相対する時

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 遠藤修介は宿泊用に割り当てられた部屋で荷物をまとめていた。荷物と言ってもタルトピアに私物を持ってくることは物理的に不可能なため、夢監から配給された雑多な日用品をバッグに詰め込んでいるだけである。一度タルトピアでの住まいに戻って、湊に事情を説明しなければならないのではという疑問を昨日ぶつけてみたが、彼女には夢監の方から職員が向かって話をしてくるそうだ。元々、彼女は遠藤の親が全権者であることなど承知の上で婚約をしているのであって、説得に時間はかからないとのことであった。

 元の世界、ケーレスのほうの湊にこの状況を話したらなんて顔をするだろうか。幼馴染で一緒にいる時間のほうが多かったのだから、特に変わらないとあんまり興味を示さないような気もする。それ以前に恋愛感情が出てくるのかというところだが……。

 特段準備に時間のかかるようなこともなかったので、すぐに部屋を出て、研究所へと向かった。夢監研究所施設内にあるこの宿泊所から研究所本館までは歩いて数分の距離にあったので、すぐ正面玄関へと着いた。昨日と変わらず黒スーツの早坂と雨宮がすでに待っていた。

「おはようございます」眠気を堪えながら遠藤は言った。

「おはよう。よく眠れた?」早坂は髪を掻き上げて言う。根は優しい人なのだろうと遠藤は思う。

「ええ、なんとか。目が覚めて、ここはどこだってなるようなこともなかったです」

「そりゃいいや」雨宮は煙草を吸っている。柳局長にでももらったのだろう。「安心しな。あと少しで一旦はケーレスに行けるんだ」

「そうですね」

「今日は少し予定の変更があるわ。昨日全権者様から夢監のほうに連絡があって、君と直接話がしたいそうよ」早坂は端末を開いてスケジュールを確認した。「こちらの予定を伝えたところ、時間はいつでもいいから終わったら来させるように、とのことだ」

「親父が?」

「まあ親父さんといっても初対面なわけだ。奇妙だなこりゃ」雨宮はそう言って笑った。

「……わかりました。まずは先の用事を済ませちゃいましょう」遠藤は震える声を押し殺す。

 この極東地域の全権者。地域というからには日本だけではないのだろう。それが俺の親父だってこと自体が少し可笑しく思えた。警官である父のことでさえもあまり偉そうにしている姿を見たことがないからだ。

「それじゃ、行こう」早坂はそういうと歩き始めた。

 一行は研究所内に止めてあったハンヴィーに乗り込んだ。流石に迷彩柄ではなかったが、ベージュ一色で統一され、悪路でも難なく走行できるようになっているそうだ。後部座席は取っ払われて荷台のようになっている。下手すると酔いそうだと遠藤は思った。

 遠藤を乗せたハンヴィーは一路海岸線を目指した。前と後ろには護衛の意味合いで武装した所員の乗る車についてもらっている。夢人監察局から一番近い海岸線は昔相模原という地名であったと早坂は語る。今ではサガミラインという海岸線としてその名前が残っているのだという。それは、横浜や横須賀はとっくに海の底に沈んでいることを意味する。自宅がタルトピアではどうなっているのか気になったが、確認する術はないようだ。

 都市部を抜けると景色は激変した。まともに建っている建造物があまり見られず、瓦礫の山があちらこちらに散見され、とても殺風景の一言では表せないような状態だった。ビルと呼べるような高層建築はほとんどなくなり、あってもせいぜい三階建てくらいの頑丈そうなものだけが残されている。

「ここは保護区画外のエリアにあたる。これに乗ってきたのはこのためよ」同じく後部座席に乗っている早坂が説明する。雨宮は運転席だ。「破壊工作が激しさを増していた頃、住民は路頭に迷ったの。その当時の政府は保護政策を実施しようにも、誰がイレーネからの工作員になるのか判別することができなかったから。大勢が死んだわ。今でもここに暮らしている人もごく少数いるの。畑を作って自給自足したり、反全権者組織もこういうところに潜んでいるっていう情報もあるわね」

「反全権者組織?」

「ええ。あなたのお父様である全権者様は今力をつけてきているわ。日本政府よりも多くの金と人員を動かせる力をね。そんな全権者様に反抗する者も少数いるのよ。こちらが把握している数が少ないってだけで、あまりその数字には信憑性がないのだけど」そう言いつつ、早坂は座席に立てかけていた自動小銃を撫でる。

「そういう銃の本物って初めて見ました」遠藤はじっと銃を見つめる。

「いつ襲撃を受けるかもわからないって危険はあるから。もちろん、重々わかってるとは思うけど」

 遠藤は昨日早坂と雨宮と別れた後、保護区画外のエリアに行くことに関して一時間ほど講習を受けていた。そこで、幾つか書類にサインもした。要するに、危険が伴うが一切の責任を自分で負うということだ。その意味をやっと理解した。

「それ、AK47ですか」遠藤が訊いた。

「よく知ってるね。でもこれはそんな大昔のじゃなくて、現代用に改良されたもの。AK47ZB」

「ゲームで見たことがあって。FPSのゲームで出てきたんですよ。ほんとにそれくらいしか覚えてないですけど」

「実際にこれは人を殺すことができる。一瞬よ、人が死ぬのなんて。できればこんなもの使いたくもないわ」

「……日本はいつから銃を使えるように?」

「いや、銃社会じゃないけど、じわじわと警察や私たちみたいな機関のものが日常的に銃を携行するようになっただけよ。最初は銃の露出が増えて批判はあったけど、世界の情勢が悪化するにしたがってそういう声はだんだん小さくなっていった。反抗するエネルギーを他のもっと大事なほうに向けたんじゃないかしらね。それどころじゃないほどに、自分の身の安全を自分で気を付けなくちゃいけなくなった」

「僕の世界……ケーレスもタルトピアみたいになる可能性はあるんでしょうね……。不謹慎な話ですけど」遠藤は寂れた街並みを眺めながら言った。

 早坂は何も言わずにただ遠藤の横顔を見つめている。

「自分としては死ってものを身近に感じた経験はないし、ましてや自分がそういう危険を感じたことさえありません。戦争だってニュースじゃ海外のどこどこでっていう情報が映像で届いてきたりはしますけど、そこはあくまで『どこか』なんですよね。同じ地球上で起きてることで、実際に人が大勢死んでるのに何の実感もない」

「それが普通だよ。人間ってものは自分と関係ないところで起こっていることは、基本的に何も起こっていないのと同じと認識するのよ……。少なくとも私はそう思っている」

 遠藤はそれが普通で、そのままで良いことなのかわからなかった。

 遠方の地の人々へ、祈りをささげればいいのだろうか。

 祈る? 誰に?

 タルトピアの現実はあまりにもシンプルで、残酷で、生臭い。

 少し気持ち悪くなってきた。喉元に嘔吐感が押し寄せてくる気配がある。

 ハンヴィーは荒れたコンクリートをひた走った。

 しばらく、同じような光景が流れ続ける。

 ちらほらと、人の姿も見受けられた。煤けた衣類を身に纏う子供たち。こちらに冷たい視線を送る人々。

 とても、こんなところで生きていけるようには思えなかった。

 すべてが灰色に映るようだ。

 自分だったらこんなところで生きていけるのか。

 遠藤の頭では様々な疑問が泡のように湧いては消えを繰り返していた。

「そろそろだ」早坂が前方を指差す。

 ハンヴィーが徐々に速度を落として、道の真ん中で停車する。今ではここを走る車などない。

 そこは、やはり異様な光景だった。

 ハンヴィーの止まった少し前方の道には、不規則に波が押し寄せている。

 コンクリートの海岸線。サガミライン。

 崩れたビルが海のあちらこちらから生えているように見える。

 浸食は進み、ゆっくりとそして確実な破壊が進行している。

 ここだけ時間の流れがスローになっているかのようだ。

「満足かい」運転席から降りた雨宮が遠藤に言った。

 遠藤は、その言葉には答えなかった。答えられなかったのだ。

 頬に何か感じる。

 涙。

 自然と、涙が溢れてきた。

 何だろう、この感情は。とても言葉で言い表すには足りない、言葉を使うことさえおこがましいような、絶対的な何かを突き付けられている。

「泣かなくったっていいだろう。もう大人なんだから……」雨宮は呆れた顔で言う。

「少し、一人にさせてください」遠藤はかすれた声で言った。

「わかった」早坂が雨宮の腕を引っ張って、ハンヴィーの方へと戻っていく。

 軽率だったのかもしれない。こういう景色を見たいと言い出したことは。

 だがいずれ嫌でも見ることになったのではないか。そんな予感がする。

 悲しみと同時に、不甲斐なさと怒りも感じた。こんな状況で一体俺に何ができるのだろう。イレーネの奴らと交渉する? 俺にそんなことができるわけもない。何なんだ、この理不尽さは。何をしろっていうのだろう……。

 遠藤はふいに、空を見上げた。

 いつも見ている青空がどこまでも広がっている。いや、意識して見ることはないだろう。視界の端に映りこんでいるだけの平凡な空だ。

 透き通った水色。溶けきれず筋のように浮かぶ白い雲。

 それだけは変わることのない景色だった。

 全権者とかいう役職についている親父は、何をしているのだろう。この状況に対してどんな措置を講じているのか。保護区画外の人々のことはきちんと考えているのだろうか。

 やはり、話に行くべきだ。この世界のトップと。実の親父と。あちらから来いと言ってきているのだからありがたいことだ。行くしかない。

 遠藤は袖で涙を拭ってからハンヴィーに戻ると、早坂たちに告げた。

「行きましょう。全権者のところに。僕からも話したいことがあります」

 遠藤の目は、覚悟を決めたように鋭く光っていた。

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