救世主

     9


「……世界を救う?」大仰な表現だと遠藤は思った。

「そう。適合者夢人の中でも、君は特に柔軟な能力を持っている」柳は何でもないようにさらっと言う。「それが君がこの世界に来た理由だ」

「ここのことはまだよくわかってないんです。もう少し説明をしていただけますか」

「そうだったね。早坂君、大まかでいいからかいつまんで話してあげてもらえるかな」

「私がですか?」話の矛先を向けられて早坂が驚く。

「君は情勢に詳しいだろう。雨宮君もお願いね」

「はいはい」やっと自分の出番かとばかりに雨宮は姿勢を正した。

「えっと、じゃあ概略というか今の世界が直面している危機について話します。柳局長、プロジェクターで日本の衛星写真を映し出してもらえますか」

「確かに一番わかりやすいだろうね。この写真を見てもらえれば」柳は端末を操作して、壁一面にある画像を投影した。「覚悟してね、修介君」

 壁には日本地図が表示された。衛星写真のようだ。だが、変だ。関東平野が歪な形をに抉れている。画像の左側には大きな大陸のようなものも映っている。中国だろうか。

「これはどこの写真ですか」一応、遠藤が訊く。

「日本だ」柳は腕を組みながら言う。「信じられないだろうけどね」

「日本? 今現在の?」遠藤はここに来てから終始驚きっぱなしだ。流石に頭が痛い。

「私たちが暮らしていた日本も、たぶん遠藤君がいた世界――我々はケーレスと呼んでいるけれど――そこと元々の地理は変わっていないはずだわ。調査員からそう報告を受けているから」投影された画像を見て早坂は言った。

 千葉県北部、茨城県南部、埼玉県東部、東京二十三区、神奈川県東部などの比較的標高が低い地域は海の底に沈んでいるように見える。陸地が存在していない。房総半島が島と化してしまっているのも見える。

 これが日本だとすると、左側にあるのはユーラシア大陸というわけだろうか? 朝鮮半島も中国の沿岸部も海岸線が書き換えられているように見える。

 早坂の話では、遠藤が移動してきたこの世界は、別宇宙からSエネルギーによる攻撃を受けているのだという。正確には、Sエネルギーを使って別の宇宙からこの宇宙へと人を飛ばし、移動した先で破壊活動を起こされている、というのだ。

 別宇宙からの《使者》による活動は日に日にその激しさを増し、国の主要なインフラ機関、電力会社、さらには政府内にもその魔の手は伸びた。この攻撃はまだSエネルギーによる宇宙移動の理論が確立されていなかった頃に多発し、また行為者がこの世界の住人であるか、異世界から送り込まれた使者であるかの判別、というのも非常に困難を極めたことから、対処に遅れが生じ被害は日本国内にとどまらず全世界へと波及した。その結果、アメリカ・ロシア両国から戦術核がグリーンランドと南極へと打ち込まれるまでの未曽有の大事件が引き起こされた。溶けた氷のせいで全世界で約三十メートルほどの海面上昇が認められ、海抜ゼロの地域はほぼすべてが水没、壊滅的な被害を受けた。

 その日、一度世界は滅びたのだった。

 しかし、すぐに状況は変化する。

 南極とグリーンランドの氷が溶けて、大量の淡水が海へと流れ込んだ結果、海流の変動も同時に起こり、高緯度の地域では今現在でも気温が下がり続けているという二次的な異常気象も発生した。

 全世界的な危機がこの世界の地球には到来しているのだった。

 それが、この世界の現実なのだという。

「遅くなったけれど、この夢人監察局は神奈川県の丹沢山系の地下に位置しているわ。十年前ほどに海面上昇が安定して、政府は標高の高い地域での都市建設計画を発表して、急ピッチで工事が進んだの。その間も異世界からの攻撃はあったけれど、こっちも何もしていないわけじゃなかったわ。当時、民間でSエネルギー研究をしている会社を秘密裏に買収して、この夢人監察局が作られたの。あちらにこの施設の存在が悟られないようにね」無表情で早坂は言った。

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。流石に話が大きくなりすぎて僕には……」

「これは事実なんだ。のほほんとしている暇はない」柳は横目で遠藤を見た。

「今は、その、攻撃は止んでいるんですか」

「ええ。特に大きな活動は観測されていないわ。しかも今ではこっちの技術も上がってきて、遠藤君を見つけたときみたいにSエネルギーのチラつきを観測するシステムが整ったから、そのことも敵さんが活動しづらくなっている要因かもしれないわね」

「具体的にはどんなシステムなんですか?」

「企業秘密です」いたづらっぽい笑顔で早坂が言う。このような顔を見たのは初めてかもしれないと遠藤は思った。

「今更ですね……」

「というより、こいつは知らなくていい、ってことですよね」雨宮は相変わらず口が悪い。

「今は状況の把握と今後の取るべき行動をインプットしてもらわないといけないからね。まあ、今の情勢はそんなとこだよ。世界は久しぶりに国連軍を結成して《使者》の掃討作戦を実行している。外からの攻撃でやっとまとまるってのも、皮肉なもんだね」

「そうですか……」

 遠藤にとっては真新しいものばかりのこの世界であったが、それはほんの一部の側面に過ぎなかった。この三人は至って冷静に話をしているように見えるが、少し考えてみればこの人たちにも大切な人はいるはずである。家族、友人、恋人。もしかしたらそれはもう過去形なのかもしれないが、地球がそんな状況にあるのであれば可能性はある。不謹慎などと言っている場合ではないのだろう。

 それに比べて、元居た世界はなんというぬるま湯であっただろうか。特に、日本という国にいる限りは自分の身の回りの危険ですら察知できず、というより察知する必要すらないほど平和だ。それは平和で安全な世界のほうが良いに決まっているし、ぬるま湯が悪いという話ではない。そういう比較ではなく、いかに平和の価値を意識していなかったかということだ。遠藤はここに来て初めてそんなことを思った。

「僕にできることなんてないと思うんですが」話を聞いてきてずっと思っていたことを遠藤は言った。

「技術的にできることは一つもないな」と、雨宮。

「そんなことは最初から求めてないわ」

「じゃあ僕は一体……」

「君にできることといえば、その特異な体質を利用すること、この一点に尽きる」柳はきっぱりと言い切った。

「宇宙転移……ですか」諦めたように遠藤は言う。

「Sエネルギーによる宇宙移動の技術がなんとか完成したとはいえ、どの宇宙に自由自在に飛ばせるというわけじゃないんだ。そこのところは、実際に飛んでいく人物の能力に寄っている部分が非常に大きい。君はその適合者夢人だって話したね?」

「――はい」

「君なら現在攻撃を仕掛けてきている宇宙への跳躍も可能だろう、と踏んでいるんだ」

「……まだあちらに行けてないって、技術的にやばいんじゃ」

「危険は承知している。飛んだ先でどんな目に遭うかもわからない。それに、異世界の住人である君にこんな無茶を頼むこと自体どうかしてるってこともわかっている。それでも、どの宇宙の君でもなく、A宇宙においての君だけがその体質を持っているんだ。修介君、君に巡り合えたのは奇跡としか言えないほどの可能性なんだよ」

 柳の言葉には、別宇宙の人間である遠藤を強引にこの世界へと連れてきたというようなエゴではなく、他に手段がなくすがるようなか弱さが感じられた。

「そんなこと言ったって……」

「こちらとしても、他の人物で君ほどの宇宙転移の適合者を探し出すのはもはや絶望的だ。そんな悠長なことをしていたら、今度こそこの地球は終わりなんだ。攻撃を仕掛けてきているほうの世界が何を考えてこんなことをしてきているのか全く見当もつかない。少しでも相手の情報が必要なんだ。どうにか承諾してもらえないか」柳は少し目を潤ませながら言った。

「……日向子さんはどこにいるんですか」少し間をおいて遠藤は言う。

「それは――わからない」柳は伏し目がちになる。

「僕がこの世界に来る前、停電が起きて倒れたときに彼女も同じように倒れた気がするんです。意識がはっきりしてなかったから確かかわからないけれど、ステージ上で一緒に演奏してたので」

「君の世界の日向子も、どこかへ飛んだ……と?」柳は眼鏡をかけ直した。

「あくまで想像です。もし日向子さんがこの世界にも来てないのだとしたら、近い宇宙のどこかに行った可能性……というのはないんですか」

「可能性としては……ありうる」柳はライターを何回か点け損ねて、やっと新しい煙草に火をつけた。「いきなり遠くの宇宙、即ち歴史が大きく変わっている宇宙へと行くことはできないという説は確かにある。多元宇宙の中でも、宇宙間にもやはり距離が存在するはずという考えだね」

「僕はずっと心配なんです。彼女が今どうしているのか」茶化しそうな雨宮を一番に見据えて遠藤は言う。

「――修介君は日向子を愛してくれているんだね」柳は紫煙を燻らせながら呟いた。「わかった。今すぐとは言わない。一度元の世界に戻って、よくよく考えてみてくれ。話は、それからだ」

「局長! いいんですかそんなこと許してしまって! 彼がいなきゃこの世界はお終いかもしれないんですよ」早坂が机を派手に叩いて言った。

「早坂君。彼はこの世界の人間ではないんだよ。いきなりわけのわからないところに連れてこられて、危険を押し付けて世界を救えだなんて、虫が良すぎると思わないか。僕だってこんな計画には反対なんだ。もしこのまま世界が滅びたとしても、この世界の運命だったとしか言えないんじゃないか」目を閉じて柳は深々とソファに座り直した。煙草は既に灰になっている。「全権者様には僕が全責任をもってしたことと報告するよ。僕の首一つじゃ世界に釣り合いもしないけど」

「そういう話し合いはあとにしたらどうです?」雨宮が呆れた顔で言った。「彼、余計戻りづらいですよ」

「……すまない」

「申し訳ありません……」珍しく早坂は取り乱して後ろを向いた。

「いえ……。緊迫した状況にあるのはわかりました」鼓動が早くなっているのに遠藤は気づいた。

 どうすることが正解なのだろうか。ここで引き受けずに元居た世界に戻るのか、さらなる異世界へと飛ぶのか。

 確かに、俺は林日向子に想いを寄せている。彼女が入学してCodaに入ったときからずっと彼女のことを想っている。

「本当なのか?」別の遠藤が心で囁く。「命を賭してまで愛していると断言できるはずがない」「本当だ。この気持ちは本心だ。疑いの余地はない」「主観に過ぎないだろう」「主観以外の本心などあるのか?」

 頭の中でその声を聞きながら、遠藤は考える。

 人を愛するということはどういうことか。

 その人を守りたい。

 その人と一緒にいたい。話したい。

 その人と離れていると寂しい。

 対象が男女に関わらず、その根本は同じだ。

 家族でも、恋人でも。

 果たしてそのことを胸を張って言えるのだろうか。

 一時の感情との区別はちゃんとついているのか。

 自由な決断に付随する責任をよくわかっているのか。

 人と人の関係の不確かさ、不安定さはいつまでも付きまとう。亡霊のように、いつでも人と人の間を彷徨っている。

 その結びつきを保とうと、細く柔い糸を必死に手繰り寄せる。切れないように、伸びないように。話して、話して、話して。

 遠藤はそんな茫洋とした妄想の中、決意を固める。

「僕、行きますよ」

「え?」早坂が驚いて振り向く。

「ありゃ」と、雨宮。

「本当かい……? それは熟考の上での決断と受け取っていいんだね?」

「……はい。でも、条件が二つだけあります」

「条件?」

「元の世界に一度戻ります。でも、必ず戻ってきます。担保も何もないですけど、強いて言うなら日向子さんです。僕は彼女のことが――」そこまで言ってから、急に恥ずかしくなって遠藤は口をつぐんだ。

「お熱いねぇ」雨宮が茶化す。

「わかったわかった」柳はからからと笑う。「くれぐれもここで話したことは誰にも口外しないように。修介君の世界にもこちらから工作員が送り込まれてるから、常に監視されているような状態になってしまうと思うけれど、こればっかりは許してもらいたい。こちらも必死だから」

「大丈夫です。とにかく、戻って日向子さんの安否を確認してきます。あ、あと二つ目なんですけど」

「言ってごらん」

「戻るのはこの世界を自分の目でちゃんと見てからにしたいと思っているんです。危機感がないと言われればそれまでですけど、切迫した空気を自分で感じてからにしたいんです。そうじゃないとやっぱりこの世界の人たちに対して失礼な気がして……」

「君って人は……」柳は苦笑して吹きだした。

「だめですかね……」

「いや、そうじゃないんだ」柳は眼鏡を外して髪を掻き上げた。「不躾なお願いしてるこっちが恥ずかしくなるくらいに君は人間が良くできてるなと思ってね」

「別に……」遠藤は胸が少しチクリと痛んだ。

「了解したよ。これで全権者様にも納得していただけるだろう。でも期限付きということで了承してもらいたい。最高で三日まで居てくれて構わないよ。食事や泊まる部屋はこっちで用意する」

「あ、ありがとうございます」

「あっちの世界から……いい加減呼び方がめんどくさいね、こりゃ。さっき早坂君が漏らしていたけど、こっちはタルトピア、タルトピアに攻め込んできているのがイレーネ、遠藤君の元々いたところはケーレス、というふうに、関係者にしか通じないけどちゃんと名称はついてるんだ。全権者様のほうが付けた名前みたいだけどそこのところはよくわからない。情報の機密レベルが高すぎるからね……。それで、協力してもらえないとなると完全に部外者になっちゃうから、この名称も機密情報になるらしくて……。まあ、タルトピアに戻るときは、この番号を暗記して電話してくれ。工作員が対応してくれる」柳は電話番号が書かれた紙切れを遠藤に手渡した。

「どうやって戻るんですか? SILC……でしたっけ、あれはもう当分使えないんじゃ」

「一度Sエネルギーの解析が終わってるから、呼び戻す分にはこちらからできるんだ。本人がSエネルギーを介して……」

「そのあたりはお任せします、よくわからないんで」遠藤は柳の言葉を笑顔で断ち切った。

「あ、そう……」消化不良気味の柳である。

「さっきから気になってたんですが、全権者様……ってなんですか?」遠藤はすぐ話題を切り替える。

「……完全に説明を忘れていた」柳は先程から縮こまったように話している。「全権者様――今の日本の代表だ。それに加えて、この世界での君のお父様だ」

「親父?」

「遠藤昭極東地域全権者様だ。もう驚くのにも慣れたかい?」柳は今日一番の笑顔を遠藤に向けた。

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