狂乱の宴

     4


 足元の非常灯に導かれて進む。非常灯とは思えぬほどの暗さが階段を支配していた。それ以外の灯りが無いため、一行はバイザーのナイトビジョンをオンにして階段を這うように、ゆっくりと上がっていく。

 遠藤はこれまでのイレーネでの生活を思い出していた。

 朝は早かった。人工太陽は正確に早朝五時から徐々に明るくなっていき、一時頃に明るさのピークを迎える。それに合わせて、起床は五時半。水耕栽培で生産された野菜や、かつての野生の動物の細胞を培養して作られた人工肉などが、個人の体調などを考慮した上で全自動で調理され、朝食として提供される。

 食事を終えるとすぐに筋力トレーニングが始まる。実際に戦闘を行う身体はタルトピアの遠藤のものなので、基本的には自重で行うものがほとんどで、主に精神を良好に保つためのものだ。

 筋トレもそこそこに七時半からVRによる訓練が始まる。昼休みの四十五分を除いて、この訓練が夜の八時まで続く。ゴーグルから見える景色は、煙がくすぶり爆撃で土が抉れた紛れもない戦場である。ゴーグルは鼻まで覆うマスクのような形状をしており、血生臭さや土のにおいなども完全に再現されている。そこで繰り返される戦闘は、遠藤から心の温かさとも言える優しさや情け、思いやりなどの感情を抑えさせるのに充分すぎるほど熾烈で、悲しいものだった。

 夜は夕食後、心理カウンセラーによるカウンセリングがあり、遠藤の心を壊さないようにという配慮がなされた。

 要するに、遠藤はこの一年半、徴兵されてすぐ戦場へと送り込まれたような日々を送っていたのである。

 だが、倉持や林日向子でさえもこれと同様にVRによる戦場経験を持っていた。日向子の場合は、遠藤が使えなくなった時の補欠として、遠藤より早くにこの訓練を始めたらしいが、どうやら彼女は疑似的に何人かの兵士の一生をSエネルギーを介してすでに経験していたようで、VRでの訓練は早々に終わったのだという。

 そういう話や、戦場を直に経験して内に沸いた感情について考えてみると、遠藤は涙が出そうだった。心を無くして、立場の違いだけで殺し合わなければいけない戦場という世界。まるで自分が自分でなくなっていくような、自分という存在がどんどん他人の血で薄められていくような。

 現実は厳しい。

 そんな言葉は、今までの人生で何度となく聞いてきたが、今ほどこの言葉の重みが直接のしかかってきたことはない。遠藤はそう思いながら歩を進める。

 数階層分階段を上っただろうか。緑がかったナイトビジョンの視界の中に、一際輝いて見えるものがあった。すぐにナイトビジョンをオフにして確認する。

 踊り場に扉がある。光源は扉の横にある電子パネルだった。パネルの上には赤いライトが点いていて、パネルには人の手の形が表示されている。遠藤は血にまみれたグローブを外して、手のひらをそっとパネルへと触れさせた。

 驚くべきことに、電球のマークでも出そうな効果音と共に、赤かったライトがグリーンへと変わった。遠藤は分隊員に合図をして、戦闘態勢を取らせる。

『……生体認証完了。ようこそ、遠藤様』

 遠藤はぎょっとして一歩後ずさった。

「……ゼカリア」遠藤はマンションの一室を頭の片隅に浮かべた。

『待ちくたびれましたよ、遠藤様。たったあれだけの雑魚を殺すのにどれだけ時間がかかっているんですか』

 遠藤は耳を疑った。ゼカリアというのはただの人工知能のようなものではないのか。だとすると、この言葉遣いは何だ……?

「お、お前はなんだ」

『皆様の暮らしをサポートする人工知能、ゼカリアでございまーす』無邪気な調子でゼカリアは話す。『遠藤様、早く中にお入りください。僕はもう待ちくたびれているんですよ。退屈で退屈で』

「国民の生活をサポートする人工知能が、そんな口調なはずがないだろう。どうなってる……」遠藤は気味悪さと同時に、ゼカリアの声に違和感を覚えた。

『さあ、早くお話ししましょう。実際に目と目を見て』

 ゼカリアの声色が、だんだん変わってきている……。

『入れ』

 その声に確実な聞き覚えを感じながら、遠藤は背後から突き飛ばされる形で前のめる。

 自動ドアが開き、遠藤はその部屋の中にバランスを崩して倒れ込んだ。

「誰だ」遠藤が後ろを振り向きハンドガンを構える。

 見ると、分隊員全員が遠藤に向かって銃を向けていた。

「なっ……!」遠藤は身動きが取れなくなる。

 部屋は薄暗かった。遠藤たちが入ってきた扉はこの部屋の側面のようで、左から右に通路が伸び、右手には巨大な金属の構造物が、窮屈そうに配置されている。

「何のつもりだ……」遠藤はAAOの予想外の行動に頭が混乱した。

 だが、遠藤に銃を向けている当の本人たちも、皆一様に苦しそうな表情をしていた。

「身体が……勝手に……」

「言うことを聞かない……何故だ……」

 遠藤にはすぐにピンとくるものがあった。

 自分の意思とは無関係に躰が操作される。つい先ほども体験したことだった。

 片瀬と同じく、身体が乗っ取られている可能性がある……。

 先程と異なる点は、AAOの隊員は遠藤に銃口を突きつけながらも、誰も発砲しなかったことだった。

 入り口から向かって右手の方で、堪えたような笑い声が聞こえる。

『近くまで来てその顔を見せてくださいよ。その疑念にまみれた表情を』

 ゼカリアらしき声が暗闇にこだまする。

 青白い光を発するその機械群は、遠藤にはさながらゼカリアという人工知能を具現化したように思えた。

 これが大型転移装置――。

 俺たちの破壊目標だ。

 禍々しささえ感じさせる光に、人型の影を落とす者がいた。

 全権者。実の父。遠藤昭。

 一瞬、肉親の表情に遠藤は怯む。

「あんたは――親父は何がしたいんだ」

「親父――、とはな」昭は岩石の如く硬そうな顔に皺を寄せる。「お前と私には、血の繋がりはない。何を思ってそのような言葉を選んだのかは知らんが、情に流そうと考えたのなら愚策と言わざるを得ない。馬鹿馬鹿しい」

『実に遠藤様らしい考え方ですね。とことんお人好しだ』ゼカリアは嘲笑する。

「お前に……人工知能ごときに何が分かる!」遠藤は今度こそ怯まず憤慨した。

『人工知能ですか。確かにそう思われるのも無理はないでしょう。あなたがこちらの世界で僕と初めて接触したのはあのアパートでしたからね』

「説明しろ」遠藤は要領を得ないゼカリアに命令した。

 すると、昭の横の床がパカっと開き、何かがせり上がってきた。

『こういえばわかるんじゃないですか』ゼカリアは興奮を抑えきれない声で言う。『遠藤先輩』

 床からせり上がってきたのは水槽のようなものだった。大型転移装置の青白い光のせいで、その中の水もキラキラと光って見える。その中には大小様々な管に繋がれた人間の頭部が入っている。

 伊勢崎の頭部だった。

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