第五章 明けの明星
堕天使と小悪魔
1
「こんなところで足止めを食っているわけには行きませんよ、先輩」
「日向子ちゃん?」思わぬ声の主に遠藤は驚いた。
辺り一面には血の海が広がっている。死屍累々と評するにふさわしい光景。そこら中に全権者軍とAAOの兵士の屍が転がっている。鉄臭さと腐敗臭が今にも臭ってきそうだ。だが、不思議と臭いはない。
「これは……」
「先輩がこのまま行動を起こさななかった場合の未来予測です」
「夢人にはそんなこともできるんだ」
「未来予測はあくまで私が論理的にこの状況を分析してはじき出した結果にすぎません。夢人には未来予知なんてできませんよ」
「そう……」ここが三次元空間でないことを理解したからか、現実感の無さのせいで遠藤は反応が鈍くなっていることにも気づいていない。
「先輩と相対している片瀬先輩は、無理矢理タルトピアに召喚されました。だから、助けを請うているのです。知っていますか? 彼らがこの一年半あなたのために何をしていたのか」
「無理矢理……。俺のために?」
「彼らは夢人ではありません。これが意味するところ……、つまり夢人でない者はこの件には一切関わることができないという現実です。どれだけ彼らがもがき苦しみ、友の離別に涙を流したか。親友のためにできる限りのことをしたいと強く願っているのは彼らなのに、夢人ではないというだけで絶対に立ち入ることのできない領域がある。彼らの無力感はどれほどのものだったでしょう」
遠藤は心に針を何本も突き刺されていくような痛みを感じた。
「片瀬さんだけではない。市川さんも、園さんも、Coda部員の皆さんも。神原さんだってそうです。いずれの試みも失敗に終わりましたけど、彼らは決して先輩のことなんか忘れてはいないのです。だけど、あまりにも現実は非常すぎた。夢人とそうでない者の壁は登るには高すぎました。ただ彼らの挑んだ結果のみが現実となって今もケーレスの彼らの心に突き刺さっています」
「たった一人俺のために、みんなが……?」遠藤は信じられなかった。信じたい気持ちは山々だが、遠藤修介という人間がそこまで周囲に影響を与えていたとは到底思えなかった。
誰しも承認欲求というものは少なからず持っているもので、それが遠藤にもないわけではなかった。むしろ人よりそれが強いと自覚している。だからこそ、卑屈になる自分がいた。どうせ俺は、と心のどこかで諦めながら生活を送っている自分にも何となくは気づいていた。
「マイナス思考が透けて見えますよ、先輩」日向子は涼しい顔して言ってのける。「この世に周囲への影響力を持たない人間などいないのです。そんな人は透明人間かあるいは幽霊だけですよ」
「そういうものか」遠藤は目を瞑り鼻を鳴らした。
「もういいですか、先輩。気分屋な先輩のお守りをしてあげられるほど時間は残されていませんからね」
「時間?」
「なんで先輩はここにいるんですか」大きなため息の後に日向子は棒読みで質問した。
「なんでって……、全権者ビルに侵入して……」遠藤はショックですっかり自分の置かれた状況を忘れていた。
「片瀬先輩に遭遇した。しかも助けを乞われて八次元へと逃避。酷い有様ですね」
「そこまで言わなくても」
「いいですか。あなたにも夢人としての素質は充分にあるんです。それがまだ開発されていないだけで、百パーセントを出すことができれば私よりもっと多くのことができるはずです」
「たとえば」
「たとえばですか……。例えば、他人の人生を追体験したり、八次元空間の思考を読むことも可能なんじゃないでしょうか。要するに、Sエネルギーを介したことであれば大概のことは」
「そう……」
「だけど今は無理があります。そんなことはできません」日向子はきっぱりと言った。「でも、先輩の覚悟次第では片瀬先輩のSエネルギーに干渉することはできるかもしれません。もちろん、私の誘導あってのことですが」
「それ以外に片瀬を止める方法はないのか」
「たぶん、実際に体の各部位に電気信号を送る命令を出している脳、そこを直接司るSエネルギーだけが、このタルトピアの片瀬拓哉のものなのだと思います。他はケーレスの片瀬先輩が強制的かつ部分的に転移させられているのだと考えます」日向子は声のトーンを落とした。
「部分的にだなんて、拷問にも等しいんじゃないか」
「私にも分からないことはあるんです。技術提供を受けた側のタルトピアが、こんな短期間でイレーネの知らない夢人技術を生み出すことが可能なのか、私にはとても無理だと思います。でも、様々な可能性を排除した結果片瀬先輩のあの一言と行動の理由はこれであると断言せざるを得ないんです」
ふと遠藤が視線をある死体へと向けた。そこには倉持の顔がある。腹部を撃たれて大量の血がそこからどくどくと流れ出たのだろう、辺りを血に染めている。
「割とリアルに再現してくれたね……この戦場」
「こうでもしないと先輩は本気にしないでしょう? ダメ人間って人生で何回言われました?」
「ゼロ回」遠藤はぶすっとした声で答えた。
「またご冗談を」日向子は笑わなかった。「とにかく、私がこうやって先輩と片瀬先輩に介入できたのは結構ラッキーだったんです。だから、この先私がいつでも先輩のSエネルギーにアクセスできるとは限りませんし、私の方も体力を消耗するんです。無理やりやると。分かりますよね、仁志さんの転移を手伝ったのですし」
「あの時はサウナよりも汗かいたかもしれない」遠藤は真面目に言った。「ってことは日向子ちゃんとしてはあと何回が限度なわけなの」
「一回、ですね」
「一回?」驚いて遠藤が訊き直した。
「そうですよ。時間を置けば多少の無理も通るかもしれないですが、良くも悪くも決着はあと一時間もしないでつくんじゃないんですか。そうでなくてもあと一回やれば私は気を失って丸一日潰す勢いで寝てしまうと思いますよ」
「わかった。あいつに何とか介入できないか試してみる」
遠藤がそう言った途端、死屍累々の景色は光の粉となって消え去り、美しい夜の浜辺が出現した。
「綺麗な所でしょう」
「まあね。日向子ちゃんの想像力には脱帽するな」
「全部、追体験で得た視覚的情報を再現しているだけです。さっきの、戦場もそう」
「訊きたかったことが一つあるんだけど」遠藤は水面に移る夜月を眺めながら言った。「どうして追体験を繰り返すんだ? 辛い記憶や悲しい記憶だってたくさんあるだろうに」
「ただ単に、人生経験は多いに越したことはないと思ったからです。頭でっかちにはなりたくなかったので」日向子は苦笑する。「でも、時には未体験の人による突拍子もないアイディアが打開策になることもあるんです。人生、正解はないみたいですね」
「そっか」遠藤は日向子の横顔を垣間見た。端正な顔立ちが月明かりに照らされて綺麗だ、と思った。初めて、日向子のここでの容姿はケーレスにいた林日向子の年齢に合わせてあると気づいた。
「湊さん、あれから少しづつ元気を取り戻しているようでしたよ。病院で寝たきりになっている私のお見舞いにも来てくれるんです。先輩のお見舞いのついでだと思いますが。でも、彼女が話をするときにはやっぱり一度や二度は先輩の名前が出るんです。それだけ、大切な存在だったのでしょうね」
「死んだみたいに言わないでよ」
「失礼しました」
「この一件が無事に終わったら、湊にちゃんと話そうと思うんだ。俺が今どういう気持ちでいて、宇宙を転々として何を思ったか」
「それで?」
「そしたらさ、俺はやっぱり……」
遠藤が言う前に、日向子がこちらへと振りかぶった。
「それを今ここで言うなんて、興が醒めるというものですよ?」
「……え?」遠藤は動揺した。
「駆け引きが楽しいんじゃないですか」日向子が微笑んで、遠藤の後ろを指差した。「さあ、早く。時間がありませんよ」
遠藤の後ろにはぼやけたゲートのようなものができていた。
「……調子が狂うな」遠藤はそうぼやくと、気持ちを切り替えた。「じゃあ、終わらせて来る」
「あとでまた会うと思いますよ。その時はご協力のほど」日向子も、笑みを消して眼光を鋭くして言った。
「イエス、サー」
遠藤は硝煙と爆音の世界へと帰還した。
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