帰還

     5


 遠藤修介は小型宇宙転移装置に入って準備態勢に入っている。リクライニングで背もたれを全部倒したような傾斜の椅子に寝っ転がって、頭にはバイクのヘルメットのようなものが装着され、そこから無数のケーブルが伸びている、という状態だ。遠藤がタルトピアに来て目覚めたときに出てきたカプセルとほとんど外観は同じであった。これは最新型の宇宙移転装置で、最近小型化に成功したものだそうだ。

「じゃあもう閉めるから。目瞑ってるだけでいいよ」柳が指示する。

「あ、ちょっと待ってください。元のとこに帰っても、皆さんは別の人格として存在してるんですよね? もし遭遇したらどうすればいいでしょう……。特に柳さん」

「ケーレスでの僕も、日向子とは姪の関係であることが確認されている。大学の教授をやっているようだね。研究者の血が流れているんだろう」満足そうに柳は笑った。「事態は急を要する。もしその必要がある場合は、僕らから聞いた事情を説明して良い。ただし、相手が信じるとは限らないから、人を選んで話して欲しい」

「わかりました」遠藤は仰向けのまま柳を見上げて返事をした。

「じゃあ、閉めるよ。目を瞑ったら、できるだけ明確なイメージをするんだ。慣れ親しんだ場所でもいい。とにかく自分が戻ってきている具体的なイメージを心がけてくれ」そういって柳はカプセルのハッチを閉じた。早坂と雨宮は権限がないので立ち会ってはいない。

 カプセルの中は真っ暗だ。自分の呼吸音さえも吸収され、融けてなくなる。

 遠藤は静かに目を瞑った。

 思い浮かべるのはM大の学生食堂。いつも暇な部員が誰かしら居座っている一画。

 微かに躰が温まっているような感覚になった。

 次第に意識が遠のいていく。

 白く。

 白く。

 真っ白な世界に落ちる。

 黒く。

 黒く。

 暗闇に支配される。

 意識が戻ってくる。

 どれくらいの時間が経ったのだろうか。

 瞼が重い。

 光がちらつく。

 少しずつ、瞼を開ける。

 音が鼓膜を通じてだんだんと聞こえてくる。

 一定間隔の電子音が響く。

 天井は真っ白だ。

 遠藤は完全に目を覚ました。

 まずゆっくり上体を起こしてみる。

 まっさらなシーツと掛け布団、病院特有の薬品のような鼻をつんとつく匂い。ここは病院のようだ。

 一番窓際のベッドだったので、少しだけ窓から外が見えた。

 いつもと変わらない。帰ってきた。そう思うとなんだか嬉しくなって、目頭が熱くなった。

 ふいに、声をかけられる。

「修ちゃん……?」

 振り向くとそこには市川湊の姿があった。彼女の持っていたバッグが落ちる。

「修ちゃん!」湊は遠藤の胸に飛び込むようにして抱きついた。

「お、おい」突然衝撃を受けた遠藤は湊の勢いに押されベッドに仰向けになった。

「あ、ごめん」

「いや、別に」

「大丈夫なの? 平気? いつ目を覚ましたの?」心配そうに湊は訊いた。

「そんなに質問攻めにするなって。さっき起きたんだよ」湊を押し返しながら遠藤は言った。「担当の先生とかいるんでしょ。呼んできてって」

「そっか」完全に忘れていた様子の湊。「そのままだよ。また寝ちゃわないでよ。そのまま」

 そう言って湊は廊下に飛び出して行った。

「ナースコール鳴らせば良かったかな……」慌てて飛び出して行った湊を見つつ遠藤は一人呟く。

 とにかく、戻ってきた。

 ケーレスだかなんだか知らないが、ここが俺の場所だ。

 故郷の空はとても青く澄んでいる。

 病院の前の大通りも見通すことができた。街の雑踏が聞こえてくるようで、いつまでもこんな平和な街並みを眺めていたい、と遠藤は思った。

 しばらくして、湊が医者とナースを連れてきた。担当医による簡単な検査と質問に答えたりして問題なし、という判断が下された。

 それからは人の往来がとても激しくなった。遠藤の両親や大学の友人、Codaの部員が次々と見舞いに訪れて、夕方までそんな状態がずっと続いた。

 担当医によれば、明日まで一応経過観察期間ということで病院にいることになった。見舞客の相手をしてかなり疲れ切っていた遠藤は、できれば明日は誰も来てほしくないと感じたが、それと同時に一日にこれほどの数の人が自分の元に来てくれたことがとても意外で、今まで感じたことのない幸福感で満たされているのも事実だった。

 聞くところによれば、林日向子はまだ目覚めておらず、状態は安定しているものの、依然として意識回復には至っていないそうだ。

 彼女は一体どこに行ってしまったのか。

 遠藤にとってそれが今一番気がかりなことであった。

 タルトピアの柳局長は、事情を話す相手は良く選べと言っていた。それはやはり、この世界においては遠藤が話すことは夢物語でしかなく、しばらく気を失っていたせいでそんな変なことを言うのだろう、と周りに受け取られる可能性が高いということだ。話を聞いてすぐに飛躍した発想をするような人ではなく、ありえないような話でもまず咀嚼し冷静なアドバイスなり受け答えをできるような落ち着きを持った人でなければならない。

 湊は見舞客が来ては去っていくのをずっと見ていて、結局陽が落ちるまで病室に居座っていた。あとは大学の講義が終わってから来た片瀬、倉持が残るのみとなった。今日はもう誰も来ないだろう。湊が少し心配だが、倉持がそこはセーブしてくれるだろうと遠藤は淡い期待を抱きつつ、話を切り出した。

「お前らちょっと話があるんだ」

「見舞客への文句なら止めてくれよ」片瀬がいつもの調子で言う。遠藤にはそれだけでとても懐かしく思える。

「何か変な夢でも見た?」倉持が言う。

「夢というか……。今からする話は気絶してた間に見てた夢とかそんなんじゃないんだ。ふざけた話でもないからちゃんと聞いて欲しい」

 そういうと三人は少し姿勢を正すようにして真面目な顔つきになる。

 遠藤は今まで自分の身に起きたこと、主にタルトピアの危機などについての詳細な事を要約して話した。具体的な人物名は柳局長以外は敢えて出さなかったし、遠藤が飛ばされた原因がSILC研究所の人為的な暴走であることは伏せていた。湊の叔母の事故はほとんどそれが原因であるようなものと解釈されてもおかしくないからだ。いつかは明かさなければいけなくなる時が来るだろうけれど、湊の精神状態が落ち着いている今はそこに言及すべきではないと遠藤は思った。話が終わるまで、誰も口を挟まなかった。

「――それで、今俺はこうしてこっちに戻ってきたってわけ」そう言って遠藤は一息ついた。

「信じられねえな……」片瀬はそう言いながらも、腕を組んでいる。何か考えているらしい。

「ほんとにそれを信じろっていうわけ?」湊はすっかり元気を取り戻した様子で、強気である。

「そんなこと言ったって事実なんだ。本当は早く政府の人とかに伝えたほうがいいんじゃないかとも思うんだけど、信憑性の欠片もないだろ? だからこうして信頼できるお前らに話してる」

「遠藤がそういうんだから、そうなんじゃないかな」倉持が遠藤に同調する。「僕らが信じなかったら誰が信じるんだって話でしょ?」

「そうだけど……」湊は遠藤をじっと見つめた。

「倉持なんか知ってんの?」片瀬が突然そんなことを口に出す。

「え?」

「すぐ信じられる根拠がなんかあるのかと思って」無表情のまま片瀬が訊く。

「僕だって内心信じられないよ。こんな突拍子もない話普通誰も相手にしないって」

「倉持……お前まで……」遠藤が言う。

「いや、それでも、目覚めてまだ一日も経ってないで面白半分にこういう話をするにはあまりにも話が複雑すぎる、そう思っただけだよ」倉持は軽く笑った。

「そうか……。変なこと聞いてすまん」

「いいよいいよ。それより、やっぱりこれは僕たちの間だけでどうこうできるわけじゃないよね……。柳先生にも話した方がいいんじゃないかな」

「柳先生って、日向子ちゃんの叔父さんの?」と、湊。

「そうそう。まだ日向子ちゃんは目が覚めてないけど、遠藤が体験したことと彼女も何か関係があるんじゃないかな。そういうことを抜きにしても、一緒に倒れた遠藤がこうして目覚めたことの報告もしに行ったほうが良いと思う」

「確かにそれは一理あるな」遠藤が頷く。

「それじゃ、倉持が例によってアポ取ってくれるってことか?」片瀬が言う。

「例によって?」遠藤が訊いた。

「ああ、この間この三人で柳先生のとこ言ってきてさ、その時にアポ取ってくれたのも倉持だったから」倉持を見遣って、片瀬が得意げに言った。

「そっか。じゃあ今回もよろしく、倉持」

「はいよー」倉持は気の抜けた返事をした。

 明日はしっかりと休もう、遠藤はそう固く誓って、皆を見送った。

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