全権者

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 全権者委員会極東支部。都市部の中でも一際目立つ存在感を放っている。全面黒で統一されたその高層ビルは、都市部のみならず保護区画外のどこからでも見上げることができる巨大な構造物だった。全権者の執務室は最上階ではなく、中層階にすっぽりと収まっていた。まるで全権者の謙虚な姿勢というイメージを打ち出しているかのようであったが、執務室からでも容易に都市部の街並みを見下ろすことができる。

 遠藤たちはサガミラインから直接このビルへとハンヴィーをとばしてやって来た。運転する雨宮を急かしたのは遠藤である。早坂は、遠藤の心境の変化というものを僅かながらに感じつつあった。もう元には戻れないだろう。良くも悪くも。

 一階の受付で女性職員に用件を伝えると、そのままエレベータで執務室の前まで案内された。

「全権者様。遠藤修介御一行様が到着されました」扉の前に立つと、女性職員は極めて事務的な声でそう伝えた。

「入れろ」遠藤には聞き覚えのある声が扉横のスピーカーから響く。

 職員がノックをしてから扉を開けると、そこにはやはり遠藤の良く知る実の父の姿があった。少し髭を伸ばしているようだ。

「では、私はこれで失礼いたします」それだけ言うと職員はそそくさと去っていった。

「夢人監察局監察官早坂美波、雨宮俊及び夢人遠藤修介、到着いたしました」早坂がはきはきと言ってお辞儀をすると、雨宮もそれに倣った。遠藤は一応頭だけぺこりと下げる。

「ご苦労」良く通る低音で昭全権者はそう言った。「遠藤修介君。初めましてと言った方がいいのだろうな。私が全権者委員会極東支部の長を務める、遠藤昭だ。タルトピアでの君の父だ」

「初めまして。遠藤修介です。ケーレスでのあなたの息子です」怯むことなく遠藤もそう言う。

「ウム。タルトピアの修介よりかは肝が据わっているようだな。元々そうなのか」

「いや、先程タルトピアの現実を一部だけれど見てきたんです。一応敬語を使う方がいいのでしょうね」

「私も変な感じだ。見た目は実の息子と何の変化もないのに、中身だけ変化して雰囲気にも微小な違和感を感じる。こういうことを続けていると精神がおかしくなってきそうだな」昭は鼻を鳴らす。

「そうですね。ケーレスでの親父はただの警官で、年功序列というのがあるのかわかりませんがそれなりの役職には就けているみたいでしたが、ここまで偉い実の父の姿を見るというのはなかなか実感が湧きません。日本国総理大臣よりも偉いのでしょうか」遠藤は表情を固めて言う。

「そうなるな」昭は無表情に言う。

「そうですか……」何とも言えない表情の遠藤。「それで、今日は何かお話があるとのことですが」

「今後の君の役割というものを、君自身が認識しているのか、直接私が会って確かめようと思っただけだ。他意はない」

「聞きたいことがあります。保護区画外の住民に対する何らかの対策は考えてあるんですか? さっき見てきた限りでは、あまりにも酷い状況のようでした。そこまでの対策を講じるだけの予算がないのか、この極東支部として支援する意思がないのか、そこのところを詳しく聞きたいです」こんなにも明確に訊きたいことが自分の口からすらすらと出てくることに遠藤はひどく驚いた。すでにこの世界の現実というものに対して順応し始めているのだろうか。

「その件に関しては現在検討中だ。別段予算がないわけではないが、すべての保護区画外の人間に対して援助を行うことだけの余裕はない。資源というのは限られている。使えるものは使わなくてはいけない。それがこの世界の現状だ。ただ一つ言えるのは、あのエリアは『保護区画外』という名称が付けられているということだ」

「支援には消極的である、ということですか」

「そうではない。私はイレーネからの未知なる攻撃に晒され続けたこのタルトピアという世界の復興を第一目標としている。イレーネからの攻撃を防ぐことができる技術の開発にも注力し、現時点では攻撃を未然に防ぐことも可能になっている。最終的にはこの地球も元通りに平和なものになるだろう。私は今の世界人類を救おうとしているのではない。この先未来の果てまで発展し続けていくであろう人類を救う、種としての人類を守ろうとしているのだ。眼前の命を莫大な資金を使って助けても、それが人類全体としてのプラスになるかどうかははっきり言って怪しいところだ。無論、私個人としてはこのような政策を採っていることが保護区画外の住民にとって不満の種であることは認めている。だが、誰かがやらなくてはいけないのだ。保護区画外住民は、精一杯私を恨んでほしいと思っている。それが人間というものだ」

「あくまで、あなたは人類にとってプラスのことをしている、ということですね」

「当たり前だ」昭は実の息子を睨みつける。「この世界に来て間もないお前には、少し酷な話かもしれないが、トップに立つものは常にこのような二者択一を迫られるのだよ。理想論だけでやっていけたらどれだけいいか」

「すいません。食って掛かるような言い方をしてしまって」遠藤は肩を落として言った。

「いや、いい。それよりもこういう状況に対して親身になって考えてくれているようで良かった」昭はデスクに目を落とす。「用は済んだ。何もなければもう帰っていいぞ」

「もうよろしいのですか」早坂が心外そうに訊ねる。

「良いと言っているだろう。彼はこの宇宙に生きる覚悟を済ませている。今後の活躍に期待する、といったところだ。下がれ」

「はい」早坂は短く返事をした。

「じゃあ、失礼します」遠藤は親近感と畏怖の混ざった心境で一礼した。言葉遣いもぐちゃぐちゃである。

「失礼いたしました」早坂と雨宮も一礼して、執務室を静かに出た。

 全権者委員会のビルを出るまで誰も口を開かなかった。重厚感の漂う一階のロビーを出て、外の空気を吸う。

 沈黙を破ったのは雨宮だった。

「それじゃ、戻りますか」ハンヴィーにもたれながら煙草に火をつける。「一服してから」

「どうだった? こっちの親父さんに会ってみて」早坂が遠藤に訊く。

「いや、容姿が全く同じなのに、慇懃ぶってて少しおかしかったですけど……」

「まあ、そう思っても仕方ないな。私たちにとってみれば恐れ多い以外の感情はないけどね」

「そうなんですか」

「さっきみたいにちょっとでも歯向かおうもんなら即クビでしょうね」

「なんだか変な感じですね」

「気楽なもんだな、お前」雨宮が羨ましそうに言った。

「一本下さいよ、それ」遠藤は少しはにかんでそう言った。

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