共闘
7
大学から徒歩五分。喫茶『バラード』。平成生まれの学生にさえも、何故か昭和を感じさせるようなレトロな内装が売りの個人経営のカフェだ。暖色の仄かな間接照明やレンガ壁、微かに響くモダンジャズなど、居心地は良い。
そこに半ば強引に拉致されたような形で、遠藤は神原と対峙していた。
「何だっていうの神原さん」
「さっきから質問が多い」
「いや、神原さんのイメージと違うっていうか……。俺が寝てる間に変化あったの?」
「あーもう。少しは黙ってくれないかしら。スピッツみたいにキャンキャン吠えて」
「スピッツ?」
「本題に入るよ」神原はクリアファイルを鞄から取り出した。「遠藤君、ムカンという言葉を知っている?」
「夢監……? 知ってますよ――」
「なぜその言葉を知ってるかってことでしょう?」間髪入れずに神原は言う。
「まだ神原さんには話してないんだけどな……」遠藤は怪訝な顔をした。
そんな経緯で、お互いに知り得た情報を共有することになった。神原優子が実際にどんな活動をしていて、なぜ夢監というワードを知っていたかということも話に出た。それで初めて遠藤は神原が多くのことを隠して学生生活を送っていることを知った。勿論、神原も遠藤の話には些か懐疑的ではあったが、オーバーなリアクションをすることもなく淡々と情報の共有は進んだ。話し方から焦燥を感じた柳よりも建設的な話し合いになったのではないかと思うほど、神原は落ち着き払っていた。感情を完全に排するとはこういう態度のことを言うのだろう。
「神原さんって何者なわけ?」呆れた、といった感じの遠藤。
「何物でもない。ただの小物よ。普通ならそんな相手に政府や機関は一々構ってこないわ。遠藤君は知らないかもしれないけど、意外といるのよ。世の中にはネズミみたいに色々と嗅ぎまわっている連中が。私はその界隈に片足突っ込んだら、思いっきりその足を引っ張られてドボンしちゃってるだけ」謙遜でもなさそうに神原は自然とそんなことを言う。「あなたこそ何者よ。宇宙移動なんて話が吹っ飛びすぎてる」
「俺が訊きたいよそんなの」
「実際に遠藤君の体がどっかに行く訳じゃないから、信じがたいけど……」神原は書類に目を落とした。「片瀬君からのたれ込みに感謝して」
「倉持がこの件に関与している可能性なんて本当にあるの? 片瀬の見間違えとかじゃない」
「その可能性は大きい。でも無視するには片瀬君が目撃した時期がちょっと怪しすぎるかな。本人に聞けば済むことだけど、それをしちゃ意味ないし」
「病院に居たときも、柳先生のところに行ってた時も片瀬はそれを知ってて黙ってたのか」
「それもそれで探り合ってるみたいで気持ち悪いわね。まあ実際そうなのかもしれないけれど、彼も彼の中で半信半疑なんじゃないかしら」
「一人前に悩んでるのか。話してくれてもいいのに」
「それは置いておいて……」神原はファイルに手を伸ばす。
そのタイミングでウェイトレスが注文したものを持ってきた。神原は従来のイメージ通りのイチゴパフェを受け取る。遠藤は二杯目のホットコーヒーを注文する。
「私の友人から送られてきたメール、その中に遠藤君の名前が入ってた時には心臓が口から飛び出るかと思ったわ。無事にこうして面会できていることが奇跡かもしれない」
「俺が危ないの? それとも神原さん?」
「どっちもどっちよ」苦笑する神原。「その工作員とか特派員とかいう奴らは遠藤君を監視しているんでしょう? 今だってこの店内で見張られているかもしれない」
神原がそういうので遠藤はさりげなく周りを見渡した。特に見られているような気配は感じない。
「そうじゃなくてもGPSで居場所は知れている。かたや私は友人から託されたもののおかげで追われる身。どう考えても危ないでしょう」
「確かに」
「危険度の高い案件に倉持君が関わってくるとなると、一体どういうことなのかよくわからなくなってくる」
「もしかしたら倉持も神原さんみたいな活動をしてるんじゃないの」遠藤が思いついたように言った。
遠藤のコーヒーが運ばれてくる。
「それはちょっと思った」神原は髪を掻き上げる。「裏で偽名を使って活動している可能性はある。それか倉持というのが偽名なのか……」
「偽名か……。神原さんは偽名あるの」
「あっても言っちゃったら意味ないでしょ」
「あ、そうか」
「いずれにせよ、倉持っていう名前を使わずにその手の活動をしていたとして、工作員という存在に接触する理由は何だと思う?」
「理由?」
「私の友人が住んでいたアパートの隣の部屋の人がそれらしい奴に殺されたのよ? 普通なら工作員の存在を警戒してできるだけ近寄らないように努力すると思うの。遠藤君が行って来たっていうタルトピアや宇宙移動のことに関わろうとするなら、それが自然だわ」
「でも何の前提知識もなかったら工作員の存在も知らないはずじゃない」
「そこが引っ掛かるのよ……。如何にして工作員の存在を知り得たのか、そして工作員に自ら接近するほどの理由は一体何なのか……」
「掴みどころのないやつだなと思ってはいたけど……」遠藤は思案する。「理由がわからなくても、もし倉持をそういう情報収集を活動している人間と仮定するなら、以前から俺はマークされていたってことにならないか?」
「良いところに気が付いたわね」
「その上から目線どうにかならないの」
「今はどうでもいいわ。タメ口許してるんだから我慢して」神原は半分ほどパフェを食べ終わっていた。口元に生クリームが付いている。「そういうの気づいて、ギョッとしなかった?」
「しないほうがおかしいよ」
「すべてが仮定の上での話だけれども、私よりもこの件に関してはだいぶ前から通じていることにもなる。そうなると、いくら片瀬君が倉持君と黒スーツの男たちと会っていたのを見たって事実を隠していても、所有している情報量で圧倒的に負けていることが予想できる」神原は冷静に分析した。
「やばいんじゃないの、それ」
「やばい」神原は言う。「いや、倉持君の目的が全く分からないけれど、ようするにあちらの邪魔にならなければいいはず……。もし倉持君が私の友人を追い込んだ工作員の側に何らかの形でついているとしたら、相当危険な状況ね」
「もう充分危険性は理解したから……」遠藤はコーヒーを飲み切り、煙草に火をつける。「この警告じみたのがわざわざ呼び出した理由なの?」
「まあ」やっと口元の生クリームに気づいた神原は、それをさりげなく拭き取る。「言いたかったことの一つかな」
「あそう……」
「遠藤君からはないの? しばらくコンタクト取れないかも」
「うーん……」遠藤は特に神原個人に対して意識して考えたことがなかったので、少し言葉に詰まった。「ああ、最近、園ちゃんはどうしてる?」
遠藤は久しく会っていなかった園恵美の話題に切り替えた。
「なんでそんなこと」神原は目に見えて不機嫌な顔をした。
「そんなこと?」
「いや違くて」
「神原さんがこんな人だって、親友の園ちゃんは知ってるの?」
「……いや」視線を逸らす神原。
「酷いでしょそれ。俺からだけじゃなくて、皆から見ても二人は大の親友って感じに見えるし、園ちゃんもそれを内心嬉しく感じてると思う。態度で見てれば分かるよ」
神原は何を言うでもなく、目の前のテーブルに視線を落とした。
園恵美はCoda関連の集まりの場では大抵神原と一緒にいる。サークル内でなくとも、構内で二人でいるのを見かけることもしばしばだった。彼女はその勝気な性格でズバズバと本質を突くところがあり、同性間では昔から敬遠されることが多かった、と遠藤は本人から聞いたことがあった。決して間違ったことを言っているのではないし、場合によっては彼女の意見のほうが正しい時もあった。しかし正論がいつも受け入れられるとは限らない。彼女の真っすぐさが人の心には刺さるのだ、と遠藤はぼんやり思った。
そんな園恵美がどう見ても大切にしている親友、神原優子がこの調子である。園が信じている神原は幻なのだ。神原自らが作り上げた外面的な装飾に過ぎない。
「悲しずぎないか」遠藤は思ったことを素直に口にする。
「たぶん、あの娘気づいていると思う」
「え?」
「いつもは空気なんて読めないし、すっごく真っすぐだからこっちも油断してる部分はあるんだろうけど、たまに笑顔が不自然なんだ」神原は窓の外を見た。「引きつってるっていうか、心からの笑顔じゃない。それは割と一緒にいる私だからこそ分かることだと思う」
「それってお互いに偽ってる――」
「これが私たちの友情なのよ。それでも一緒にいるのは何故かしらね……」
「わからないな」
「もういいでしょこの話は」神原は軽く伸びをして言う。「一般常識では理解できない概念だってこの世の中には腐るほどある。個人個人の常識の最大公約数で構成されているものが、社会的規範であり『普通』の人の考え方になるの。そうして、大体の人は自分の中にも社会の最大公約数が存在することで、安心できる。落ち着ける。一人じゃないって。そういう効果があると私は思うわ……。少なくとも種として自己防衛のシステムを構築したというのは、評価できると思う」
「神原さんの話はちょっと難解過ぎ」煙草を消して、遠藤も同じように伸びをする。「とにかく、神原さんは倉持のことについて調べるんでしょ?」
「そうね、このままだと動くに動けない。調べようとしても、こちらのことをずっと監視していたなら私が倉持君のことを調査するのも予想できる範囲内だから、しっぽを見せてくれるかは怪しいわね。でも、やってみる価値はある。倉持君が何の関係もなくてただヤクザに絡まれてただけって可能性だって充分にあるから」
「希望的観測って気がするなあ」遠藤はそう言って神原を見て微笑する。
「何笑ってるの」
「まだ口元にクリームついてるよ」
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