残された者達
3
同じ頃、ライブハウスはちょっとしたパニックになっていた。ライブ中突然の停電が発生し、女子部員が叫び声をあげて外に飛び出して行ったからだ。停電が起きたにしても何事だ、と皆がざわめきだした。仲の良い女子部員がその後を追って走り去っていく。停電はすぐに収まる気配もなく暗闇はいつまでもそこに重く横たわっていた。
一同の目が暗さに慣れてきたとき、ステージの段差の手前で倒れている人がいるのが分かった。停電したときの一時的なフラッシュか何かのせいでしばらく目眩がしたが、片瀬はそれにいち早く気づいてふらふらしながらも近づいた。
倒れているのは二人。遠藤修介と林日向子だった。どちらもそれぞれギターとベースを抱えるようにして仰向けになってぐったりしている。軽く肩を揺らしてみたが反応はない。腕を取って脈を確認してみると正常である。ステージから落ちて気絶してしまったようだ。
気が付くと隣に市川湊が立っている。暗闇なので定かではないものの心配そうな顔をしているように見える。
「もしかして修と日向子ちゃん……?」
「ああ。気絶しちまってるっぽい」
「救急車!!」湊が大声で叫んだ。部員が一斉に振り返る。
「え?」予想外の迫力に片瀬はびくっとした。
「早く救急車呼ばなきゃだよ! できるだけ早く病院に運ばないと」
「遠藤君と日向子ちゃん?」「気絶してるの?」「市川の言う通り早く呼んだ方がいいんじゃねえか」湊の声で他の部員も二人の異変に気づいた。
「ほら早く!」
「お、おう……そうだな。万が一ってこともあるからな」湊の勢いに気圧されながら片瀬はポケットから携帯を取り出した。
「うん」か細い声で湊が答える。「万が一ってことがあるから……」
二秒ほど湊の表情を見つめてから片瀬は携帯で消防に電話をかけた。「もしもし……はい、救急です。さっきの停電で……頭を打ってしまったみたいで気絶してます……あ、いえ二名です。はい、場所は……」
片瀬が電話している間、四年生の部長が常備灯を持ちながら、マイクなしで声をかけて今後の動き方を指示した。停電がいつ復旧するかわからず、ライブはおろかここの照明もつかないのでとりあえず今は自由時間にする、一時間たっても復旧しないようならライブは中止。撤収の準備を始めること、という内容であった。
電気がなければ機材の片づけもろくにできないじゃん、と湊は思ったが今は冷静に落ち着いて行動することが先決であろう。遠藤と日向子が倒れているところには部員が不安げな視線を送っている。
「救急車すぐ来るって」電話を終えた片瀬が湊に話しかける。
「そっか。……良かった」
「片瀬、二人ともだいじょぶなの?」倉持が近くに来た。
「わからない」片瀬が言った。「でも脈は正常だったと思うし呼吸もしてるからたぶん大丈夫じゃねえかな」
「良かった良かった」倉持は倒れている二人を見つつ微笑んだ。「そういえば二人はもう見た? 停電のニュース」
「いや、まだ見れてないよ」湊が答える。
「『神奈川県中部・東部に停電、技術的な問題が発生し、復旧の見通し立たず』だって」倉持がスマートフォンを操作しながら言った。
「マジかよ……。このまま撤収ってことになりそうだな」
「しょうがないよ。こんなことになっちゃったらどうにもできないもん。下手に動かすのもまずいだろうし。今はとにかく二人が無事なことを願うしかないと思う」小さな声で湊は言った。
「大丈夫だって、心配しすぎだろ……。ただ気絶してるだけで病院に着くころには……」
「違うでしょ!」キッと片瀬を睨みつけながら湊が叫んだ。「拓哉は何もわかってない! もしこのまま目覚めなかったらどうするの? 私たちには……そりゃ何もできないかもしれないけどさ、大切な人たちを心配して何が悪いってのよ!あんたは何とも思ってないわけ?」
「別にそういうつもりで言ったわけじゃ……」片瀬は伏し目がちに言う。
「もういいわよ……」湊はそういうと一人控室のほうに行ってしまった。
「俺なんか悪いこと言ったかな……」
「彼女は彼女で、色々抱え込んでるんじゃないかなぁ。後で仲直りしときなよ?」倉持は湊の背中を見つめていた。
湊が出て行ってしばらくして、救急隊が到着した。遠藤と日向子はすぐに担架で運ばれていった。片瀬は通報者として二人に付き添って一緒に病院まで行くことになった。外に出るとやはり停電はまだ続いていて、通りを挟んで反対側のコンビニも店内の電気が消えていたし、他のビルの窓を見てみても明かりのついている箇所は見当たらなかった。この様子だとおそらく電車も動いていないんじゃないかと片瀬は思った。心配になって建物から出てきたサラリーマンや五番街のほうに遊びに来たのであろうカップル、その他買い物客などまだ明るい横浜は休日の喧騒とはまた違った騒々しさで溢れていて、そのことが酷く片瀬の心を焦らせた。
毎日のようにつるんでいた時はわからなかったが、そんな楽しい時間がいつまででも続くとでも思っていたのだろうか。隣にいた人がいついなくなるかなんてわからない。ずっと同じ場所にいるなんて保証がどこにあるというのだろう。
湊の言ったとおりだ。
この喧騒の根源だってそうだろう。日常が急にストップしたことへの不安、恐怖、憤り。
誰も日常がずっと続くなんて約束していない。偶然にも続いているからそれが当たり前になる。
湊が言いたかったのはつまりそういうことだろう。あまりにも日常のありがたみを忘却してしまっていることに対する憤慨。
湊に何かそういうことがあったのだろうか。だとしたら俺はとんでもなく馬鹿者だ。自分のことしか考えられなかった大馬鹿だ。
二人が救急車に運び込まれたのを確認して、片瀬も一緒に乗り込んだ。
そのとき、ある光景が片瀬の脳内に浮かび上がった。
というより、今自分が見ている光景そのものをどこかで見たことがある気がした。
デジャヴか……。
そういえばあいつも前にデジャヴをよく見るとか言ってたっけ。その時になって見たことあるって気づいても、どうにもなりゃしない。
後悔とよく似てるな、と片瀬は思った。
「片瀬、そっちの状況逐一連絡するんだよ。こっちも心配する人は大勢いるんだからね」倉持がライブハウスの入り口で叫ぶ。
「わかったよ。そっちも気をつけてな」そう言うと隊員に後ろのドアを閉めてもらい、中の二人を見比べた。
「湊に怒られちまったよ。嫌われたかな」なんて口にしたらそれこそわかってないと遠藤に言われそうな気がしたので口には出さなかった。二人のぐっすり寝ているような表情を見て片瀬は安心した。
救急車はサイレンを鳴らしながら走った。路上にあふれた人々を掻き分けるように低速で走った。その緩慢さが片瀬には少し耐えられなかった。
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