トライアングル
10
柳は遠藤が思っていたよりも数倍仕事を手早くやってのけた。
というのも、M大学で遠藤が事情を説明した後、柳は警察の知人に即座に連絡し、彼らが勤務中であるにも関わらず、研究棟まで呼びつけて話をしたのだという。
遠藤に柳からその連絡がきたのは、翌日の正午ごろであった。朝は起きれないから、という理由で午前中に連絡が来なかったのだが、遠藤はその日一限から授業に出ていた。一度家に帰り、自分の布団で休むとかなり落ち着いた。当分授業を受けられないかもしれないという淡い期待のような、深い悔恨のような、おそらく後者ではないがそんな気持ちがふと湧いて出て、こんなときに講義に出てみたのだった。
遠藤は、二限が終わって柳の研究室へ向かった。部屋の扉をノックしようとした瞬間、室内から話し声が聞こえてきた。先客がいるらしい。
改めてノックをする。どうぞ、といつも通り声が掛かる。
「失礼します――」
「ああ、遠藤君。ちょうど良かった」柳が嬉しそうに言う。「たった今警察の知人が来てるところでね。まあ、ブッキングするように呼んだから当たり前なのだけれど」
来客用ソファに座っていたスーツの男が立ち上がって、こちらを振り返った。
「どうも、初めまして。自分、雨宮俊と言います。一応、県警の刑事です」
遠藤は驚くよりも先にため息をついた。この男にまさかこっちでも会うとは。
「あのう、初めまして……。遠藤修介です」
「どうしたの。ため息なんかついちゃって」柳はコーヒーメーカーのスイッチを入れた。
「えっとですね……。先生は雨宮さんに一通りの事情は説明されたのですよね?」
「そうだけど、いけなかったかな」
「あ、それはいいんですけど――」遠藤は頭が痛くなりそうだったが、続けた。「話の本筋には関わらないことだったのでお話していませんでしたけど、雨宮さんってタルトピアでは柳さんの部下なんですよ……」
「本当に?」と、柳。
「はあ?」雨宮が拍子抜けした声で言う。初対面の態度が嘘のようだ。「あんまり調子に乗るのもいい加減にしてくれよ。こっちは勤務中わざわざ抜け出してきてるんだぞ」
「そういう失礼なところもまたそっくり……」遠藤は先程より深くため息をついた。
「遠藤君。君の話では時間はあまり残されていないんだろう。ちゃんと話してくれないかな」柳は芯のある声で言った。
雨宮に一々付き合っていられなかったので、遠藤は柳に今度こそ事の詳細を話した。辻元という工作員のことも、通話の録音記録を雨宮に聞かせると特に何も言わず雨宮は黙って遠藤の話を聞いていた。
ちょうど、遠藤が話終わった頃に、コーヒーメーカーが音を立てる。
「まさか早坂君までもがねぇ……」柳は随分と感慨深そうにしている。
「勘弁してくださいよ。柳さんの部下だなんて」
「僕もあまり君を部下にしたくはないなぁ」
「ということで」遠藤は話を整理する。「雨宮さんにはこの件について調べてほしいと思っています。僕の友人がこの世界で工作員に関する情報を集めているそうなんですが、かなり危険な状態にある、ということを聞いています」
「その友人というのは?」
「Codaの部員の、神原優子、と言います」
「神原優子……。そうか」数秒目を閉じた後、柳は言った。「雨宮君、協力できそうかな」
「そう言われましても……」雨宮は面倒くさそうな表情を浮かべる。「警察が動くには事件性だったり確証が必要なんですよ」
辻元はこの件に関して、遠藤からの働きかけによって公的機関に感知させることを、越権行為としてやってはいけないことだと言っていた。だが、遠藤としてはそのような制約に縛られて動くつもりはなかった。現に、遠藤がこうして警察組織の人間に話ができている時点で、その制約はかなり甘いものであると遠藤は踏んでいる。おそらく、遠藤修介個人に対しては工作員からの攻撃というのは、タルトピアの全権者たる遠藤昭によって制限されているのではないか……、と。
「その友人が言うには、今月半ばに伊勢佐木町のアパートで男性の遺体が発見された事件があったみたいなんです」
「伊勢佐木町?」
「はい。死因がはっきりと特定できていないということだったそうで、新聞の片隅に載っていた記事を見せてくれました」
「……それで」雨宮が続きを促す。
「その男性が住んでいたアパートの隣の部屋の住民が、彼女の友人で、この件について調べていた一人なんだそうです。現在も行方不明らしくて」
「はぁ……」雨宮は頭に手を当てて、うなだれた。「その事件、うちが担当したやつだわ。間違いない」
「雨宮さんが?」思ってもみない偶然に、遠藤は話の手間が省けたと思った。
「ああ。俺や早坂さん、お前の親父さんが所属している部署は”未詳の特査”って呼ばれててな。まあ言ってみれば、未解決事件を押し付けられる部署なわけだ。捜査一課一係とかが請け負ってるシンプルな強盗、殺人の類の犯罪はうちが最初から関わることはほとんどない。その捜査上で、どう考えても犯人が割り出しきれない、死因を説明するのに充分な根拠がない、とかいった理由で未解決のままになった事件が特査に回される。事件の墓場みたいなもんだな」
「そんな部署だったんですか」
「今、少し馬鹿にしただろ」雨宮は不機嫌に言う。「同情はいらねえぞ」
「あ、そうじゃなくて」遠藤は首を横に振った。「父が働いている現場の話を聞くのは初めてだったもので……。それに、未解決事件を任されるってことは相当実績がないとできない仕事じゃないんですか?」
「褒めたつもりかよ」雨宮はぷいっと顔をそむける。「その日も、死因が良く分からないとかいう理由だったかで、現場まで行ったんだ。幸い、県警から伊勢佐木町まではかなり近いし、被害者の部屋も冷房が効いてたみたいであんまり嫌な思いをせずに済んだけどな。
その男の身元は、超高エネルギー研究機構みたいなところの所員で、SILC研究所っていう所に勤めていたことが後から分かった。どうやら国が秘密裏に進める研究だったらしくて、あまり深いところまでは俺たちは踏み込まなかった。結局、進展はそのくらいでまだ事件は未解決のままだな」
「そういう身元だったから、近隣住民からの聴取はしなかったんですか?」
「したさ。でもわざわざ留守だったり空き部屋だったりっていう部屋の人たちを全員調べ上げて、後から連絡をするみたいなことはしなかった。そこまでうちも余裕がある部署じゃないんだよ。未解決事件は一日にいくつも回されてくるし、一つのものに注視し続けることもままならないことがほとんどなんだ。なのに、人員はこの間やっと一人増えただけで、全体としちゃ五人でやってるんだよ。ありえねえだろ?」
「まあまあ。愚痴はそれぐらいにして……」柳が言う。
「さっきも言いましたが、神原優子の知人、その伊勢佐木町で殺された男の隣の部屋に住んでいた女性が、何らかの手がかりを掴んでいることはまず間違いないと思うんです。神原優子はその知人からデータのファイルを受け取っています。彼女が姿を消したのはそれからです」
「そのせいで、神原優子も工作員とやらに狙われてる、って話か」雨宮はコーヒーを一気に飲み干した。「どう思います? 柳さん」
「今の話で、確信した」柳は雨宮からコーヒーを受け取って、口に含む。「神原さんは、今とても危険な状況にある」
「今の話で?」遠藤が口をはさんだ。
「この間の大規模停電時、僕はSILC研究所にいた」
「柳さんが? え?」雨宮が驚きを露わにする。
「柳さんの研究分野と直接は関係ないんじゃないんですか?」
「その通り。それは誰から聞いたのかな」
「柳さんです。タルトピアの」遠藤が答える。
「何でも知っているな……」柳は参った、という感じで頭の後ろで腕を組む。「関連するところはあるからね。国の方から直々に見学のお誘いが来たんだよ。停電当日、僕はあそこにいた。停電が起きて、研究所内は一時的なパニックになった。その時にある女性に出会った」
雨宮も遠藤も柳の言葉の続きを待つ。
「彼女は喜山春子という名前だった。見学者証明書に名前が書いてあったのが見えた」
「その人が、どうだっていうんです」雨宮が訊く。
「簡単な話だ。彼女は偽名を使って研究所に潜り込んでいたんだよ」机の上にあった煙草の箱を取って、柳は言った。「彼女が神原優子だ」
「神原さんがあの研究所に?」遠藤が訊いた。「そんなこと聞きませんでしたけど……。柳先生は神原さんに研究所以外で会ったことがあるんですか」
「ないよ。会っていたら一目見た時点で気づいたはずだ」柳は煙草に火を点ける。「安直な偽名の付け方なのか、わざと偽名から本名を辿れるようにしているのかわからないけど」
「どういうことです?」
「アルファベットにして並び替えるだけだ。神原優子と喜山春子。書き出してごらん」柳はメモ紙を遠藤に手渡した。
遠藤はペンでアルファベットを書き出して、一つずつ斜線で消していった。
「本当だ……」
「こういうの初めて見たっす」雨宮も少し興奮している。
「真実を証明するのにはやり方はひとつじゃないってことだね。多角的に事象を観察すれば、すべては繋がっていることが分かる。現実は複雑だから、こういう所からも辿れるんだね」
「雨宮さん、少しは信じてもらえますか」恐る恐る遠藤が訊く。
「どうやらお前の話は本当に起こっていることらしいな」雨宮は鼻を鳴らした。「手伝ってやる。お前が次に意識不明になった後、こっちの処理は引き受ける」
「ずいぶん協力的ですね」
「元々根が良いやつなんだ。俺は」
「雨宮君、内部を説得する自信はあるの? そんな安請負して」
「え? 柳さんにも来てらいますよ。早坂さんは俺一人じゃちょっと厳しいですから」
柳は無言で机に向き直ると、煙草の火を消してため息をついた。
「幸福がどんどん逃げていく」
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