——翌日。

 由稀は緊張の面持ちで父の背中を追っていた。

 宗家と分家を繋ぐ長い廊下を渡ると、その先に宗家の従者とみられる者が二人、両脇に控えているのが見えた。

 由稀がこの廊下を渡るのは今日で二度目だった。

 姫が生まれた日と今日の、たったの二度目。

 宗家と分家の確執は大きかった為、まさかまた宗家の敷地に来るなど考えてもみなかったし、まして姫に仕えてこれから自由に行き来できる身になるなどと——由稀にはやはりどこか信じられない気持ちもあった。

 紀夾が従者達の前にくると、彼らは深々と頭を下げた。軽く微笑みを返して通り過ぎていく父の背を由稀も会釈をして後を追う。

 歩きながら紀夾が柔らかい口調で由稀に言った。


「お前、今日はいつにもまして緊張しているな」


クスクスと笑う父に由稀が小声で反論する。


「当たり前でしょう、父上。こんな大事な日なのですから」


「そうだな・・・まあ、あまりかしこまるな。お前がそんなんじゃ姫様も疲れるだろう」


「し、しかし・・・」


「姫様と歳が近いお前を教育係に選んだのは、皐様の要望でもあってな」


「奥方様の・・・?」


 由稀は驚いて声を上げた。

 水無月皐とは姫の母親であり当主の妻で、病弱であまり表には出てこないが優しく聡明な美しい女性だと聞いている。

 ああ、と紀夾が返した。


 「姫様の周りには同じ年頃の子供もいないし、外にも出られないからご友人もいないしな。皐様も姫が寂しくないかと心配しているようだ」


 姫は齢八つ、由稀はまだ十三である。

——確かに何故俺のような若さで姫様の教育係なのだ、と疑問に思っていたが、なるほど、そんな奥方様のお考えもあったのか。

 なら、尚更緊張してしまうではないか。昇華の才のない俺にやっと巡ってきた当主様と奥方様がくれたこの好機に、失態を犯すわけにはいかない——。


「由稀、着いたぞ」


紀夾の言葉で由稀は背筋を伸ばした。

 他の部屋より部屋が広いのか襖が何枚か続いており、ここにも従者が控えていて、無言でその場に座している。


「当主様に呼ばれたら中へ入れ。私は先に戻っている」


「はい、父上」


 紀夾は優しく微笑んで息子の肩に手を置いた後、そっと部屋の前を離れた。

 少し経ってから、部屋の中から威厳のある低音の声が響いた。


「由稀、ここへ」


 深呼吸をし、由稀はしっかりとした面持ちで返事をした。


「失礼いたします」


 目の前の襖が開かれる。

 由稀がゆっくりと前に進むと、部屋には父によく似た、しかし父よりも固い表情の男性と、長い綺麗な黒髪を束ね、赤い着物を纏った幼い少女が座って居た。

 なんだか今にも泣きそうな怒っているような表情をして自分を見ている少女と目が合った。この方が姫様——と、由稀も少女をじっとみつめ返す。

 男性——当主である紀藤に座れと促され、由稀は従った。


「これは由稀といい、我が一族一の剣士だ。これからお前の教育係になる」


「よろしくお願い致します。姫様」



 由稀は深々と姫に礼をした——が、姫は仏頂面で由稀に目も合わせずにそっぽを向いている。

 なんだか綺芽を見ているようで、由稀は心の中で少しほっとした。

 紀藤はそんな姫の様子を見てふう、と嘆息すると、由稀に声をかけた。


「由稀、頼んだぞ。昂と一緒に下がっていい」


由稀は、は、と頭を下げた。





 ◆   ◆   ◆





 由稀は幼い姫の一歩後ろを歩きながら、どうしたものかと思案していた。

 紀藤の部屋から出てからというもの、二人は一度も目が合わず、一言も会話をしていない。さっきの表情からも察するに、姫は自分が従者になることを快く思っていないのではないだろうか。初日から前途多難だなと、由稀は苦笑した。


「由稀、って言ったわね」


姫がぼそっと口を開いたので、由稀ははっとして反応した。


「はい、姫様」


「貴方、歳はいくつなの?」


「十三です」


「私より年上なのになんで敬語なの?」


「は・・・?」


 やっと興味を持ってくれたと思ったら思いがけない質問に面食らう。

 姫は振り返り、由稀を見上げて指を差した。


「私の方が年下なんだから敬語でしゃべらないで」


「ひ、姫様、そう言われましても・・・」


「姫様って呼ばないで!私の名前は昂よ!」


 むっとした表情で声を上げる姫を由稀はただ呆然と見つめた。

 従者が主人に敬意を表して何が悪いのかわからないし、姫を姫と呼ぶのに何故怒られないといけないのか解らない。

 由稀が困った表情で悩んでいると、昂は得意そうな表情で言った。


「それができなきゃ貴方なんか認めないし、修行なんてしないわ」


「っ・・姫様・・・」


「今日はもう帰って頂戴。私はゆっくりしたいの」


 いつの間にか姫の自室の前だったのか、姫は部屋の中に駆け足で入ってぴしゃっと襖を閉めた。


 ——このまま言う事を聞いて帰っていいはずがないことは解っている。

 さて、どうしたものか。


 由稀はふう、と息を吐き、姿勢を正して声を上げた。


「姫様、失礼致します」


 容赦なく襖を開けると、姫は吃驚した顔でこちらを見ていた。

 きっと由稀がこんな行動にでるとは思っていなかったのだろう。


「先ほどのお願いですが、応えることができません。私は貴女に仕える身です。次期当主になるのですから、従者に敬語をつかうななどとは言ってはいけません」


真剣な面差しの由稀に気圧されたのか、姫は大人しく黙っている。


「剣術だの修行だの不安でいっぱいかとは思います。しかし、自分を護る力をつけることは大切なことです。私は出来うる限り貴女に剣術をお教え致します。将来、貴女が昇華の力を使うときに役に立つように」


「別に不安じゃないし、修行が大事なんてわかってるわよ・・・」


 ぽそっと、弱弱しく呟く姫に、由稀は柔らかい笑みを向けた。


「でしたら、私をからかわず、修行をなさるべきです。姫様」


 姫は一瞬ぐっと詰まったような仕草を見せたが、次の瞬間には先ほどまでとは打って変わって表情の一切がなくなった。

 そして、ぽそり、と消え入るような声で呟いた。


「——貴方もどうせ、私が跡継ぎだから私に仕えるのでしょう?」


——どういう、意味だ?

 由稀は幼い主の質問の真意がつかめなかった。

 自分は分家の人間で、宗家に仕えるのは当たり前で。


『当たり前』で——。



「・・・やっぱり」


 たったそれだけの、姫のか細い声が由稀の心を貫いた。

 その一言で、やっと自分の愚かさに気づいたのだ。今まで散々受けてきた仕打ちと、今自分が彼女にした事と何が違うというのだ。


——姫は、姫であるが故に、孤独なのだ。

次期当主という鎖に縛られ、肩書に押しつぶされそうになっている、独りにしないでと叫んでいる——ただの、幼い少女だ。


 ——俺が護るべき、少女だ。



「——姫様、私に貴女を護らせてもらえませんか?」


「・・・え?」



 姫は声を上げ、由稀を見返した。

 由稀はすっと膝をつき、主君に頭を垂れた。


「私は、貴女を護りたいのです。姫様」



——この時はただ、この不安そうな少女をほっておけなくて。

 ただ、護りたいと、純粋に思っていただけだった。

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白き従者と瑠璃の神子 さくのゆず @sakunoyuzu

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