銃弾が裁くもの

      3


 空っ風の吹く広場で早坂が見たのは、顔面が痣だらけになり満身創痍の状態の柳だった。その両腕を後ろで縛り上げて立たせているのは全権者の犬と成り果てた辻本。表情に一切の起伏が無い。

「辻元」早坂は侮蔑を含んだ声で呼びかけた。「人質を解放しろ」

「よりにもよってあなたが来て下さるとはね。傑作じゃないか」辻本は口角だけをくいっと上げる。

「どういうこと」

「あんたら、夢人監察官だろ。普通、そういうことは事前に把握しているもんじゃないのかい」

「勿体ぶるんじゃない。私は早く人質を解放しろと言っているのよ。交渉に関係のない話は慎むことね」早坂はすでに銃を構えている。

「関係ない? 冗談はよしてくださいよ。あなたたち二人のケーレスでの関係について言っているんだよ僕は」

 早坂は苛立つ気持ちを押さえ、辻元を睨みつけた。

「ケーレスであんたら、元夫婦だったんだってな。それが別世界にも影響を及ぼして、今こういう構図になっているんじゃないですか。元夫を助けようとする元妻。なかなか痺れますよ。転移ができなくったって、そういう事情は知らされていて当然だと思ってたけど、案外夢監も杜撰な教育をなさってるみたいだ」けらけらと辻元は笑う。

 早坂には、辻元の口から出てきたことがおそらく本当のことであると理解できてしまった。夢監の職員は夢人ではない。

 だが、夢人をサポートする上では沢山の情報が必要だ。夢人監察官は特定の夢人やその周辺の人々の各宇宙での情報を、職務上ある程度は知らなければならない。その際、自分が別宇宙でどのような存在なのかという情報は、監察官を主観的にし夢人に指示を出すような、利己的な行動へと繋がる恐れがあるなどの理由から一切知ることができないようになっていた。

 そんな盲点を利用されてしまったのだ。自分でも分かっている。柳と婚姻関係を結んでいた別宇宙の自分はあくまで別人であって、私個人ではない。その慕情が、別宇宙の私の感情を、夢人でもない私の感情を揺さぶることがあるものか。

 しかし、否定をしても現実は変わらないと早坂は悟った。辻本は、こうして私と柳を対面させることを最初から考えて行動していたのだ。実際、私には今銃を向けることしかできないでいる。

「こんなお涙頂戴なシチュエーションをお膳立てしてやったんだ。感謝してもらわなくちゃなあ」

「……件は」

「なんだって?」辻本は大げさに訊き返す。

「条件は何だ。あなたが望む条件は何」

 やっと満足げな表情を浮かべたかと思うと、辻元は一言だけ放った。

「死ね」

「――そうか」

「そうすれば、この局長は解放してやろう」

「私が死ねば、局長を解放するのね」早坂は銃をゆっくりと下した。

「……やめろ、早坂君」喉の奥から絞り出した柳の声が、妙にはっきりと広場に拡散する。「決して……早まってはいけない」

「あなたはそれで満足?」

「は?」辻元はすっとんきょうな声を発した。

「私を殺して、それで局長が助かる保証がどこにあるっていうの。あまりにも古典的じゃないかしら。あなたは私を殺したあとに、局長を人質に取っていることを良いことに私たちの部隊を皆殺しにするつもりでしょう。それで、それを全権者に報告する」

「……それがどうした」

「倉持君から聞いたわ」もう一度照準を辻元へと向ける早坂。「あなたの、全権者に対する態度は些か懐疑的だって」

「何を言っている。僕の全権者様に対する忠誠は、絶対だ。だからこそ、こうやってあんたらを殲滅する任を負っている」

「嘘はやめましょう。あなたこそ全権者に取り入って、最後の最後には自分がのし上がろうとでも思っているんじゃないかしら」

「うるさい!」辻元は柳のこめかみに銃を向けた。「黙れ。元々お前は交渉できる立場にない。そのことを忘れていないか」

「でもその様子だと、反逆の意志はないみたいね。あれかしら、自己の存在証明にでも苦しんでるんじゃないかしらね」

「お前に何が分かる」俯き激昂する辻元は、ペッと地面に唾を吐いた。「お前に……夢人でもないお前に何が分かる」

 掛かった、と早坂は心の隅で思った。

「ただの犬に成り下がったあなたは今、自分の立場に疑問を感じている。暴虐の限りを尽くす全権者にこのまま付き従っていていいものなのか。まあ私には関係のないことだけれどね」

「お前からだ……。お前から殺してやる。何も間違っちゃいない……」そう言って辻元は雄叫びを上げた。

 瞬間、二発の銃声。

 一つは、辻元。

 もう一つは、早坂。

 胸から紅い紅い液体が流れ出る。

 辻元は、狂気の表情を浮かべた。

 早坂は胸を押さえる間もなく、その場にぱたりと膝を折った。

「早坂君!」柳が血を吐いてなお叫ぶ。

「人質を取られてちゃあ、撃てるもんも撃てないわなあ」

 早坂の撃った弾丸は、辻元の横を掠め敵兵士の右足に命中した。

「お前が悪いんだ。人質を取られているというのに、余計な詮索なんかするからこういう結末になる。自業自得だな! やっぱり傑作だった」

 広場には高笑いが響く。虚しく、いつまでも。響く――かに思われた。

 辻元の背後。先程流れ弾を食らった兵士が倒れている。

「おい、そいつの止血を早くしてやれ」

 その兵士の額には、小さな風穴があいていた。

「どういうことだ」辻元は兵士の右足を見る。

 確かに、右足は負傷している。

 銃弾は二発。

 辻褄が合わない。

 次の瞬間、辻元の目の前にいた兵士の頭が血を吹いた。脳漿とも何ともわからぬ液体が、辻元の頬にへばりついた。

「何が起きてる」辻元は柳を支えていた腕を解いて、首を振る。

 次々に、兵士が頭を撃ち抜かれて死んでいく。

 それも、ある一定の間隔で。

「やめろ」辻元は大声で叫ぶ。もはや銃を持つ手はだらりと下げられている。

 懇願もむなしく、辻元を避けるようにして乾いた地面に血が広がっていく。

「狙撃……」パニックで気づくのが遅れた辻元は、ようやく事態を飲み込んだ。

 だが、そのときには辻元以外、周りには誰も立っていない。辻元のみが、取り残された。

 意気消沈し、うずくまる辻元のもとへ、足音が近づく。憤怒を込めた足音が、じりじりと辻元ににじり寄ってくる。

「……やめろ」辻元は自分の殻に閉じこもり、無意識の恐怖からなる涙に気づかない。

 足音が大きくなり、やがて辻元の目の前で止まった。

「憐れだな」雨宮がぼそっと言う。「誰かがお前を罰してくれるとでも思ったか」

 雨宮は、倒れた早坂の方を見た。もぞもぞと動いている。

「早坂さん、大丈夫ですか」

 早坂はむくりと上体を起こすと、胸に付いた赤い液体を見てため息をついた。

「さっき目が覚めたわ」

「そりゃよかったです。頭が吹き飛ぶところなんて見たくもないでしょ」

「音だけは聞こえてたわよ。……気分が悪い」

 辻元は顔を上げて、早坂を見た。

「お前……なんで……。さっき心臓にぶち込んだはず」

 早坂は液体でべとべとしたジャケットを脱いで、中からビニールを取り出した。それは、輸血用に持ち合わせていた血液である。

「実際に他人の血を浴びるのって嫌なものね。自分の血をストックしておけばよかったわ」

「……ブラフ、だと」血走った眼で辻元は呟く。

「まあそういうことだ。みんな防弾ベストを着てる。逆上したお前はそんなことも頭に入らずに、わざわざ胸部を撃った。冷静に頭を撃ち抜いてれば確実だったのにな」柳の拘束を解きながら雨宮は言った。

「……ありがとう、雨宮君」柳はかなり憔悴していた。

「後は任せて、ゆっくりお休みください」雨宮はそう言うと、辻元に向き直った。「お前はこの件が収束し次第、監獄行きだろうな。あくまでそれは一時的な処置になる。それからのことは自分で考えろ」

「ははっ……」辻元は緊張が一気に解けたせいか、情けない声を出した。

 ようやく、雨宮たちのいる広場の砂埃が収まってきた。

 雨宮が辻元をもう一度見ると、頬を涙で濡らす辻元の姿があった。

「同情でもしてほしいのか」

「この日を――望んでいたのかもしれない」AAO隊員に両脇を抱えられた辻元は言う。「俺は、本当はこんな残酷なことはしたくなかったのかもしれない……。この涙の理由が、安堵意外に何があるって言うんだよ。そうだろう?」

 雨宮はこの期に及んでこんなことを言う辻元を軽蔑しながらも、何とも言えない気持ちになった。

「お前にはこの後の世界を見届ける責任がある」雨宮は黒々とした全権者ビルを見上げた。「簡単に死ねると思うなよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る