どうしようもなく現実
10
幻か。
ホログラムか。
そんな問いが脳裏をよぎったが、すぐに霧散した。
遠藤の視界に映りこんだ人物。それは紛れもなく片瀬拓哉本人であった。その顔を見間違えるはずがなかった。
「分隊長」川平が耳元で叫ぶ。「何が起きているのですか」
「ありえないものを見た。いや、可能性はある」動き続ける真っ暗な部屋の中で遠藤は必死に頭を動かす。「ケーレスでの友人が居たんだ。今そこに」
「同一人物が敵に居たということでは」
「だが――」動揺が汗となって顔を伝い、ヘルメットのスポンジ部分に染み込んでいく。嫌な感触だ。
川平が指摘するように、片瀬がタルトピアで敵兵として生きている可能性が一番ありえそうな話だった。実際、異なる宇宙における同一人物が似たような境遇に必ずしも置かれているというわけではない。ある人物はリーダーシップを発揮しやすい役職に固まることはあるが、それはあくまでタルトピアから観測できている宇宙の範囲内の話である。まだこの統計は統計として機能していないと言ってもいいほどに、元となるデータ量が圧倒的に足りていないのが現状である。だから、一方の宇宙ではただの大学生をしていても、もう一方の宇宙では軍隊に属していることなど可能性としては否定するほど低いものではない。
先程の片瀬の眼。目が合った一瞬、遠藤は僅かにまぶたが開かれるのを目にした。あれはこの俺を最初から知っているかのような反応だ。遠藤にはそうとしか受け取れないようなものを感じた。
暗闇の続く空間はひたすら四方八方に平行移動を繰り返していたが、ついに上昇と下降がその動きの中に加わったのがわかった。微弱なGを感じたかと思えば、臓器が浮くような浮遊感。幾度となくそれが連続し、分隊員の一人が嘔吐した。三半規管がおかしくなってくる。
遠藤は吐き気を催しながらも、何度か倉持に通信を試みていた。何種類かの通信手段を試したが、どれも敵のジャミングによって防がれていた。
この上下左右に自在に動く小部屋に倉持達も閉じ込められているのだろう。いつになっても動きが止まる気配がないが、この動く小部屋の目的がAAOの隊員の三半規管を機能停止させることにあるのだとしたら、あまりにも非効率的すぎると遠藤は思った。何か別の意図があるのか、こういう動きをしなければ所定の位置まで部屋を動かすことができないのか……。
たぶん後者だろう。そのうちこの部屋の動きは止まる。通常はこれほど高速で移動させる訳がないし、何故だか横の移動も幅がありすぎるように感じた。だが今の自分の感覚はあまりあてにならない、と遠藤は頭を振り、もう一度通信を試みた。
「こちらフォックスロット、遠藤。倉持、応答せよ」
すると、突然電磁的な音が響き小部屋の移動が止まった。閉じられていた壁の一面がゆっくりと下がり、嘔吐物の臭いが充満していた小部屋に新鮮な空気が入る。と同時に、途絶えていたノイズ音がだんだんと聞こえ始めた。
「こちら倉持。通信回復を確認。応答願う」
「こちら遠藤。感度良好。現状は――」
そう言い終る前に、前方の壁が完全になくなった。バイザを上げて部屋の外に出てみると出てみると、左手に同じくバイザを上げた倉持が立っていた。
「無事出られたな」
「どこだここは」
一行は照明のない通路に出ていた。左手は行き止まりになっていて、通路は右手に伸びて少し先で左に折れている。
「誘われてるのか」
「いや、どうだろう……。奴は、全権者は、AAOに対抗するのにそこまで余裕を持っているとは考えにくい。誘っているのだとしたら、何かその根拠となる策があるはずだろう」倉持が通路の壁に手を当てて分析する。
「さっき、片瀬を見た」遠藤は見たままを倉持に説明した。
「確かに、遠藤の知っている片瀬だったのか」
「それはわからない」
「技術的に」倉持は言う。「クローンである可能性はゼロに近い。少なくともイレーネはクローン技術に関してタルトピアに提供したことはないからな。遠藤が見た片瀬がクローンでないとすれば、答えは一つだろう。幻覚の類でない限り、お前が見たのはこのタルトピアの片瀬拓哉のオリジナルだ。中身がどうかは怪しいが」
「中身?」遠藤は倉持に顔を向ける。
「この一年半の間、ケーレスのお友達とは何の接触もしていないだろう? それは今後起こることを予期して、あらかじめ危険から彼らを遠ざけるための処置だった。彼らが今何をしているか、こっちは正確なことは把握していない」倉持は神妙な表情になる。「遠藤がタルトピアに戻るとき、こちらの転移装置を使ってSエネルギーのタグを頼りにタルトピアへと転送した。要するに、やろうと思えばSエネルギーは第三者による操作が可能だということだ。夢人のSエネルギーのタグ、STAGと呼ばれているが、個人のSTAG情報を取得することができれば、あとはその本人の同意によって転移が可能になる。この同意ってやつはSエネルギーを安全に漏れなく転送するための謂わば保険のようなものなんだよ。それを奴は利用している可能性がある」
「そんなことが可能なのか」遠藤は驚愕した。もし倉持の言うとおりであれば、さきほどのはやはりケーレスの片瀬拓哉本人だったのではないか。
「通常そんなことはできない」倉持は言葉を続ける。「STAGはそんな簡単に取得できるような代物じゃない。何せ八次元空間を漂っているものだからな。専用の装置とSエネルギーの知識、それに夢人の協力が必要不可欠だ」
「その装置が、今から破壊しに行くやつだってのか」
「おそらくは、な」倉持は自身でも半信半疑で話しているようだった。彼もまた夢人としてコントロールできるSエネルギーの幅はかなり大きい優秀な人間だ。イレーネでもそれを仕事にしているようなものだった。その彼がここまで訝しんでいることに、遠藤は息の詰まる思いがした。
「奴は、楽しんでいるんじゃないか――」ぽつりと倉持が口にする。
「楽しんでいる? この状況をか」
「そんな気がする。であれば俺たちにとってかなりまずい」
「とにかく、誘われているとしても今は進むことを考えるんだ、倉持。ぼうっとしている暇はないんじゃないか」
「……ああ」倉持は歯切れの悪い返事を返した。
通路を進み、左に折れていると思ったそれは階段だった。上方に気を配りながらゆっくりと分隊は階段を上がる。
三階ほど上るまで通路はなく、服の擦れる音と銃の出す微かな金属音がやけに大きく耳にこだました。先程まで聞こえていた電磁音も今はどこからも聞こえてこない。
ようやく開けた場所に出た。階段を上がってすぐに大部屋に繋がっているようだ。このビルの丸ごと一フロアをくり抜いているようで、天井が少し高い。倉持が警戒しているため、先程のビルの再構築によって作られたスペースかもしれない。何よりも、向こう側に見えるもう一つの出入り口に行くまでに配置されている障害物が目につく。まるで雪合戦のときに作る小さな壁だ。腰くらいまでの高さのコンクリート壁が至る所にあり、それは戦闘訓練で使われるような空間だ、と遠藤は思った。そしてその考えは、すぐに現実のものとなった。
反対側の出入り口からボールのようなものが飛んできた。部屋の中央に落下したそれが手榴弾だと気づくまでにコンマ五秒を要した。
咄嗟に分隊員たちはコンクリ壁に身を隠す。それを見計らったように武装した兵士がぞろぞろと吐き出されるように姿を見せた。
「やっぱりだよ」倉持は吐き捨てるように言った。「奴は、この戦いを楽しんでるんだ。これじゃ、まるでゲーム、いや……ショーじゃないか。限られた空間の中で殺し合う兵士たちと、それを別室で眺める観客。全権者の神経はどうなってやがるんだ」
「それじゃ、どっちが勝っても構わないって言うのか。そんな、自分の身の危険を冒すような浅はかな思考で奴は動かないと思う。もっと狡猾に、自分の望みを叶えようとする、今まで奴のことをそういう風に分析してきたと思っていたけど」
「自分も遠藤分隊長に賛成です。嗜好のために兵士を無駄に使うとは到底……」川平も遠藤に同意した。
「じゃあ無駄に使っているわけじゃないんだろう。勝算があるんだ、彼らには」
遠藤はあちらの様子を伺った。一人を除いて、すでに物陰に潜んだようだ。
また、先程の動作をなぞるようにヘルメットを取り外すと、その男はこちらに向かって言った。
「聞こえてるだろ。遠藤。俺だ、片瀬だ」
その声、口調、紛れもなく遠藤の知る片瀬拓哉だ。銃は構えていない。恐る恐る遠藤は身を乗り出す。
「おい! 死ぬ気か!」倉持の怒号が飛ぶ。
「大丈夫だ」遠藤は倉持を制し、顔を覗かせた。
正面約五十メートル。下手な動きはできない。
「片瀬。ほんとうに俺の知っているお前なのか」
「なあ、遠藤」
「おい、答えろ。お前がケーレスの片瀬拓哉なら、なんでこんなことしてる? いつからだ。俺たちを裏切っていたのか」遠藤は声を荒げる。
「俺どうかしちまってるんだよ。これ、なんかの悪い夢なんだろ? なあ」
「デジャヴなんて見たことないって言ってただろ。あれも嘘か」
「……助けてくれ」
「なんだって……?」遠藤は予想もしない言葉を聞いて、動揺を隠しきれなかった。
「助けてくれ」突如懇願の表情へと変わったかと思うと、肩から提げているサブマシンガンへと手を伸ばした。「伏せろ!」
頭がパニックになりながらも、その動作を見て反射的に遠藤はコンクリ壁に身を隠す。間髪入れずに頭の上を無数の銃弾が過ぎていく。
「正気か、あいつは」倉持が戦闘態勢を分隊に指示する。「こちらフォックスロット。誰か近くにいるか。倉持だ。全権者ビル内にて会敵。繰り返す。こちらフォックスロット。全権者ビル内で会敵。気を付けろ」倉持はP2P通信に切り替え、他の分隊へと通達した。他の分隊の状況はまだ入ってこない。
「あいつは今なんて言ってた」倉持が応戦しながら訊いてくる。
コンクリート壁を穿つ銃弾の雨。早くも硝煙の匂いが充満し始めている。
「最後に」遠藤は呆然としながら言った。「助けてくれと言っていた」
「助ける?」倉持が聞き間違いであるかのように言う。遠藤の様子がおかしいことに気づいた。銃をすでに手から放している。
遠藤は頭が真っ白になってしまっていた。倉持の言葉もほとんど耳から入ってこない。
何故ここに片瀬がいるのか、全く理解できなかった。生と死が隣り合わせになっている戦場。一年半の詰め込みで訓練を受けた遠藤にとっても、初めての戦場だ。すぐ隣でさっきまで話していた人間が次の瞬間にただの肉塊へと変わってしまうなど、並みの精神構造では耐えられるはずがない。幸いにもフォックスロット分隊には未だ死者は出ていなかったが、敵の無残な死体を見て平静を保てたのは表情だけだった。
全権者の転移装置によって片瀬がタルトピアに?
タグが無ければ不可能なはずじゃなかったのか。
そもそもあいつはデジャヴも見ない夢人から最も遠い存在じゃなかったか。
遠藤は自らの掌を見つめた。指先の出ているグローブをしており、ここまでくるだけで酷く汚れている。敵の死体に触れた際に付着した血も、黒ずんで残っている。
顔を上げた。分隊員が銃撃の間を縫って反撃している。全ての動きがスローモーションに感じられる。
遠藤の真横のコンクリート壁では、倉持が何かこちらに叫んでいる。何をそんなに真剣に叫んでいるのだろう。一緒にケーレスに戻ればいいじゃないか。片瀬が助けてくれって言っているんだ……。
遠藤の思考は、戦闘の真っ只中で完全にストップした。
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