多重化

   6


 遠藤が通された部屋は彼に少しばかりの驚愕と懐古を与えるのに十分な場所だった。今までの近未来チックな作りの廊下や制御室に比べると、そこは家と呼んでも良いほどに柔和な雰囲気が壁や床一面に張り付いている。だいたい団地のキッチン兼リビングと居室二部屋くらいの床面積はあるだろうか、部屋自体は狭いわけではないがソファやベッドなどである程度区分けされている。だがそこには生活感を肌でひしひしと感じさせるほどの雑然さはなく、必要十分条件を満たした家具のみが配置されているように遠藤には思えた。

 部屋の奥でデスクに座りながら作業をしている男がいた。手元には万年筆、灰皿、手巻き煙草、山積みになった書籍がある。彼は顔を上げると微笑を浮かべて、軽く頭を下げた。

「お疲れ様です。遠藤修介君をお連れしました」早坂は片手で遠藤を指しながらそういった。

「君が、遠藤君だね」男は感慨深そうに言う。

「はい、あなたが僕に会いたいと言っていた……」

「ここ夢人監察局の局長を務めている柳仁志です。ご足労どうもありがとう。ああ、それと、今回はそこの二人が乱暴を働いたみたいですまなかったね」眼鏡を直しながら柳は言った。

「いえ……」遠藤は頭にできたたんこぶを擦りながら言った。雨宮が受け止めなかったせいでできたものだ。

「ここがどこかっていうのはわかってもらえたかな」

「まだ自分でも信じられる話じゃありませんけど、なんていうか、周りの状況を踏まえて合理的に考えたら確かに別世界にいるっていうのは筋が通ると思います。言ってて恥ずかしいですけど」遠藤は不快感を前面に押し出した言い方をした。

「そうか――。修介君と呼んでいいかな? ああ……、私のことは柳さんとでも呼んでいいよ」煙草を取り出して柳は言う。「君も要るかい?」

「あ、じゃあもらいます」遠藤は煙草を一本受け取り、柳に火をつけてもらった。

「ちょっとそこのソファでゆっくり話そうか。早坂君と雨宮君も同席していてくれないか。君たち特にこの後仕事があるわけじゃないだろう?」

「特に仕事があるわけではないです」早坂がぶっきらぼうに言う。

「柳局長の話はためになるんで聞いときます」雨宮はメモを取り出してソファに座った。

「修介君の中にはまだ誤解があるようだから、それを解消することから始めるとしようか」そういうと柳はデスクに手を伸ばして白紙の紙を一枚とった。「この世界はどういう構造になっているとかって考えたことある?」

「いや、そんな想像はしたことないと思います……。この世界って、今僕たちがいるこの世界ですか?」

「うーん、そうだな……。この世界、というよりも、この宇宙世界、と言った方が正しいのかもしれない」柳はシャツの胸ポケットからペンを取り出すと、小さな丸を書いた。「この丸を今僕たちのいる世界、宇宙としよう。宇宙は今も膨張し続けているってことは知ってるね? 宇宙の終わりについては諸説あって、このまま膨張が進んで星と星の間が限りなく開き、摩擦がゼロになったときに宇宙は絶対零度になっていわゆるビッグフリーズ、熱的死を迎えるってものや、いずれ宇宙の膨張は止まり収縮に転じ、特異点に収束するっていうビッグクランチとかいうのもあるけれど、今からする話はそんなちゃちなものじゃないんだ」

「既に想像の域を超えてる気がするんですが」雨宮が訊ねる。

 遠藤も不思議そうな顔で柳を見る。

「いいかい、修介君の生活していたところで何といわれているかわからないけれど、今現在この世界の地球で定説となっているのは多元宇宙論というものなんだ。実際、この夢人監察局が持つ技術も、根源はこの多元宇宙論から端を発している」柳は小さい丸の周りに大小さまざまな丸を書き始めた。

「聞いたことありますそれ。自分が生きてる宇宙の他にも他の宇宙がたくさんあるってやつですよね」遠藤が言う。

「私も一本もらってもいいですか」早坂が柳に訊ねた。

「今じゃなかなか煙草なんて買えないだろうからね。この際吸っていきなよ」柳は箱ごと早坂に手渡した。「で、修介君が言ったみたいにこんなふうな感じでたくさんの宇宙が存在してるんだ」先程書いた丸の近くに大小さまざまな丸を付け加えていく。

「そんなことがわかっているんですか」

「いや、はっきりと観測したわけじゃない。定説となっていると言っても、まだまだわからないことは多い。今でも宇宙が誕生してから三十八万年より前は現在の方法では観測できないんだ」柳は深く肺に染み渡らせるように煙草を吸った。「だけど我々は間接的に他の宇宙を観測する術を見つけた。多重人格だ」

「多重人格……?」一見関係のなさそうなワードに訝しむ遠藤。

「そう、正式には解離性同一性障害。定義はわかるだろう? 何か精神的に本人には耐えられないような苦痛を味わった場合、それを肩代わりして自分に起こったことではないかのように処理する際に作られる別人格。普通なら、宇宙の謎を解明したいと思う物理学者や量子力学者はこんな心理学的なところには目を向けないだろう。だがあることがきっかけで多重人格が宇宙論の突破口を切り開くことになった」柳はもともと抑揚の少ない話し方をさらに平たく、さながら棒読みのようにしていった。

 早坂も雨宮も少し気まずそうな雰囲気が表情に出ている。

「きっかけっていうのは何ですか」思い切って遠藤は訊いた。

 柳はソファに寄りかかりながら上方に煙を吐く。「それは僕がこの研究を始める契機にもになった出来事で、同時にとても私的なことだ。ここまで研究を進めるのにも苦労したけど、それは物理的な障害だけではなくて、ずっと僕の心の奥底につっかえていた精神的なことだった。目に見えない小さいとげが心臓に刺さっているようで、脈打つ度に心が痛んだ。この五年間、満足に寝ることのできた日はない。それくらい僕にとっては重要なことだっていうことを、修介君にはわかっていてもらいたい」

「……続けてください」遠藤は自分には到底受け止めることのできそうにない重石を頭上に乗せられたような気がした。

「ある時、僕の姪が解離性同一性障害だと医者から申告された。姪の両親、母親は僕の姉だけど、彼らは子供が物心もつかない幼いうちに死んでしまった。もう十五年以上前のことだけれど……。姉さんの旦那の勤めていた会社が彼のミスで倒産するまでの事態になってしまって、相当気が病んでたらしかった。そんな折、彼は信号無視のトラックに撥ねられて意識不明になった。二度と目を覚ますことはなかった。会社の倒産、夫の死と立て続けに不幸が姉さんに降りかかって、ついには彼女は自殺した」言うことを全て決めたメモを読み上げるように、淡々と柳は話を続ける。「日向子には三つ上の姉がいたんだけど、彼女は親父さんが死んだときに突然蒸発してしまったんだ。それだから残された日向子をうちの両親が引き取って、まだ大学生だった僕も実家で一緒に暮らすことになった。年は離れてるけど妹ができたみたいだったよ。その不幸も忘れて、いや忘れたふりをして、乗り越えたつもりで、しばらくは生きてきた。状況が一変したのは彼女が中学三年生のときだ。その頃は僕も一介の研究者として忙しい日々を過ごしていて、ろくに家に帰れないときもあった。僕の両親は僕を生んだのが結構遅かったから、彼女が多感な年頃の女の子になる時にはもうとっくに還暦を超えて、年金暮らしだった。母のほうが若年性アルツハイマーになって、父は母の世話で精一杯だったから、彼女は僕と二人暮らしをしてたんだ。料理も洗濯も掃除もできる良い子だった。勉強もそつなくこなして、僕からしても自慢の姪っ子だった」

「彼女の名前は……?」遠藤は気になって訊ねる。

「日向子。林日向子だ」遠藤の目を見据えて柳は言う。

「は?」遠藤は頭が真っ白になるような感覚に陥った。

 何という偶然か。

 必然であるのか。

 ここにきて林日向子が関わってくるなんてことが……。

「修介君も良く知っているだろう。そちらの世界では元気にやっているかな」

 言葉に詰まって早坂を見るが、一瞬目が合っただけで逸らされてしまった。

「……それが、僕がこの世界に来た理由でしょうか」

「結論としては、正解だ」灰になった煙草を灰皿に擦りつけながら柳が言う。「あまり感傷的な話をしても仕方ない。そこの二人にも悪いし、簡潔に話そう」

「私たちのことは気にしないでください。既に理解はしています」早坂が徐に口を開いた。

 雨宮もさすがに黙っている。

「まあ、いい。それで、そんな生活をしていたものだから彼女の学校生活まで気をかけることができなかった。あとでわかったことだけど、当時彼女は学校で壮絶ないじめを受けていたんだ。それが原因で彼女は精神的に参ってしまった。家事や学校を両立するために、自ら新しい人格を作り出した――」

「それがきっかけですか……」遠藤は探るような目で柳を見る。焦燥感を覚えていた。

「そう。最初のうちは性格が異なるだけの人格が出てきただけで問題はあまりなかったんだけど、そのうち何も喋らない人格が彼女の時間の大部分を支配するようになった。学校をサボるようになって、家でも何もしなくなってしまった。それが日向子が中学三年の冬。そのあとすぐ、眠りからも醒めなくなった。五年間眠りっぱなしだよ。今は病院に入っているけれど、意識は戻っていない」

 遠藤は日向子の安否について心配した。あの停電の後、どうなったのだろう……。

「――多元宇宙論でしたっけ。それとどう繋がってくるんですか」

「そこなんだ。また専門的な話になって申し訳ないが、多元宇宙論の根拠となっているのは超ひも理論、ひいてはM理論と呼ばれるものだ。超ひも理論は素粒子が実はごく小さなひもで、その振動数の違いがそれぞれの素粒子に対応しているという説明をする。これによれば我々のいる宇宙は空間の九次元に時間の一次元を足した十次元でできていると説明されている。M理論は十一次元と仮定しているが、この理論はまだ検証段階であるから、ここでは簡潔な説明のためとりあえず十としておこう。修介君はギターをやっているんだったね。少しは馴染みがあるんじゃないかな」

「はあ……」遠藤は戸惑い気味に呟く。ギターと宇宙の関係など考えたことがない。

「ジョークを真に受けちゃいけないよ。それで、僕たちが生活しているのが時間を除けば三次元空間だ。縦横奥行きの三つが決まれば空間内の位置は決定される。では残りの六次元はどこに行ったのかって話になるのは必然だろう。実は他の六次元は目に見えないほど、人間が観測できないほど小さい、ということがわかった。この六次元以降の異次元が世界にとても重大な作用していることも判明した。例えば重力は七次元までの空間を自由に行き来して物体に引力を持たせていて、アインシュタインは重力を空間を曲げているという説明をしている。斥力を生じさせて宇宙を膨張させているとされている暗黒エネルギーは九次元以上の次元を行き来している可能性があることが判明した。そしてこのような可能性、六次元空間の候補は十の五百乗もの膨大な数が計算で導き出されている。その数だけ、宇宙があると考えてくれていい」

 柳は二本目の煙草に火をつけた。

「僕にはなんだか話が難しすぎてさっぱりです」遠藤は正直は感想を述べた。「ですけど、たくさんの宇宙があって、どんな宇宙があってもおかしくないということですね」

「冴えてるね。君がいた宇宙と、今いるこの宇宙は別物なんだ。ただ少し違っているというだけで、似たような宇宙はごまんとある。しかも、この宇宙がたくさん入っている空間の外には、またたくさんの宇宙の入っている泡があるかもしれない。そこは既に人間が入り込む範疇を超えている。神の領域だ。」

「神の領域……」遠藤はスケールの大きさを想像して、考えるのを止めた。

「人間が死ぬと、二十一グラム軽くなるって聞いたことがあるかい?」突然柳は話題を変えた。

「あ、はい。SF小説か何かで読んだ気がします。”魂の重さ”だって」

「そうか。”魂の重さ”――、的を得た表現だ。気に入ったよ。僕たちの世界では、これをSエネルギーとして捉えている。Sprit Energyだ。このエネルギーがないと、生物というものは活動をすることができない。人間と全く同じ塩基配列で、原子レベルで同じように人を象ってもそれはただの有機物の塊に過ぎない。そこに”魂”はない。なぜ生物は動くことができるのだろうかということを誰しも一度は考えたことがあるんじゃないかな。生物学的には『筋肉があるから』ということで説明できそうだけど、所詮電気信号で動く仕組みになってるから動くのであって、根源的な説明にはならない。人間も、そこら辺に転がっている石ころも物質だ。その動けるものと動けないものの差を分けているのがSエネルギーということになる。このSエネルギーは八次元空間を移動しているものだということが研究で明らかになったんだ。かつて実際に死刑囚の体を使って実験が行われたよ。そこで水分の蒸発などをあらゆる可能性を排除した環境で死ぬ前と死んだ後の体重を比較して、Sエネルギーの存在を確認した。宗教と科学は歴史的にも対立してきたけど、皮肉にも科学的に輪廻というものが証明されてしまったわけだ」

「そのSエネルギーっていうのは、今僕たちの体の中にあるんですか」

「ここに、入ってるよ」柳は頭をこつんと叩いた。

 咄嗟に遠藤はこめかみに手を当てた。「ここに」

「人が死ぬとSエネルギーは八次元空間に移動して、他の世界とSエネルギーの交換を行う。だけど、稀にSエネルギーが必要以上に入ってしまったり、生きているときにSエネルギーが少し八次元空間に行ってしまうことがある。もう気づいたかもしれないけれど、これが多重人格の仕組みだ。人間以外の生物にはこのようなSエネルギーの過剰・不足はないらしいけれど、人間は地球上で一番脳が発達している生き物だ。意識・無意識に関わらずこういうことが起こる。それがわかってからというもの、臨床心理学や脳科学などの分野はブレイクスルーとも呼べる革命的な進歩を遂げた。Sエネルギーも間接的にではあるけど観測できるようになったし、白昼夢とか正夢とかもSエネルギーが脳内で作用して起こっていることであることも証明された」

「正夢?」遠藤は心臓がどくんとなる音を聞いた気がした。

「そうだ。Sエネルギーを観測することによって、影響として正夢などの症状が出やすい人々がごく少数ではあるが一定数いることが判明した。そのような人々を我々は夢人と呼んでいる。君もその一人だよ」

「――そうでしたか」小さい頃からの体質が科学的に証明されていることを知って、ちょっぴり遠藤の目は潤んだ。

 遠藤にとっては、正夢――もといデジャヴを見るのが日常だったため、周りから蔑まれるのが全く理解できなかったし苦痛であった。

 それがこんなことが原因だったとは誰が想像するだろうか。

 想像したところで、また馬鹿にされるのがオチだったのだ。

「君をここに連れてきたのはそういう事情があったからなんだ。申し訳ない」早坂は改まって謝った。

「いえ、いいんですよ。というか、少し安心しました。自分の体質が異常じゃなくてちゃんと理由があったことがわかって良かったです」

「謙虚だねぇ」雨宮は少し調子が出てきたらしい。

「君がこの世界に来たのも、Sエネルギーが原因だ。もともと、こちらの世界の修介君は君の幼馴染の市川湊さんと結婚している。夢人監察局は君が夢人であることを早々に察知してずっとマークしていた。Sエネルギーに変化がないかどうか。それで、今回Sエネルギーに変化があったものだから、どこかの世界の君がこちらにきたことがわかって、この二人を派遣したというわけだ」

「Sエネルギーが八次元世界に移動するって話でしたけど、そうやって他の世界・他の宇宙に行くときに混ざったりしないんですか?」

「まだ生きている人のSエネルギーというのには、ある種の個人情報というか、識別するためのタグのようなものが付いているようなんだ。これはまだ憶測の段階だからはっきりしたことは言えないが、生きているうちは移動先の宇宙に同じ人物がいれば、その人の中にSエネルギーは入り込む」

「タグか……」遠藤は柳の話を頭の中でかみ砕いて必死に理解する。「えっと、Sエネルギーが入り込んだ先の人間の人格はどうなるんですか? 僕の、その、湊と結婚してる彼のSエネルギーは?」

「そのままだ。サンプル数がまだ少ないから、これも不確定要素が多くあるけど、後から来た人格のほうが優先されて、先にいたほうの人格は睡眠状態とほぼ同じ状態になっているだろうと予測されている。今の君はSエネルギーが通常より少し多い状態ってことだ。修介君が元いた世界の君の体にもまだSエネルギーはあるが、君がこっちに来てる分Sエネルギーも減っているだろうし、おそらく意識不明ってとこじゃないかな」柳は口角を上げる。

「この世界の俺はそのことについて了承したんですか」

「すべてを話したよ。自分ならなんとかやってくれるだろうって」

「急に心配になってきたんですけど」

「まあ、ある程度疑問は解消できたんじゃないかな。口数も多くなってきてる」柳は少し微笑んだ。

「そうですかね」遠藤は指摘されて口を押さえた。

「そういうことで、僕は日向子の中のSエネルギーを観測することにした」また柳が話題を戻した。

「もしかしたら日向子さんはどこかの世界に行ってる可能性があるってことですよね?」

「うんうん、頭の回転が速くて助かるよ。それを確かめるために日向子の脳を検査したら、案の定Sエネルギーの減衰が認められた。日向子は寝たきりになってから五年間、どこかの世界に行っているらしい。それが彼女の意思なのかは知る由もないけどね」

「俺のSエネルギーってどうなってるんですかね」雨宮が突然興味深そうに訊いた。

「監察官のSエネルギーはすべてチェック済みだ。全く変動が見受けられない個体しかこの機関で働くことは許されていない。知らなかった?」

「そんな説明を受けたような受けてないような……」後頭部を掻きながら雨宮が言う。

「私はしっかり覚えています。こいつが注意力散漫なだけです」早坂が雨宮を小突く。

 遠藤には、そんなやり取りさえ微笑ましく見えた。この世界での不安というのがとりあえず除去されたので、精神はとてもリラックスしている、ように思う。

「僕がこの世界に来たのは、ただの体質なんでしょうか。それだけでこんなことが起こるとも思えないんですが」一息ついたところで、ポッと疑問の泡が膨れた。

「よく思い出してほしい。修介君が元の世界で覚えている最後の出来事は何だった?」

「ライブですか……? 途中で意識を失ったと思いますけど」

「そう。あの停電の原因が、君がここに来た直接の原因とイコールなんだ」

「停電が?」

「あのとき、神奈川県中部の地下では秘密裏にリニアコライダーというものの実験が行われていた。簡単に言うと、高エネルギー下で電子と陽電子を衝突させて現れた粒子を観測するって代物だが、極小のブラックホールができる可能性があるけれど、これは小さすぎてすぐ消滅するから特に問題はないとされている。我々の世界では、ブラックホールは重力が行き来できる七次元以上の異次元への窓のような役割を果たしていると考えられている。七次元空間まで重力の及ぶ範囲だから、ブラックホールの事象の地平面を越えた先にある重力の特異点まで重力が影響する。その他にも暗黒エネルギーやSエネルギーは事象の地平面を越えた先の、重力よりも高い次元でエネルギーのやり取りをしている。もちろん、ブラックホールだけがその窓の役割を果たしているわけではないだろうが、ブラックホールにはそんな性質がある」

「また難しくなってきましたね……」

「ちょっと我慢して聞いてくれるかな。そういうわけで、リニアコライダーにもそういう性質があるって話になるんだ。本当に可能性の話だったんだけど、政府の方針であちらの世界でリニアコライダーを使用して一時的にブラックホールを作れっていう指令が下ったんだ」

「政府が、ですか? こっちの世界から?」また、頭が痛くなりそうな話だと遠藤は思った。

「修介君がいた世界、A宇宙としようか。A宇宙にSエネルギーを使って人を送り込むっていう技術を我々は既に開発したんだ」

「そんなことが……」

「まだ不安定で、送ることのできる宇宙も限られてるけどね。現に遠藤君がこっちの世界、B宇宙に来てるんだから、その逆ができてもおかしくはない。それで、B宇宙で夢人認定を受けたものを教育して工作員にした。彼らはA宇宙での研究所でILCを使って意図的に高出力下でブラックホールを作り、地表において大規模なSエネルギーのやり取りの場を一瞬でも作ることに成功したんだ。多少荒っぽいやり方だけど、修介君を初めとして夢人をこっちに飛ばすことにはある程度成功、工作員の任務は無事完遂された」

「なんか人権とかまるで考えられてないように思うんですが」少し眉をひそめて遠藤は言った。

「もちろん、僕だって局長として反対したさ。だけど政府はそれを許さなかった。何としてでも達成しなきゃいけない目的があったからだ」

「目的?」

「この世界を救うためだ」眉一つ動かさずに柳仁志は静かに言った。

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