想いの間隙を縫って
5
遠藤は吐き気を必死にこらえる。
異様だ。一言でいえば異様だ。目がぎょろぎょろと動いており、狂気の形相で笑っている。
『遠藤君! 僕ですよ。覚えていますか』伊勢崎のデジタル的に作成された奇妙な声は、スピーカーで四方八方から増幅され聞こえてくる。もはや、ケーレスで遠藤の部下だった伊勢崎の面影はない。『ショックで声も出ませんかぁ?』
「クソが……」遠藤が吐き捨てた言葉は虚しくも伊勢崎の声に掻き消される。
『いけませんよ、そんな言葉遣いだとすぐに殺しちゃいますよ』伊勢崎がAAOの隊員に目を向ける。
すると、彼らはロボットのように行進を開始し、遠藤を三百六十度から取り囲むようにして停止した。AK64ZBのセーフティーは外れている。
「殺すなら、殺せよ」遠藤は眉間が熱くなるのを感じた。「負けだよ、俺らの。まさかお前が黒幕だとはな」
『君は周りに関心が無さ過ぎるんだ。だからこういうことになる。覚えていますか? ケーレスの遠藤昭特別対策室長を別宇宙の昭と接触させ、夢人の存在を証明した時の事を』
伊勢崎。遠藤がこの男と接触した最初で最後の瞬間。特査の応援を受けるために、倉持と協力してそれぞれを別宇宙の自分とSエネルギーを介して会わせた時のことだ。
そうだ、あのとき、一人だけ転移をしなかった人物がいたではないか。
なぜあの時不審に思わなかった……?
すでにあの時からこの男は――。
『ようやく思い出したようだ。まあ、ケーレスの人間にそこまで求めるのも酷なものかもしれないな』伊勢崎の頬に余裕の色が滲み出る。
隣に立つ昭は微動だにしない。この男も伊勢崎に良いように使われていたということか。
『いや、彼は本当に支配欲にまみれた男だよ。今の今まで、僕に操られていたことすら思い出せずに、今までの行いはすべて自分でやり遂げたと思い込んでいたんですよ。少しそっとしてあげてください』伊勢崎がそう言うなり、昭は無表情のままその場に倒れ込んだ。
「意のままに操れるのか……?」
『操るという言い方はもしかしたら語弊があるかもしれませんよ。ただ僕は、皆さんのSエネルギー内の感情を強めたり弱めたりしているだけですからね。今だってほら、そこの隊員さんたちは自我は失っていない。彼らの自我に抵触しないように、肉体のほうに“敵に銃を向ける”という脳からの命令を極限まで強くしてあげているんです。もちろん、君を敵だと肉体には誤認させていますが』器用でしょう? と伊勢崎は笑う。
「俺には、結局お前が何をしたいのかが全く分からない」銃口を幾つも向けられ震える身体を抑え、遠藤は静かに言った。
『君はこう思ったことはないですか』伊勢崎は揚々と話し始める。『他人の思っていることが全て分かったら、どんなに楽に生きられるか、と』
遠藤はあえて無言で伊勢崎を睨んだ。
『例えば……そうです、フィクションの話をしましょう。漫画や小説、映画などある程度のストーリー性のある創作物には大抵主人公が設定されていますね。そして主人公の周辺の人物だけが切り取られ、その物語の補助としての役割を果たします。最後にはハッピーエンドかバッドエンドのどちらかが提示され、物語の幕引きとなる。まるで、主人公のためにその他の人物が生きているみたいではありませんか。そうは思いませんか?』
「考えたこともない。それとお前のした数々の殺人や破壊と何が関係がある」
『誰しも一度はそう思ったことがあるはずなのです。何せ、現実の世界では自分の目で見、耳で聞き、直に触り、匂いを嗅ぎ、そうした主観に囚われて僕たちは生きているのですから。対して、フィクションを享受する僕らは神の視点で物語を追うことができる』
「……神にでもなるつもりか」伊勢崎の話を聞いて出てきた言葉の内包する危うさに、遠藤は自分でも驚いた。
『それは大仰な言葉ですね。君も、僕も夢人だ。それも適合者の中でもトップクラスのね。僕は本当は肉体なんてものはいらないと考えているんですが、八次元への干渉にはどうしても脳が必要不可欠でして。この装置を維持するために周りの世話を命令するくらいなら僕には容易なことです。肉体を維持するエネルギーが無駄たと判断したため、タルトピアではこのような形で居座ることにしたんです』
意図的に一個人に対して客観を持たせるということ――。
それはつまり、全人類の主観を殺すこと、個人を殺すことと同義であった。
これは、極限まで突き詰めた全体主義なのか……。
遠藤は身動き一つできない中、ぐるぐると思考した。
『これこそが、僕が結論付けた人類の最終形、ユートピアということです』スピーカーからの伊勢崎の声は、合成音声らしくヴァーチャルな響きを残しつつも、興奮で次第に震え始めた。『君には僕の次にこの世界を体験する権利がある。それくらい、君の潜在能力は高いのですよ。せっかくの権利だ。権利の上に胡坐をかいていてはいけないと思うんですがねぇ……』
「俺に、協力しろという気か」
『協力……? 勘違いしないことだよ遠藤君。もし、君がこの権利を行使せずに放棄を選択するというのであれば、君はただの凡人、無価値! 不誠実! 生きとし生けるものすべてに頭を垂れて死んでも足りない……。この権利がどれほどの犠牲の上に成立しているか、ゆめゆめ忘れるなよ』
「遠藤修介。これは大切な決断だ。お前の命だけではなく、世界の命運が懸かっていること、お前にもわかるだろう」全権者も伊勢崎の後を追って遠藤に言う。
もっとも、全権者を伊勢崎が操っていることが分かった今では、彼の意志で話しているのかを確かめる術はない。
「客観を持たせた先に、何がある。今だって夢人とそうでない人がいる。ケーレスじゃ夢人の存在以前に、八次元空間を実際に観測することすらできていないんだ。宇宙は、互いに干渉すべきじゃない。自分の世界だって一人じゃどうにもできない人間が、他の宇宙に干渉して悪影響を与えていいって理屈がどこにあるっていうんだ」徐々に遠藤は銃を向けられていることを忘れて伊勢崎にだけ集中した。
『違う! 僕は一人でどうにでもできる人間だ。その気になれば、この地球さえ手中に収まるんだ! 僕の力さえあれば……』
「それだよ」遠藤は畳みかける。「あんただって、結局はSエネルギーを使って他人を動かしているじゃないか。それで何が一人でできるだって? 冗談じゃない。人の心に土足で入って、使えるだけ使ったらゴミにでもするつもりか。そうだろ? お前一人じゃ、何もできやしない」
黙れ、という伊勢崎の大音量の合成音声が不意に遠藤の鼓膜を揺さぶった。思わず両耳を塞ぐ。
『君は、それほどの潜在力を持ちながら、僕を拒否した。君は、機微というものが分かっていないらしいね。死んだら、そこで終わりだというのに』伊勢崎は怒りに顔を歪ませることもなく、横にいる遠藤昭に目配せした。『彼に引導を渡してやってくれ』
音もなく遠藤昭は修介のもとへ歩み始めた。
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