第四章 幽玄の扉

地下世界

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 外は相変わらず横殴りの雪が続いている。銀世界が広がる、などと形容する者はもはや誰一人としていない。一年を通して積雪のない日は皆無と言っていい。不毛の大地にはほとんど動物たちは活動しておらず、かつて北極圏に分布していた動物たちが少々幅を利かせている程度である。人類はそんな中でも生存環境を整え、食料を自給し、今日という日まで生き延びてきた。

 イレーネの地下施設。地上からはおよそ推測できないような広大な空間が形成されており、その一つ一つは都市と呼んでも差し支えないものであった。地下であれば地上の過酷な環境の影響をかなり軽減することができ、また都市間の移動も地下に張り巡らされたリニアパイプを通じてすることができた。人口が全盛期の半分以下になった人類にとっては、これが現在の最適解とも呼べる暮らしである。

 地下千メートル、じりじりと日差しが肌を焼く暑さの中、ヘルメット内蔵の無線機から声が聞こえてきた。

「状況報告を」

「約五百メートル先。哨戒歩兵を二人確認。これより接近し、排除する」

「ランディングゾーンの座標を送信。任務完了後、速やかに撤退しろ」

「了解」

 遠藤は通信を終えて、すぐに無線を切った。

 周りには倒壊したビルや廃墟があちこちにあり、身を隠すには事欠かない。だが、それは敵にとっても同じことだ。

 目標の家屋に少しずつ接近していく。周囲のコンクリートへ自動的に擬態する光学迷彩を着用していた。ヘルメットは無線の他に、熱源探知機能やナイトヴィジョンなど実戦で役立つ様々な装備が組み込まれている。

 二人のうち手前の敵を先に片づけることにする。足音を極力消して、背後から近づく。

 次の瞬間には首に手を回し、へし折っていた。敵が持っていた装備のうち使えそうなものを奪う。死体をコンクリートの瓦礫近くに寄せ、上から使い捨ての迷彩シートをかぶせる。一回こっきりだが周りの色に合わせて変化してくれるため、使い勝手が良い。

 家屋を回り込むようにして二人目の後ろを取る。

 遠藤が手をかけようとした瞬間、相手がそれに気づきすかさず腕を取り、背負い投げる体制に入る。

 腰のあたりからアーミーナイフを取り出すと相手が腕を引っ張る力を逆に利用し、体を捻じってそのまま前方へと着地した。

 一瞬の対面ののち、相手が先に仕掛けてくる。右ストレートを左手ではじき、そのままかがむようにして右足の蹴りを避ける。遠藤は起き上がりざまに右足に装備していたハンドガンを抜くと、左フックを相手の脇腹にねじ込み、その後引き金を引いた。

 パンっと乾いた銃声が鳴る。減音器をつけていなくては撃てなかった。

 すぐ家屋へと侵入し、ターゲットを探した。一階を捜索する。

 屋内には敵の姿はない。だが、コンバットナイフと減音器を外したハンドガンを装備して慎重に進んだ。見たところ、一般的な一戸建て住宅のようである。こんなところに目的物が隠されているとは到底思えないが……。

 結局一階にはそれらしいものは何もなく、二階へと上がる。通路にところどころ簡易的なトラップが仕掛けられていた。ワイヤートラップで起爆する手榴弾がそこかしこにあった。

 二階の一室で目的のジェラルミンケースをクローゼットの中から発見した。いかにも頑丈そうな見た目だがそれほど重くはない。引っ張り出しながら無線で連絡する。

「こちらチャーリー。目的物の回収に成功。ランディングゾーンの指示を――」

 プツン。

 ふと、何かが切れる音がした。

 ケースに目をやると、取っ手にきらりと光るピアノ線の切れ端のようなものが見えた。

 まずい。

 遠藤は咄嗟にケースを窓めがけてぶん投げると、自身も窓に向かって走り出した。

 ケースが窓ガラスを粉々に割って、外に放り出される。

 遠藤も外に身を投げ出した。

 それとほぼ同時に、背後で爆発。猛烈な爆風が遠藤を後ろから吹き飛ばす。

 着地の衝撃で足首に痛みが走ったが、任務に支障をきたすほどではない、と判断した。

 振り返ると、さっきまでいた家屋の二階上半分が見事に吹き飛んで、上空に向かって大口を開けている。

 無線機の調子を確かめると、ザザッとノイズが入った。

「応答しろ。こちらブラボー。応答しろ」直後、耳に馬鹿でかい怒鳴り声が響く。

「――こちらチャーリー。聞こえている。アクシデントはあったが目的物は無事だ。これよりランディングゾーンに向かう」

「了解。座標を再送信する。通信終わり」

 不愉快なノイズを響かせて、通信が切れた。

「まったく……。楽な任務なのか分かりゃしないな」そう呟きながら、ヘルメットのバイザーに投影されたランディングゾーンの位置を確認した。

 数分歩いた地点にぽっかりと廃墟のない空き地を見つける。

 上空を見上げると、輸送ヘリがローターを唸らせ降下してくるところであった。

 ヘリが接地したのを確認してから、ジェラルミンケースを中に放り込んで、自分も飛び乗った。

 そこで徐々に視界が暗転する。

 毎度毎度この時間は慣れることがなく、とても長く感じられる。

 白へ転じ、また黒へと戻る。

 感覚を取り戻し、目を開けた。

「お疲れ様」小倉はボサボサ頭を掻きながら端末を弄っている。いつもながらの猫背が見えた。

 彼はこの訓練施設の主任を任されている人物だ。どうにもうだつの上がらない感じはするが、不思議と嫌な感じはしない。

 遠藤はケーブルの繋がったヘルメットを頭から外して、髪を掻き上げる。

「お疲れ様です。評価はどうなりますかね」

「評価ねぇ。うーん。咄嗟の状況判断と行動力は評価できるけどぉ、その前にあんなトラップくらい見つけられなくちゃねぇ」

「ですよねえ」遠藤は鼻を鳴らす。

「今日はお終い。総合的に見れば、実戦レベルで動けるくらいにはなってきてるから、あんまり落ち込まないでねぇ」

 遠藤は小倉に礼を言うと、第一訓練室を出た。

「ずいぶんと成長したんじゃない?」

 廊下に出た遠藤に声をかけたのは倉持だ。

「出待ちされても嬉しくないんだけどな」

「ヴァーチャル空間での実戦訓練は概ね良い値が出てるみたいだし、何とか間に合いそうで良かったよ」

 VRを使った訓練は現実とほとんど変わらない完成度の空間を使用して行われる。量子コンピュータの超高速演算処理によって、地平線の彼方の景色から風に舞う砂の一粒に至るまで忠実に再現されていた。外界で活動することができないイレーネの人々にとって、ヴァーチャル空間は生活に根差すもう一つの現実であった。軍事目的に限らず、様々な生活のシーンにVRは溶け込んでいる。

「タルトピアのほうはうまくやれてるの」遠藤はそれとなく訊いた。

「うん。何とかなってる。あっちの君に事情を説明して、君を演じてもらうように頼んでからというもの、これと言って問題は起きてないみたい」腕を組んだまま倉持は答える。

「そっか」遠藤は生返事をする。

 あれからほぼ一年半が過ぎた。遠藤が宇宙転移を体験し、混沌の渦へと巻き込まるきっかけとなったあの日から。

 この期間は遠藤にとって人生の転機とも呼べる濃密な時間であった。ずぶの素人が一人前の戦闘員として実戦に出て行けるようになるには、VRの仮想空間での訓練と現実での躰を鍛え抜く過酷なトレーニングの日々が不可欠であった。タルトピアの遠藤にはとにかく躰を鍛え上げるように伝えられた。彼は嫌な顔一つせず引き受けたという。ケーレスの遠藤を装いつつ、鍛錬を積むことは容易なことではなかったはずだ。一方、イレーネに転移した遠藤は、こうしてVRを駆使して戦闘訓練をしているのである。

 文字通り血の滲む努力と鍛錬を積み、ここまできた。精神的なストレスで胃に穴が開いたこともあった。いくらイレーネの技術が進歩しているとはいえ、臓器を易々と取り替えるというのは気分が良いものではない。まるで自分がロボットにでもなったかのようだった。かけがえのない自分という精神人格と、それを入れるための肉体という器。そのように簡単に割り切ることができれば良いが、四半世紀近く生きてきた自分の躰というのもなかなか捨てがたいと思うものなのだ。この年になっても消えないで残っているやけどの痕や手術の傷。そういうものを見ると、自分の歴史が刻まれているような気持になる。

 イレーネに転移したあの日から、実はケーレスには一度も帰っていない。事情を説明しに行く必要があると抗議したものの、倉持にあっさりと一蹴されてしまった。

『それはこちらから人を遣って連絡させるから大丈夫だよ。それに、これからとんでもなくしんどい訓練が待ってるんだ。今会いに行ったら遠藤は精神的に潰れる』

 ぐうの音も出ない一言だった。

 だが、今思えば、ケーレスの人々に連絡して良かったのだろうかとも思う。仮に伝えることができたとしても、あちらには辻元とか全権者の息のかかった工作員がいたはずである。もし公衆の面前で話でもしたらそれを盗聴されて全権者に報告されるのではなかろうか。そんな考えは彼らからすれば杞憂だったのかもしれない。

 気になることは沢山あった。神原優子の安否、Codaのみんな、特に湊のことも……。

 そんな不安を表情から察したのか、倉持は言った。

「大丈夫だよ。必ず成功させる。反全権者組織の方も、かなり準備は整ってきてるからね」

「ああ」

「遠藤。僕は君がここまでやれる人だと知って、正直嬉しいよ」

「何だ急に。気持ち悪いぞ」

「ケーレスに行って君に会ったときは、どうしたもんかなってため息ついてたんだよ。日向子さんはあっちに飛んだ時記憶の引き継ぎが上手くいかなかったらしくて、何とか俺一人で任務を続行することになっちゃったんだけど」昔を懐かしむように倉持は空に目線をとばしている。

「普通に考えたら無理な話だ。そもそも、俺みたいな平凡な大学生に宇宙転移の能力が備わってたこと自体不運だったと思うね」

「こっちだって君ほどの夢人を抱えてればすぐ済んだって話。まあ、こうして反旗を翻そうという気になっていたかは疑問が残るけどね」

 軽く毒づくと倉持はニカッと笑った。

 遠藤も手を上げてそれに答えたが、今でもたまにこの笑顔が本物かと疑うときもある。

 林日向子と倉持涼は夢人としての能力が相当に高い。彼らは自分の頭の中で別宇宙の人格と接触することができるのだという。そのおかげで、わざわざ自分が転移しなくても済む。記憶だけを転移させるパイプのようなものをイメージして、それが落ち合うパーソナルな空間を自らの最深部に形成するのだそうだが、一年半たっても遠藤にはいまいち分からなかった。

 倉持と別れ、居住区域まで戻る。広場にはドーム状の透明な天井が広がっている。相変わらず外は雪が降っているが、ドーム自体が熱を発しているので雪が堆積することはない。

 星の見えないイレーネの空。

 どこからか人工太陽の陽を受けて、ダイヤモンドダストのようにちりちりと輝いている部分がある。人の生み出した、オレンジ色の光が寒々とした雪空を彩る。

 もうすぐ、皆の元に戻れる。そう思うだけで今までの苦労は溶けてなくなり、足元から溶け出したそれが道しるべとなってどこまでも流れていくようであった。

 唇を噛みしめて、遠藤は自室へと戻った。

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