それぞれの信ずべきもの
5
三人はロビーで一息ついている。陽の光が唯一入ってくる場所のようだ。
「いやだから悪かったって」バツの悪そうな顔で謝る雨宮。
「ありえなくないですか? こんなの拉致監禁と何が違うっていうんですか」遠藤は自分の受けた仕打ちに酷く憤っていた。
「遠藤君、なんとか穏便に済ませてくれないかな……。ここの場所を知られるわけにはいかなかったんだよ」早坂も申し訳なさそうに言う。
「それだったら、頭に頭巾かなんか被ってもらうとか色々やり方があるでしょう! ホント訴えますよ」遠藤はソファにふんぞり返って言った。
先程、二人に連行される際に少々手荒な方法が使われたことに対して、遠藤はほとほとあきれ返っていた。雨宮とかいうへらへらした男が気絶させた上に受け止めなかったせいで、こめかみの部分から出血してしまったのだ。今は消毒後、四角く切ったガーゼがテープで止められているが、腫れはまだ引いていない。
雨宮は、ぶつぶつと文句を言う遠藤を見て内心ほっとした。無理やりに連行した時点で、何らかの抵抗に遭うことは事前に分かりきっていたことで、それに対する準備がなかったわけでもない。腰にはスタンガンよりもリーチの長い電流の流れる警棒を装備していたし、スーツの内側には拳銃の入ったホルスターを装着している。少なくとも実力行使を免れたということについては、彼の人間性に感謝するほかない。彼も彼で、ことの詳細を聞いて文句を言う余裕も出てきたのだろう。本人はそのことには気づいていないようであったが、雨宮はしばらくそっとしておくことにした。
そんなこんなでたどり着いたのは、表向きは製薬会社の工場兼研究施設ということで通っている広大な敷地を持つ建物の一つ、夢人監察局である。
約一時間ほど前、目覚めた遠藤が通されたのは大学の大教室ほどの大きさのモニタールームだった。暗めの青を基調とした照明に、白を注したような水色の文字やグラフ、沢山の映像が部屋の一番奥の巨大なガラス板に映し出されていた。中央にはビリヤード台ほどのガラス板があり、同じように膨大なデータが表示されている。
「あの、説明してくれるんじゃなかったんですか」訝しそうな目で早坂と雨宮を見る遠藤。
「何事も順番ってものがあるのはご存知かしら? それに必要なのよ、ここは」モニターを薄目で見ながら早坂が言う。「でも、できるだけ説明に時間はかけたくないから遠藤君も協力してもらえる?」
「……はい」
「じゃあ、まずここの説明から。政府直轄機関夢人監察局。それがここの正式名称です。といっても、この機関自体が非公式のものだから正式名称も何もないんだけどね。一応書類上はそうなっています。夢人っていうのはまた後で話すとして、遠藤君には一つきちんと理解してもらわなきゃいけないことがあります」
「何でしょうか……」これから突きつけられることについて、予感めいたものを感じながらも遠藤は聞いた。
「あなたは今朝あのマンションで目覚めたと思うけど、見慣れたものはあった?」
「ええと、物で言うと何も見当たりませんでした。あなたたちに連れてこられる前に少し室内を調べましたけど、見覚えのあるものは一つもありませんでした。なんでだか、僕の幼馴染の湊……市川湊ってやつがいたんですけど、トースト食ったら何を訊く間もなく出て行きましたよ」遠藤は未だ警戒の姿勢を解いていない。
「そう……。目覚める前の記憶はどこまであるのかしら」
「目覚める前は、ライブハウスにいました。……横浜の。軽音サークルでライブハウスを貸し切ってやるんです。オープニングアクトが終わって少し経ったあたりで自分は出演してて、ライブも順調に滑り出したなって頃に突然停電があったんです。いきなり照明が全部落ちて、アンプとかの電源も一斉に落ちちゃって。その瞬間、後ろから殴られたような頭痛に襲われて……。そこからの記憶はないです。起きたらこんな変な場所に連れてこられてるってわけです。正直警察とかにも電話しようと思ったんですけど、携帯も持ってないし、服装もライブのときに着てたものじゃないし……」
「横浜ね。懐かしい名前……」早坂は遠い目をして言う。「簡単に言うと、あなたがいたその横浜のライブハウスのある世界と、現在あなたがいるこの世界は全く別物ってことなの」
「……別? ここが横浜じゃないってことですか」遠藤は目を合わせない。
「そういう地理的なことじゃないのよ」早坂は小さくため息をついた。「遠藤君がいたところとは……」
「お前もうわかってるんだろ?」急に雨宮が鋭い口調で言い放つ。
「何のことですか」
「何のこと?」
雨宮は遠藤にギリギリまで近寄った。
「白々しいんだって。遠藤って言ったか? あっちの世界でもそういう兆候とかあったんだよな。こっちは知ってるんだよお前さんがデジャブをよく見るって言ってるのだってな。お前みたいなのを監視して調査するのがうち夢人監察局なわけ」
「そんな……」
「ちょっと雨宮君黙ってなさい」早坂がすぐに雨宮を引きはがす。
「だってこいつ事の重要さがわかってないんですもん」
「あなたは説明の仕方がなってないわ」早坂はキッと雨宮を睨みつけてから遠藤を見た。目の焦点が合っていない感じだ。無理もない、まだこちらに来てから精神が不安定な状況でこんなことを言われたら誰だってショックを受けるだろう。
「ごめんなさい遠藤君。うちの馬鹿が勝手に変なこと言っちゃって……。でも内容は間違ってはいないのよ。その停電の後、あなたが気絶してこちらの世界に来たってことをうちが感知してあのマンションに行ったの」
「そう……ですか」遠藤は虚ろな目をしたまま答える。「自分にやれることが分からないです……。その、ここから、自分が元居た世界っていうか、そっちには戻れるんですか」
「まだ、わからないわ。私たちはあくまで対象の監視、観察、保護を行っているだけだから、そういった技術的なことは何も言えないの。だから、遠藤君には会ってほしい人がいるのよ」そう言うと早坂は遠藤の背中をぽんっと叩いた。「シャキっとして。もう子供じゃないのよあなたは。大学生ってだけでもう大人でしょう」
「はい……、すいません」少し目を赤く腫らしながら遠藤は答える。
「ほら、雨宮君彼に謝んなさいよ。いい大人が本当に大人げないわよ」
雨宮は苦虫を噛み潰したような顔をしながら、それでも言った。
「すまんかったって……。お前さんの気持ちも尊重しないとな」
「下手か」早坂が鼻で笑う。
雨宮は肩をすくませる。
「まだあんまり整理できていないですけど、それで――会わせたい人っていうのは?」
「飲み込みが早くっていいわね。ついてきて」早坂は入ってきたのと反対側の廊下を指さす。「この先で待ってるわ」
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