ヘブンズドア
6
よく知る親の顔が、はっきりと見えるようになってきた。
涙を流すこともなく、ただ命令を実行する機械のようだ。
ああ、死ぬんだな――。
寿命でもなく、交通事故でもなく、明らかな敵意によって自らの人生に幕が引かれるなんて考えたこともなかった。
それも、父親の手によって。
こういうのって、なんていうんだっけ。
親不孝というには、引き金を親が引くのだから違う気もする。
そういえば、最後まで伝えられなかったな。
林日向子。
彼女が夢人だと知ってからも、彼女への好意は変わらなかった。むしろ、何故だか強まった想いもある。
それは、愛情と呼ぶにはあまりにも透きとおっていて。
友情と呼ぶには、あまりにも濃い色をしていて。
尊敬と呼ぶにも、くすぐったくなってしまうような。
きっと、そういうもの全部。彼女の全てを、これからも傍で見て、感じていたいと思った。
脳天に冷たいものが突きつけられるのが分かる。
いつの間に目を閉じてしまったのだろう。
子供を殺す、親の顔を見たくないのだろうか。
いつの間に頭を垂れてしまったのだろう。
親に殺される、子供の顔を見せたくないからだろうか。
『次にもし、人間に生まれ変わったら、僕が良いようにしてあげますよ。君が死んだときに、記憶に関する部分は全て壊させてもらいますけどね』
それじゃあ、と伊勢崎が告げ昭に命令が飛ぶ。
鉄の塊が、遠藤の脳天を穿つ。
一瞬だけ激痛が走り、無が訪れる。
はずだった。
鈍痛とも呼べるそれは、遠藤の頭の中を縦横無尽に駆け巡った。
酷い頭痛の中顔を上げると、遠藤昭はすでに拳銃を手から落として体を痙攣させていた。遠藤を取り囲んでいたAAOの隊員も同様に体の自由が利かないらしい。
「何が……」
『――――っ!』唯一頭部を残す伊勢崎も、水槽の中で苦悶表情を浮かべている。
遠藤は激しくなる頭痛に耐えながらも、周囲を警戒する。
階段側、倉持が追ってきている気配はない。ガスの類でもなさそうだ。
『また――お前か』伊勢崎が何かに気づいたようだ。
それと同時に、大型転移装置が大きな音を立てて唸り始める。スーパーコンピュータを全力で冷却しているファンのように、何かが回転する音が次第に高まっていく。
次の瞬間。
《先輩!》
このフロアから聞こえてきたのか、それとも脳内で響いたのかわからない。それでも、遠藤はその声の主に胸が熱くなった。
「日向子、いるのか!」
『小癪な……』伊勢崎は頭部と接続され、もはや体の一部となった大型転移装置の出力を上げ続ける。
《また会うことになるって言いました……!》日向子の声は苦しそうに、それでいて芯の通った力強いものだった。《この一回に、私の全てを捧げます――》
ガコン、と音がしてフロア全体の照明が落ち、大型転移装置の発する青白い光がますます強くなっていく。
AAOの隊員や遠藤昭は意識を失い、床に臥す形になっていた。
伊勢崎は、他の者たちを操る余裕を奪われている。それほどに、日向子の夢人としての力は強大らしい。
『シグマの力を得たこの僕と互角に渡り合う……。それがどれだけ――、君の負担になっているか自分が一番わかっているんじゃないのかね』
《――言ったはずです。私の全てを捧げる、と》
シグマ、と呼ばれたその大型転移装置はさらに運転を加速させ、排熱が熱風となってフロアに吹き荒れ始める。遠藤も立っているのがやっとの状態だ。
『結果を知りつつもなお譲らない……』伊勢崎の水槽には気泡が生じ、必死に頭部を維持していることが伝わってくる。
先程の頭痛が段々と薄れてきた。日向子が優勢になっているのかもしれない。
これほどのSエネルギーがせめぎ合い続けたらどうなるか――。それはまだ完全にSエネルギーを習得していない遠藤にも何となくはわかった。悪い方向のことが起こるのは確実だ。
頭痛の代わりに、遠藤の脳内には言葉にはしない日向子の想いが、洪水のように流れてくる。
身を切るような痛みに耐えながら、日向子は今戦っている。
イレーネの長として、夢人技術を頂点に立った者としての務め。
関係のない人を、関係のない宇宙を、巻き込むわけにはいかない。
みんなを、守る。
そんな日向子の想いの中に、諦念と呼べるようなものを微かに感じた気がした。
「日向子! だめだ、無茶をするな。後は俺がどうにかするから!」
声を枯らして叫ぶも、八次元の日向子には届いたのかもわからない。今ここで自分が介入しようとしても、日向子の足を引っ張るだけだ。
違う。
マイナスに考えるな。悪い癖だ。
日向子なら、何て言うだろう。
いつまでも頼りっ放し……?
そんなのは、もうごめんだ。
俺の大切な人。守らなきゃいけない人。
俺が――守りたい人。
遠藤が目を瞑る寸前、赤い灯と共に警告音が鳴り響き始めた。視界の隅で、シグマの青白い光と警告灯の赤が交わる。
爆発音を、聞いた気がした。
「先輩は……こっちには呼んでいないはずです――」
「俺のSエネルギーも、少しは足しになるだろ」八次元の思念の中で、遠藤は笑った。
「せっかく使える人材だと思ったんですがね」伊勢崎の声だ。「もろとも宇宙の塵となって消えるのもいいでしょう。もうここまで来てしまったら、僕も制御不可能だ。シグマは暴走している」
自分の目で見ているのか、はたまたこれは脳内だけに視えている景色なのか。エメラルドグリーンの風と、ドス黒さを秘めた紫の風がぶつかり、どんどんと中心が黒々とした球体に変わっていくのを感じた。
「彼は、この後も生き続けるわ」日向子が一瞥もせずに言った。
伊勢崎の思念はますます黒さを増し、光を飲み込む黒へと変化していく。
彼は、とはどういう意味だろう。
Sエネルギーの奔流の中で、遠藤は思った。
爆発の寸前、遠藤を優しく包むものがあった。
日向子の腕。
か細くも、陽だまりのような温かさを感じる。
実体のない八次元でも、遠藤はその腕のぬくもりを感じた。
彼女は遠藤の耳元で、最後にこう囁いた。
「絶対に忘れない。あなたがどこにいても、私は見守っているから――」
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