光輝燦然

     7


 神原からの予想だにしない連絡を受けた特査の面々は、すぐに動いていた。関係各所への根回しによって、神原の指名手配を取り下げさせることはもちろん、文科省へと既に向かっていた。マークXを飛ばす雨宮の横で、美波自身は冷静であろうと必死に頭を回転させていた。

 みなとみらい方面へと向かい、車は首都高速に入った。雨宮と美波、伊勢崎と昭の二グループに分かれて移動している。伊勢崎がハンドルを握る車は雨宮たちの少し後をついてきているはずだ。

 少しずつ坂が緩やかになりランドマークタワーを過ぎると、右手には東京湾が煌々とその表面を輝かせていた。時刻は三時過ぎ。春爛漫とした陽気で、みなとみらい方面には平日だというのに人混みで溢れているのがここからでも分かる。文科省へはとばせば三十分強で着くだろう。

「こっちはこんなに緊迫してるってのに世間は呑気ですね」と、雨宮。

「文句が漏れてる」

「バレなきゃいいんですけど」雨宮は助手席に座る美波に声をかけた。

「神原はついさっき日本へと帰国して、襲撃された。彼女が帰ってきたところに倉持は待ち構えていたというわけね」雨宮の心配をよそに、美波は考える。

「聞いてます?」

「ちょっと黙ってなさいよ」美波は語尾を強める。「何故倉持は彼女の帰国を知ることができたのかしら」

「ああ、そういえば何ででしょうね。偶然会ったってわけないですし」

「そもそも、彼女は国外で何をしていたのかしらね」お手上げと言った表情の美波。

「神原はこちらに向かうと言っていたんすよね……。つまり、文科省へとそのまま向かうということ。俺たちの邪魔をされかねませんよ。もし、神原が降り立った先が羽田空港なら文科省まで高速を使えばものの二十分って、これやばいですよね」

「彼女が本当に私たちの味方であればいいのだけど」

「というと?」

「国外でどんな活動をしていたのであれ、彼女が空港で鉢合わせた倉持を気絶させて誘拐した可能性もあるわ。その場合、彼女は文科省に紛れ込んでいる工作員とグルってことになる。国外に潜伏している工作員と連絡を取り、私たちの計画を全て話すことと引き換えに何らかの報酬を得る……」

「え」雨宮がふと声を上げる。「じゃあ、タイミングが良すぎるってことも彼女が工作員を通じて全権者に情報を流していたってことすか?」

「早計ね……。それだといつから彼女は全権者側に寝返ったのかってことが問題になるわよ。彼女は元々、友人から送り付けられたメールが引き金になってこの件に関与することになったのだから、倉持が全権者に対して反旗を翻した時期を正確に知り得ないとその可能性は現実味が薄いわね。まず、彼女が全権者側に寝返ったとしてそのメリットは何だって話よ」

「うーん」雨宮は剃り残しのあごひげを撫でながら言う。「不確定要素が多すぎて分からないっすね。――繋がりました?」

「出ない」美波はため息をついた。

 美波は先程かかってきた神原からの番号にリダイアルを繰り返していたが、インターバルを置いてコールしても神原は一向に出なかった。運転中で単に喋れないだけなのか、襲撃後にまた追撃を受けて電話どころではないのか。全く状況が分からなかったが、美波たちはとにかくこのまま文科省へ向かう他ないのだった。距離的にはあちらの方が早く着く計算だが、もし美波たちが着いても神原と倉持がいなかった場合、特査のみで工作員たちを取り押さえる必要があった。

 倉持がケーレスに戻ってきているのかという問題もあったが、それを確認する術もないし、取り押さえに関しては彼は居ても居なくても支障はないということもあり、美波たちはすぐに文科省に入れる準備をしていたのだった。

 美波は同時に、昭室長のことも頭の片隅に浮かんでいた。


    *


 伊勢崎と昭の車内。

 重い沈黙が垂れ込めているわけではないが、この緊迫した状況下である。昭も伊勢崎も何とは無しに黙りこくっている。

 昭は正直な所、まだ腹を括りかねていた。

 齢五十を超え、世の中の仕組みや生き方は随分と肌に染みついて、ようやく自らの意思で行動できる範囲が広がってきた。自身では確実にそう認識していた。もうこの先、天災でも起きない限り自分の人生は揺らぐことはまずないだろう、と。

 だがどうだ。一体何が起こっている?

 別の宇宙にはこの地球と同じような世界があり、同じような人が生活している?

 馬鹿な――。

 SFでも使い古されたような話じゃないか。

 別の宇宙では、この私が諸悪の根源となっている――?

 そんなこと知ったことではない。今まで認識の範囲外にあった世界で、自分と同じ名前、同じ背格好のやつが迷惑をかけている。その迷惑がこの宇宙にも降りかかるかもしれない――?

 何故だ。

 こんなことに振り回される私ではないはずだ。私は、私の実力を持ってして室長の座にまでたどり着いたのに。

 確かに、警察内部の組織図を考えれば我々特査など閑職にも等しい扱いを受けているのは事実だ。面倒事を一手に引き受ける部署。誰も進んでここに来ようと思う奴は警察の中には誰もいない。

 しかしどうだ。我々はそんな扱いをされながらも仕事はきちんとこなしてきた。洪水のように流れ込んでくる未解決事件の書類の束を選別し、系統ごとにまとめ、優先度をつけ、自分なりの捌き方をマスターしてこなしている。未解決事件の解決率も、少しずつではあるが右肩上がりなのだ。どんな扱いをされようが、自分の仕事には誇りを持っている。そのつもりで今までやってきた。

 倉持という青年に宇宙転移を手伝ってもらい、どこか別の宇宙の自分とリンクされた時。度肝を抜かれたという表現が正しいのか。そこには自分と瓜二つの人物が佇んでいた。彼の住む世界では宇宙転移について関心の高い人間はあまりいないようで、それよりも自分たちの住む宇宙の開発が急務であるらしかった。彼は太陽系の中でも火星の一部地域を担当する開発部長なのだそうだ。それが一体何を意味するのか、これは幻想なのか、実際に確かめる術はなかった。宇宙転移技術とはそういうものだ。大前提として異なる宇宙があるものと定義しなければ話が進まない。物理的に観測不可能でもSエネルギーの交換離されるのだ。彼のいる宇宙はそういうわけで、物理的なメリットのない宇宙転移技術は重要視されていないと語った。

 まるで映画だ。フィクションだ。そう思わなければ、どうしようもなく無慈悲にも覆い被さってくるこの現実に耐えられそうにもない。そのせいで分裂症にでもなりそうだった。

 かたやタルトピアと名付けられた宇宙では私が暴君の如く振る舞っている。宇宙秩序が崩壊するほどだという。

 何故だ。

 何故私の邪魔をする。自分自身で。

 修介は、その暴れている自分を止めるために別の宇宙へと旅立った。

 なんて親だろう。自分の尻も拭けないような男だったのか? 私は。

 人様に迷惑をかけるような男だったのか? 私は。

 どうしても、自分のことではないと割り切れない。自分とは別の、同姓同名の人間がただ暴走しているだけとは思い込むことができない。一度自分自身を、タルトピアの暴君を説得するのはこの私の義務なのではないか、と昭は余裕のない頭で考える。

「――長」

 嘘だ。やめてくれ。

「――室長」

 私は何もやっていない。

 私の責任ではない……。

 どうして――。

「昭室長」

 昭はふと我に返り、声のした方向に顔を向けた。

「……何だ」

「何度も呼んだんですよ。大丈夫ですか」運転中の伊勢崎は前を見据えながら言う。

「……ああ。少し頭痛がしてな。すまない」

 伊勢崎は何も言わない。高速道路のアスファルトをタイヤが撫でる音が微かに聞こえる。

「新人の僕が何を言っても変わらないかもしれませんが、言わせてください」伊勢崎はハンドルをぐっと握りしめる。「室長が思い悩んでも何の解決にもなりません。そりゃ、室長と同じ人間が独裁的に振る舞って、私利私欲のために暴走しているとしても、それは室長ではないと僕は思います。僕たちの知っている室長は、頑固で、いじっぱりで、あまり部下からの進言に耳を傾けるタイプじゃないですけれど、上司として常に部下のことを想ってくれている常識人です。まだ特査に来てから月日が経ってないですけれど、それくらいのことは雨宮さんや早坂さんを見ていれば分かります。もし、心のどこかでその独裁者と繋がっているとしても、それを理由に室長が責められる道理にはなりません」

 昭には伊勢崎の言うことは最もだと理解するだけの理性はまだ残っていた。正論だ。勝手に自己険悪に陥って冷静さを欠いていてはいけない、と昭は自らを鼓舞する。

 しかし、本当にタルトピアの私は世界征服のようなことを最終目標にして動いているのだろうか。事を運ぶには余りにも大胆すぎる。聞けば、タルトピアの極東支部を牛耳っているということらしいが、極東支部と銘打つのであればもちろんその他の地域の支部だって存在しているだろう。極東支部内で発生したことは他の支部は口出しできないといったある種の高度な自治権が設定されていたとしても、こちらの常識に照らして考えてみるとどうも少しおかしい。いくらなんでも他の支部に極東支部の異変に他の支部が気づいても良さそうなものだ。他支部も海面上昇による食糧自給や治安悪化などの対応に必死で、支部外のことには関心が及んでいないということも考えられる。

「伊勢崎はどう思う」昭は自分の分身が異なる宇宙で暴れていること、その周辺の反応の異常さについて訊いた。

「そもそも、僕たちの認識が間違っている可能性があります」伊勢崎は芯のある言葉を口にした。「今までの状況を整理したほうが分かりやすいのですが、よろしいですか」

 昭は腕時計にちらと視線を向けてから言う。

「良いだろう。言ってみろ」

「はい。まず、この件がどこから始まったかということを考えてみます。具体的な兆候があったのは海老名の交通事故が発端だったように思います。あの時はちょうどSILC研究所が秘密裏に実験を決行し、その実験内で事故が発生し、神奈川県の一部が停電。その影響で極小ブラックホールが生成され、夢人ではないもののある程度Sエネルギーに敏感な人々の意識がブラックアウトしたことで玉突き事故が多発しました。ですが、あの白昼夢のような体験が基本的にはSエネルギーに関係しているとしたら、あの事故よりもっと前に兆候は見られたはずです」

 昭にはいまいち伊勢崎の言わんとしていることがよく分からなかった。

「どういうことだ。判然としないな」

「Sエネルギー自体は僕たちが観測できなかっただけで、大昔から生物に備わっているってことです。もしかしたら、あの事故以前からこの宇宙は監視されていた可能性も考えられるということです。もしそうなら、この事態を見たそいつらはここぞとばかりに攻撃を仕掛けてくるような気がします。そしてそいつらがもし、イレーネだとしたら、と考えたことがありますか」

 昭はぞっとした。伊勢崎は要するに、この世界はもうおしまいだと言っているのかもしれない、と思った。そんな、たまたまタルトピアの暴君が私であったからと言ってそれがどうなのだ、もっと強力で恐るべき敵はその背後にいるのではないか、それが技術提供を施したイレーネであるのではないかと疑っているのだ……。

「まさか。幾ら無償で技術提供をしたからと言ってそんなことは」

「肯定するにも否定するにも根拠がないんです。こんなことを考えるよりも、目の前の仕事を着実にこなす方が現実的だと考えています」

 伊勢崎は変わったな、と昭は頭の片隅で思った。状況判断能力が向上したというべきか、ただ特査という環境に慣れただけなのかは分からないが、少なくとも部下の成長を感じた瞬間であった。室長として部下全体の動きを把握し適切な指示を与えるのが本来の役目であるが、それだけではなく部下から計らずも教えられるということもまた重要なのかもしれない。組織としての柔軟性という意味では、これは頑なに認めないというわけにはいかないのだろう、と昭は思う。

「もうすぐ文科省です。室長、準備を」

 いつになく無機質な表情をして伊勢崎は言った。

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