漆黒の箱の中から

     5


 部屋の両側にずらりとカプセルが並べられ、中央一番奥にはそれぞれのカプセルから伸びたケーブルが束になって接続されている。仄暗い蒼の光を出しながら、大型転移装置は依然として稼働を続けている。

 装置の前に佇む二つの影。左右のカプセルからは、夢人としての能力を強制的に引き上げられた人々が出て行っては、適合者になりきれなかった人々が入っていく。その様子を眺めながら、一つの影が呟く。

「彼らにとっては願ってもないことだ。無償で適合者として、宇宙転移のできる躰にしてやってるのだからな」

「中々良い働きをしてくれています。全権者様の支持率も、この大型転移装置シグマの設置後は急激に増えています。世論調査では全権者様の支持率は現時点で八五パーセント。勝利は見えています」辻元はファイルをめくりながら報告する。

「ふうむ」全権者は満足そうに頷くと、綺麗に揃えた髭を撫でながら言った。「あと一押し、ダメ押しの一手というのはどうだね。辻元」

「反全権者組織のことでしょうか」

「如何にも。奴らを完膚なきまでに叩き潰すことで、私の地盤は完全なものとなる。誰も私に逆らえない。私こそが絶対者になるのだよ」

「仰る通りでございます」辻元は敬服した様子で全権者の前に躍り出ると、片膝をついて頭を垂れた。「あのKとかいう無礼者共々、塵も残らぬまでに消して参りましょう」

「頼んだぞ」全権者は微笑を浮かべて部屋を後にした。

 全権者は廊下に出ると、専用エレベータで直接全権者執務室に戻った。

「しかし……」全権者は先程から一人考えていることがあった。

 一年半前、ケーレスから最適合者としてやってきた遠藤修介。しかし、彼を使ってより多くの破壊活動をするという彼の計画は見事に崩れ去った。

 というのも、彼がこちらにやってきてすぐ、ケーレスの遠藤修介のSエネルギーが観測不可能となった。そして一週間もしないうちに元の遠藤修介、全権者の息子に逆戻りしてしまった。彼から宇宙転移をするということは叶わず、以前から計画していた全権者軍養成地の開拓が困難になってしまったのだ。原因は不明。タルトピアでもケーレスでもイレーネでもない宇宙へと彼を飛ばし、タルトピアに飛ばす元の工作員を養成するという壮大な計画――。ケーレスの彼がそのことを了承するかどうかは、全権者には問題ではなかった。全権者にとってはそんなことは二の次で、支配欲だけが先行し力でねじ伏せようとする恐怖政治の片鱗を現し始めていた。

 協定を結んでいるイレーネからは、すでに充分な技術提供を受けている。これ以上の申し出をするには些か欲が深すぎる。第一、イレーネ側がほとんど無償で技術提供を約束したこと自体、全権者にとってはどうにも理解の及ばぬことだった。宇宙転移の特性上、こちらからの物理的な贈り物などできない。それに、平和を愛するイレーネのことだ。上層部に関してはこちらの作戦事情などは多少見聞きしているはずであるが、それをイレーネの民に公表するはずがない。そんなことをしたら勝手な技術提供のせいで知らない世界の人々の命が奪われている、と糾弾する声があがるだろう。もっとも、そんな感情があちらの世界の民に残っているか疑わしい部分はあるが。

 あのKという男も結局は信じるに値しない男だった。言っていることも表情も本心かどうか読みにくい。ああいう男を腹心として置いておくには危険すぎた。まさか私をどうにかして全権者の座を奪い取ろうなどと考えているわけではなかろうが、一目見たときから気に食わん奴だと感じていた。今は主に工作員との連絡を辻元を介して行っており、Kこと倉持はタルトピアにおいて全権者委員会極東支部への出入りを禁じられた立場。この対応をイレーネ側がどう受け取るにせよ、ほとんどの技術はこちらも習得済みである。恐れることは何もない。イレーネはほとんど用済みと言ってもいい。

 全権者はそんなことを考えながら、革張りのソファに腰掛けて葉巻に火をつける。デスクに手をかざすとホログラムが起動し、スケジュールを確認した。この後にすぐ、国営放送のインタビューが入っている。あと十分もしないうちに記者が訊ねてくるだろう。

 その時、来訪者を知らせる通知音と同時に警報が鳴り始めた。全権者がディスプレイに目をやると、ホログラムは赤い警告を発していた。

「入れ」全権者が命じると、ドアが開かれた。

「全権者様」息を切らした様子で辻元が再度現れた。

「今度は何だ」全権者は灰皿に葉巻を押し付ける。「この警告は本当か」

「左様でございます。保護区画外で戦闘が始まりました」

 赤い警告と共に響き渡る警告音。これは全権者委員会極東支部の半径三十キロメートル以内で火器が使用されたことを示すアラームであった。

「場所は」全権者は辻元に報告させながら、ホログラムを眺める。

「現時点では二ヶ所であります。ここから北東に約二十キロ地点と、南西に約十五キロ地点。共にAAOのトレードマークを付けた戦闘員が確認されています」

「来たな」全権者は口角上げ、指をポキポキと鳴らす。「第二種警戒態勢に入れ。抵抗する者の生死は問わない。また――」

 辻元は息を飲む。

「《夢幻》の使用を許可する」

「承知致しました」辻元は一瞬目を見開いた。

 全権者はディスプレイを操作し、アラームを切る。

「もう一点、気になることがございます」

「何だ」

「夢監からの応答がありません。何度こちらからコールしても繋がらず、メッセージに対する返答もありません。完全に沈黙しています」

「どういうことだ」

「分かりません。AAOに占拠された様子はありませんが、只今部下を夢監に遣っています」

「ほう……」

 何をした?

 Kの差し金か、あるいは反乱か――。

 夢監の連中は特殊な奴らが多い。内部組織の一人ひとりまで把握しているわけではないが、局長の柳も相当な変わり者だ。気こそ小さいものの、博識と人間としての包容力を持ってして夢監を統べている男。彼の心の底を透かしたと感じたことは一度としてない。そこまで気に掛ける対象かと言われればそれまでの男なのだが。

「至急夢監に人員を送り込め。戦力にならない順に人員を選定しろ。最優先事項はAAOの反乱を握りつぶすことだ。それは忘れてくれるな」

「御意」

 辻元が部屋を出て行ったのを確認して立ち上がった。

 静かになった部屋の窓際まで歩くと、そこから眼下の景色を見下ろした。

「明日にはこの景色は正式に我が物となる」呟いて、全権者は躰を身震いさせた。

 一人、だだっ広い執務室には、いつまでも抑えた笑い声が響いていた。

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