戦場はすぐ近くに

      4


 突如として訓練施設に倉持の声が響き渡ったのは、遠藤がVR訓練に入ろうとしている真っ只中だった。

『全訓練生は至急転移の準備を。ケーレスにおいて敵からの襲撃を感知。二宇宙同時並行作戦を開始する。繰り返す……』

 遠藤と小倉は互いに顔を見合わせた。

「始まったみたいですねぇ。予定より早い作戦開始ですが、上手くいくといいですねぇ」

「そんな他人事みたいに……」遠藤は微笑した。

 そこへ、倉持が息を切らせて駆け込んできた。

「あれ、この放送どうなってるの」倉持の声で再生されるアナウンスは、警告音と共に作戦開始の旨を繰り返し伝えている。

「……ただループさせているだけだ。それより」膝に手をついて深呼吸をする。「早くしてくれ。神原と僕が乗っていた高速バスが襲撃を受けた。乗客も自決していたから間違いない、宣戦布告だ」

「やっぱりばれていたってのか」

「何らかの情報は入っていただろう。それか、単に総選挙直前に対抗勢力を潰すのが狙いかもしれない……」やっと呼吸を落ち着かせた倉持は続ける。「いずれにせよ、攻撃を受けたことは確かだ。神原が日本に帰ってきたところを襲撃されたとなると、彼女がこちら側であるという認識もされているのだろうね」

「分かった」遠藤は頷き、小倉に向き直った。「小倉さん、転移するんであとは頼みましたよ」

「こっちの躰は任せてくださいねぇ。ええ」しゃがれた声で小倉は言った。

「今回ばかりは、転移装置使ったほうが良いだろうね。安定してSエネルギーを転送できる」倉持は遠藤の隣のカプセルに入った。

 遠藤も同じようにカプセルに入り、体を横たえる。白い曲線が美しい。この芸術的な造形は小倉が施したものだというのだから、人というのはわからないものだ。

「では、ご武運を」遠藤は初めて小倉の口から芯のある言葉を聞いた気がした。

 カプセルが閉まり、中が真っ暗になる。そのまま目を瞑ると、自然と転移が始まった。もうこの感覚も慣れたもので、今では自分の精神世界へと入り込めるようになっていた。

 最初は純白で何もないところであったが、精神世界という自分の深層の部分に入りこっめるようになってからというもの、景色は一変した。昔から自然が好きだったからか、いつも来るときは竹林やら杉林やら森の中にいることが多い。タルトピアの自分を呼び出した。

「イレーネのやつは見つかった?」

《それがどこにも見つからないんだ。ほら、他の宇宙に行くのにもまだSエネルギーの技術が開発されていない所には行っちゃいけないだろ? そんな制限もあるし探す範囲もそう広くないはずなんだけど。イレーネにも体はあるんだから、どこかにはいると思うよ》

「そうか」そんな会話をしてから、本来の目的を思い出した。「躰の方はどうなの」

《バッチリ鍛え上がってる。最初は何で俺が筋トレしなきゃいけないのって思ったけどさ、この躰を使うのもどうせ俺なんだもんな。そう思えてから地道に鍛えてきたよ。きっと驚くと思うよ》

「何だかお前の方が真人間に思えてきた」自嘲気味に言った。

《まあまあ。この作戦が終われば、きっと普通の暮らしに戻れるよ。そうしたら、お前はお前、俺は俺でそれぞれ自分の本当にやりたいことをすればいいさ》

「やりたいことね……」日向子はどうしているのだろう。タルトピアに転移してくるのだろうか。「そういえば、お前何で湊と結婚したんだ?」

《え、そんなこと聞くの》

「気になって戦いに集中できなかったらどうする」

 風に揺られる木の葉のささやきが聞こえてくる。糸のように葉の隙間を縫って落ちてくる光が、二人をちらちらと照らした。

《はぁ……》ため息をつくも、話し始めた。《元々俺から告白したんだよ。あいつはあんまり俺の好意に気づいてなかったみたいだけどな》

「へぇ~~」そう返しつつ、湊のことを思い出す。

 ライブ当日。袖口を引っ張られたこと。あれはやはり……。

 それだけじゃない。彼女はいつも俺のことを気にかけていてくれた。きっとそれは幼馴染としてではなく。

《何となくわかるよ。お前が考えてることは》

「え?」

《宇宙が違って、世界の構造が異なっていても、人が抱く思いだけは変わらないだろう。感情ってもんが人間の頭ん中にある限り、人は誰かを好いて、誰かを嫌う。それだけじゃない。人間には喜怒哀楽色んな感情がある。結局は人は感情で動くんだ。論理なんて後付けだ。何を例にとったってそうなんだよ》

「何が言いたい」

《自分に嘘はつくなよ。その感情が例え人を傷つけたとしても、それは人間の性だ。どうにもならない。偽の感情で己をだまし、着飾っても、相手も自分も惨めになるだけだ》

「ありがとう」遠藤はそれだけ言うと、精神世界から上昇を始めた。

《『あなたの魂に安らぎあれ』》

「なんだそれ」

《一度言ってみたかったセリフ。神林長平の引用だ》

「ありがとよ」遠藤は目を閉じながら笑みを浮かべた。

 再び世界が暗転していく。直立している状態からまた横たわった状態へと重力が変化していくのが分かる。

 外界の音量がフェードインのように徐々に大きくなる。やけに騒がしい。人が怒鳴る声や叫ぶ声、銃声も聞こえる。

 目を開けると同時に、一人の顔が見えた。

「……雨宮さん」

「お目覚めか、遠藤修介。これはお前のドッグタグだ」

 雨宮はそう言って横たわったままの遠藤にドッグタグを投げてよこした。よく米軍兵士が身に付けているポピュラーなものだ。ローマ字で自分の名前が刻印されている。

「状況は」起き上がりながらドックタグを首につけると、遠藤は訊いた。

「既に戦闘は始まりつつある。反全権者組織の第六兵団が交戦中だ。装備はハンヴィーの中にあるからとりあえず乗れ」

 雨宮に急かされ部屋を出た。夢監の宿泊施設にいることが分かった。走って入り口まで出る間に、やけに自分の躰が軽く感じることに気づく。

「随分と鍛えたみたいですね」

「文字通り血を吐きながらやってたからな。もう遊びじゃねえぞ」

 ハンヴィーに乗り込むと、すぐに出発した。全権者ビルの方角には既に黒い煙が上がっているところが幾つかあった。唾を飲み込み、不安定な車内で素早く市街地用の迷彩服に着替えた。

 ある程度装備が整ったところで外を見ると、そこは既に保護区画外であった。

 前に見たときよりも、建物が崩れているような印象を受ける。まさに戦場だ。色彩は失われ、血の赤とコンクリートの灰色しか視覚に訴えてくるものはない。戦闘地域が近づくにつれて埃っぽくなってきた。

 急にハンヴィーがハンドルを切った。外を見ると、銃弾が地面を跳ねていくのが分かる。どこかから射撃されている。

「全権者に見つかったか?」雨宮はハンドルを右に左に切りながら言う。

 進行方向からの狙撃。慌てて雨宮はハンドルを切った。

 その先は突き当り。

「くそっ」急ブレーキを踏み、ギアをバックに入れようとした瞬間。

 カラン。

 バンパーに何かが落とされた。

「まずい……」

「逃げろ!」

 二人はその正体を察し、素早くハンヴィーから飛び出した。

 直後、爆発。

 のはずだったが、雨宮と遠藤の視覚と聴覚が奪われていた。

 スタングレネード。

 やられた。

 遠藤は諦めて頭の上に手を挙げていたが、特に何も起きない。

 視力が回復するころには、二人は包囲されていた。

 数名の兵士がこちらに照準を向けているのが分かった。ハンヴィーを止めた位置の建物に、人の気配を感じる。

 次の瞬間、乾いた声が瓦礫の山に響く。

「銃を下ろせ。彼らは我々の見方だ」

 声に従い、カチャカチャと音がする。

 建物から仰々しく姿を現したのは倉持だった。既に転移を完了させて、戦闘地域に入っていたようだ。

「遅かったじゃないか。遠藤」

「死んだと思った」

「咄嗟にハンヴィーから離れたのは良い判断だったが、グレネードの形をよく見ていなかっただろう。見ていれば分かったはずだ」

「悪かった」遠藤は素直に反省した。確かに、汎用的に使われているスタングレネードは円柱型のものが多い。だからといって目と耳を塞ぐのも危険が伴うが。

 ふと全権者ビルの方角を仰ぎ見た。依然として高くそびえ立っている。周りから立ち込める黒煙のせいか、異様な雰囲気を醸し出している。目指すのはあのビルの中にある大型転移装置。自力で転移できないものの、ある程度夢人としての適性がある者は、あの装置を使えば転移が可能になる。それを使い、全権者は破壊を繰り返しているのだ。それさえ破壊できれば、奴を追い詰めることは難しくないだろう。

 遠藤はビルの最上階を見据えた。全権者の執務室よりさらに上、最上部に大型転移装置は設置されている。

「行こうか」遠藤はすっかり感覚が戻った躰で、倉持に言った。

「ここからが本番だ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る