疑心暗鬼

     6


 翌々日、遠藤らは例によって倉持のアポイントメントのおかげで時間通りに柳教授と会うことができていた。基本的に一日前に連絡をくれれば、翌日の仕事の三分の一ほどをその日中に済ませてしまうので時間を取らせてしまって申し訳ないと感じる必要はないと柳は言った。

「初めまして。僕のことはもう良く知ってるのかな」

「初めまして……。ええ、なんでも、こいつらがご相談というかお話に伺ったようで」遠藤としては初対面ではないため、違和感を覚えつつもそう答える。

「それはいいんだ。僕もちょっと退屈していたから」柳は湯気の立つコーヒーを一口飲んだ。「遠藤君はもう大丈夫なのかい」

「おかげさまで……。一昨日意識を取り戻しました。それで、すぐに柳先生にお話ししなければいけないことがありまして」

「そんなに急を要するのかな」

「はい。話としては全く現実味を帯びていないものなので、柳先生にお話しするのも本来失礼かと思うのですが。その、日向子さんにもおそらく関係してくることで、僕らで扱いきれる話の範疇を超えていると判断したのでこうしてお邪魔することになりました」

「日向子に? 意識不明の原因について何か関連があるということかな」

「そうなると思います」

 遠藤は片瀬らに話した時のように倒れてから後の出来事を詳細に語った。一度話したからか、頭の中で出来事が良く整理されていて話し終わるのにそれほどの時間は要さなかった。

「……この内容はまだ君たちしか知らないと考えていいのかな」

「そうですね。たかが一学生の僕らではどうにもならないと思って、最初は政府関係者とかそういう人たちに話すべきかとも考えたのですが、まともに取り合ってくれないだろうとのことで」倉持が経緯を説明した。

「そう……」柳は大きめのライターで煙草に火をつけた。「多元宇宙論なんていうのはあくまで一学説に過ぎないんだけれどね。もしその話が本当なら、驚きを隠せない」

「何の根拠もなしに信じてくださいって言うのもどうなのかって気はしてました。確かに、僕が見ていたのがただの明晰夢って言われてしまえばそれまでです。でも、僕は元々こんな知識なんて持ってないですし、嘘をつくメリットがないことは理解していただけると思うんですが」

「いや、遠藤君が嘘をついていると言っているわけじゃない。もしそれが世界の本質であり、それを基にした研究が実を結んで宇宙移転なる技術が生まれているとしたら、それは大問題だ、ということだよ」

「大問題?」片瀬が質問する。

「一五世紀半ばから始まった大航海時代は知っているだろう。それ以前も陸路による交流は盛んだったし、ローマ帝国みたいに広大な領土を持つ大帝国は既に存在していた。だけど航海の技術はそれまでとても未熟で、生還率はかなり低かったんだ。それでも人類は外へ外へ、未知なる領域を目指した。コロンブスがアメリカ大陸を見つけたとき、主語を変えればヨーロッパ文明がアメリカ大陸に到達したとき、原住民はどう思っただろうね。それまでの自分たちの世界の外、存在も知らないようなところから脅威が次々と来るんだ。遠藤君の話なら、まさに今こうして暮らしている僕らは征服される側でしかない。外界に対する知識を何ら持ち合わせていない極めて無防備な状態に陥ることになる。そんなことが世間に知れたら大問題だ、ということだよ」

「やっぱり誰かに伝えたほうが……」遠藤は柳の言葉で不安と焦燥を同時に感じた。

 このままでは、タルトピアのような荒廃し平和とは程遠い世界になってしまうかもしれない。それどころか、宇宙転移技術を開発できずに食い物にされ、タルトピアよりももっと酷いことになるかもしれない。脅威は未知数だ。

「いくら僕らが遠藤君の話を信じようとも、何か、この事実を証明できるものがなければ話にならない。それは君だって承知しているだろう」

「証拠……」遠藤は何かないかと思考した。何かタルトピアに関する情報を持っている第三者は……。

「そうか」遠藤はタルトピアの柳局長から言われたことを思い出した。「僕は一時的にこっちに来てるってとこまでは話しましたよね」

「また戻る必要があると聞いたけれど……」

「こっちに来るときは、カプセル状の装置に入ったんです。それで、あっちの世界、タルトピアに戻るときにも本来はそういう装置が必要みたいなんですが、僕の場合はタルトピア側から呼び戻せるそうなんです」

「遠藤君がその、夢人だからということか」

「どうもそうらしいです。夢人として認定されたものは数が非常に少ないんですけど、常人よりもSエネルギーを柔軟に扱うことができると。それで、その指示を仰ぐために僕に対して監視役の工作員が付いてるようなんです。こっちの世界で。その人にすぐコンタクトできれば……」

「そうすると監視役の人も夢人であるようだね」柳は冷静にそう呟く。

「たぶん……そうだと思います。工作員と呼ばれる人たちは、もしかすると自力で宇宙移転できるような能力があるのかもしれません」

「いや……そうすると、君にもそれができるということになるんじゃないかな。タルトピアの危機にとって、こちらの遠藤君は稀に見る有能な夢人なんだろう? もし工作員がそれ相応の能力を有しているなら、その上位互換である君が使えないはずはない」

「彼らは特殊な訓練を受けているんじゃないんでしょうか」倉持が口を挟む。「遠藤はまだその能力を認識して間もないというだけで、柳先生の指摘は正しいと思います」

「果たしてその工作員とやらにコンタクトが取れるのかというところだけど、方法はあるの?」

「こっちに来る前に電話番号を教えられたんです。それがたぶん彼らに繋がる番号なんでしょうけど……。今の今まで番号のことを忘れてました」

「よくそんな不確実な方法で君をこっちに寄越したものだね、タルトピアとかいうところの僕は」苦笑いをして柳は言う。

「仕方がないんじゃないですか。こっちにはそんな設備もないんだし」片瀬が言う。いつの間にか煙草を吸っていた。

「修ちゃん、すぐ戻るの?」今まで一言も発さなかった湊が初めて口を開いた。

「できるだけ早く戻らないといけないと思うけど、具体的な時間は指定されてはいないよ」

「そう……」湊は覇気のない声で返事をした。

外側から見える湊はいつもと変わらないが、実はまだ精神的に引っかかる部分があるのかもしれない、と湊の表情を見た遠藤は思う。

「今じゃなくてもいいからその番号にかけてみたほうが良さそうだ。どっちにしろタルトピアに行く時には電話することになるのだから、相手とある程度会話しておいても良いだろう」

「後でかけてみます」

「こちらが講じることができる範囲はかなり限られている。一応、僕のあって無いような人脈でその方面の人に連絡を取ってみる。説得できれば、その人から政府関係者に働きかけてもらえるかもしれない」

「ありがとうございます」

「そうだね……」柳は一瞬言葉を切ってから言う。「何よりもまず工作員と連絡を取ってくれ。それが先決だ」

遠藤から見て、ここケーレスの柳はどこか焦っているように感じた。タルトピアの夢人監察局の柳と柔和な雰囲気は似ているが、何か違う。こうして別の世界でそれぞれ同じ人間を観察することはもちろん初めての経験であったので、頭が混乱しているのかもしれなかった。しかし、柳が落ち着かないように見えるのは気のせいではないだろう。

おそらく、彼は研究者としての血の騒ぎと姪である林日向子の安否がどうであるかというところで揺れているのだろう、と遠藤は思った。理系の研究棟に来るまでに倉持が柳教授の専門について概説してくれたが、宇宙転移技術については柳の専門分野とは異なるものの、タルトピアの量子物理学の論文を読めばそれなりに理解はできる範囲ではないかという予測を立てているそうである。一方、遠藤はこうして無事に意識を取り戻したが林日向子は依然として目を覚まさない。遠藤の予想通り、日向子がケーレスでもタルトピアでもない宇宙へと転移している可能性はあるが、その場合二つの宇宙において意識の戻らない林日向子が存在することになるので、タルトピアの量子物理学では明確にこれを説明できない、といった問題点が浮上する。ケーレスの柳にはまだそれを判断する知識はないはずだが、林日向子は一体何処にいるのかという茫漠とした不安の種を消し去ることができず、柳の精神状態もまたどっちつかずではないのか、と遠藤には思えた。

遠藤は政府関係のことを柳に一任し、工作員に連絡を取るべく湊たちと共に研究棟を後にした。

文系学部のエリアまで戻ってきて、一同はベンチに腰掛けた。倉持は用事があるとのことで、今は片瀬と湊のみが遠藤と一緒にいる。

「じゃあ、連絡してみる」遠藤はスマートフォンをポケットから取り出して言った。

「電話がかけられるってのでやっと信用できる感じだな」片瀬がそんな感想をふと呟く。

「片瀬君信じてなかったの?」と、湊。

「いや、信じてたけどよ…。実感がやっと湧いてきたっつうか」

「かけるぞ」遠藤が記憶していた電話番号を打ち込み、コールする。念のため、通話を録音する設定に変更した。もし相手が出れば、何らかの物証になるかもしれないからだ。

一回、二回、三回コールが鳴ったところで相手が応じた。

「もしもし」

「遠藤修介君で間違いないか」

「あ、はい」

「こちらは夢人監察局特派員の辻本だ。以後、この電話は常にこちらが記録し、そちらの位置を探知しているものと考えてもらって差し支えない」辻本と名乗る男はそう告げた。「用件は」

「辻本さん……ですね。こちらの柳さんに事情を説明しました。他に話したのは僕の友達の市川湊、片瀬拓哉、倉持涼だけです」

「倉持か……まあいい」電話の向こうからため息が聞こえる。「それで? もう帰るのか」

「いや、柳さんに話した時に、話に信憑性を持たせるには何か証拠がないと信じてもらえないだろうという助言を受けたので、協力をして頂きたいと思いまして……」

「ケーレスにおいて事実を公的機関に認知させる必要性をこちらは感じていない。全権者様の意向にはそれは含まれていない。あくまで、君がケーレスに戻っている間に話す必要性が生じた場合に、限られた個人に対してのみ事情の説明を許可してあるだけだ。それ以上は例え君が史上稀に見る夢人であることや、全権者様の御子息であるとしても、越権行為として私たちが介入することもあり得る」

「えっと……それじゃあ協力できないということですか?」

「そうなる。限られた個人を信用させるだけなら、君が説得すればいいだけの話だ」

「そうですか」遠藤は片瀬と湊に無言で首を振った。

「帰る時にまた連絡を寄越してくれ」辻本はそれだけ言うと、一方的に電話を切ってしまった。

「だめだ、話にならない」

「なんで協力的じゃないんだ?」片瀬が度し難いといった表情で言う。

「世間に事実を認識させるのは越権行為らしい」遠藤はため息をつく。

「何のための特派員だと思ってんだそいつら」

「あっちの、俺の親父がそういうことを意図していないらしい」

「お偉いさんなんだっけ?」湊が訊ねる。

「全権者様とか言って偉そうにしてた。なんだか笑っちゃうけど」

「この後どうすんだよ」片瀬は不躾に言った。

「どうもこうも……。帰るしかないんじゃないの」

「何でお前知らない奴らにそこまで協力するんだよ。放っておけばいいだろ」

「そうだよ。修ちゃんには関係ないよそんなこと」

 片瀬も湊も半信半疑に遠藤を引き止める。

 やはり、二人とも心の底から納得できていないのではないか。言葉では友人として信じているつもりでも、本質の部分、本能的な部分では理解していないのかもしれない。

 それも考えてみれば当たり前の話だ。突然気絶した友人が目覚めたと思ったら訳のわからない話をしてくるのだから、訝しく思っても不思議ではない。常人の反応としては妥当なところ、むしろまだましな対応なのかもしれない。

「俺はあっちの、タルトピアの現実を見てきた」遠藤はまだ話していなかった保護区画外の詳細な描写を語り始めた。「ここみたいに平穏な暮らしが約束されてるようなところにいたら絶対分からない感覚だと思う。実際、俺もそれを見せられるまでは何で俺がこんな羽目にって感じたし、そんな事に首を突っ込む気もなかった。でも、一歩都市部から離れたら建物だか瓦礫だか分からない殺風景で殺伐とした世界が広がってたんだ。信じられなかったけどその廃墟みたいなとこで政府の保護を受けられなかった人たちが暮らしてるんだよ。気が違ったって思うなら別にそう思ってもらってもいい」遠藤は突き放すように言った。

「だから、そういう話じゃないだろ」目に見えて片瀬は苛立っている。

「ちょっといいかなぁ」

ふいに一同はベンチの後ろから声をかけられた。

 神原優子だ。

「神原さんじゃん。どうしたの」

「お取込み中ごめんね。遠藤君が目を覚ましたって聞いたから病院に行ったんだけど、もう退院してるって言われちゃって……。もしかしたら大学にいるかなぁと思って来てみたの」神原は愛想たっぷりに笑った。

「そうだったんだ。何だか手間を取らせちゃったみたいでごめん」

「いや、それはいいんだけど……」神原は片瀬に一瞥くれて、言った。「遠藤君ちょっと借りてもいいかな?」

「え?」

「何で」湊は不機嫌そうに言う。

「二人で話したい事があるの。片瀬君も、いいよね?」神原は不敵に笑うと遠藤の手を引いて正門の方に歩いて行ってしまった。

「うっそ……。信じらんない」湊は両手で口を押さえている。「神原さんてあんな強引な子だったんだ」

「こっわ」片瀬は背筋を凍らせた。

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