく処理されるのだろう。

 厳重に張られた立ち入り禁止テープの外側には多くの野次馬が群がり、ギャング映画さながらの様相を呈した夕暮れの公園に見入っていた。

 

 ざわついたその人混みから少し離れた木陰に、やはり公園の様子を窺う2つの人影があった。

 黄昏たそがれかれ時の名前の通り、夕陽のおかげで顔は判然としない。

 救急車に担ぎこまれる男たちをじっと見ながら、小さいほうの影がやや舌足らずな声で言う。絆たちよりも年下か、まだ幼さの残る声だった。

「フムフム。スーツの痛みと汚れから見て……みーんな徒手空拳で倒されてるネ。銃すら抜かないうちに、やられた者もいるミタイ。さすが姐姐ジェジェネ!」


 はて、この距離でそこまで詳細なことが見えるのだろうか。

 ましてや、懐の中にしまわれた銃まで見通すとは。

 しかし、それを聞いた大きいほうの影は、得心した様子で頷いていた。

「そうでなくては困りますわ。この程度の咬ませ犬相手に」

 こちらは落ち着いた若い女性の声である。声色から判断するに、彩乃と同年代といったところか。

「警察からはこちらからも手を回しなさい。いつも通り、ダミー会社を経由するのを忘れないように」

 口ではそう指示を飛ばしながらも、女性の目は手にした現場の遺留物……サングラスに向けられたままである。レンズを夕日にかざして、じっと観察していた。

  絆が倒した男たちが身に付けていたものである。そのレンズは未だ絆の変質化メタモライズ状態を保ったまま、白く濁っていた。


原來如此ヤンライルーシー。なるほど。レンズのガラスの結合を緩めて、無数の微小な空隙を発生。視界を奪ったところに一撃……といったところかしら。術の速さと精確さは、さほど錆びてはいないようですわね」

 それはほぼ完璧に、絆の施した識術を見抜いたものだった。

 しかし―――

「――甘すぎますわね」

 ミシリ、とそのレンズにヒビが入る。

 細い指に似合わず、かなりの握力の持ち主らしい。

 いや、握力だけではない。

 武術に精通した者が見れば、微笑を浮かべたこの女性の隙の無さ、全身からにじみ出る尋常でない鋭さの闘気に戦慄したことだろう。

「視界を奪ってから殴る? ふっ、随分と回りくどいことを……。戦闘開幕時にレンズを刃に変えて、眼球ごと脳を貫いて即死させる、それがあなたのいつものやり方ではなくて?”紅玻璃ブラッディ・グラス”の輝きも、ずいぶんと色褪せたものですわね」

 懐かしむように。さげすむかのように。

 レンズを見つめたまま、まるで絆に語りかけるように、女性は一人ごちるのだった。


「そ、そんなことナイヨ。きっと雑魚相手だから、手加減したダケネ! その、日本リーベンは殺人とかには色々うるさいだろうし……そ、それよりお腹空かない? 本場のスシかテンプラ、食べに行こうヨ!」


 その様子を見ていた小さいほうの影が、慌てた様子で口を挟んだ。子供のように相方の首にじゃれつきながら、不安げにそっとその顔色を窺う。

「……それもそうですわね。久々の休暇を楽しみませんと」

 そう言うと、あっさりとサングラスを放り捨て、女性は首にしがみついた少女の額に自分の頬を合わせた。

「わーい!」

 少女は大げさにはしゃぐと、女性の手を取って歩き出そうとする。

「しかし―――」

 あくまで微笑を顔に張り付けたまま、女は続けた。

「時には少しの休憩も必要ですが、あまりに長すぎる休暇は考え物――。そうは思わなくて、緋連フェイレン?」

「そ、そうネ……」

 緋連フェイレンと呼ばれた少女は怖くて振り向けないまま、ごくりと唾を飲み込みながら答えた。

  

 いつの間にか夕日は沈み、宵闇よいやみが街を覆い始めていた。

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