3.伝わらない怒り

 教室という閉鎖空間から、生徒を解放するチャイムは、なつきのきらう、『うざったさ』――つまり、生徒たちのざわめきを作り出した。

 しかし、今のなつきは、そんなことよりも、依然としてここだけ、閉鎖空間的になっている状況をどうにかしたい。

「い……生きてますか~」

 宇宙人との初対面のように、ゆっくりと問い。小さな穴に針を通すときのよう警戒して肩を叩いた。

 しばしの沈黙が、木目観察少女と加賀谷なつきの間に訪れた。

「はぅっ……ね、寝てないよ! 起きてたよ!」

  謎の静寂を置いてからの起床。誰かに寝ていないと弁解しているものの、口元につくよだれの跡が無情にも説得力を奪い去っていく。

「て、転校してきた、加賀谷なつきです。 よ、よろしくね」

 なつきにとって、この挨拶は社交辞令でしかない。

 多少、女の子との会話に不慣れなあいさつで、声が裏返ってしまったものの、これから隣の席でやっていく者としては、まずまずなあいさつではないだろうか。

 だが、これは、自己中心的な考え方なのだ。

「え……誰?」

 木目観察少女は、聞き覚えのない声に対して、何かに安心を求めるように胸の前で手を握り、視線を泳がす。

 まるで、横で話すなつきが、見えていないような素振りだ。

「あ、その……転校生の加賀谷なつきです。 その……ごめん」

 『うざったさ』が大嫌いな自分が、この少女のうざったさとなっていたなんて……

 なつきの頭の中では「自分が嫌なことは、人にしていけませんよ」と小学1年生の担任の声が響いた。

「て、転校生さんか。 ご、ごめんね。 私、眠っちゃってて」

 なつきの存在を声で確認することが少女は、多少の落ち着きを取り戻す。

 少女の語尾を伸ばす柔らかい口調とは違い、視線は下を向き、制服のスカートを強く握り何かに耐えていた。

 少女は、一度目を閉じ、深呼吸をしてから口を開いた。

 俯いたままで――

「ごめんね。 私は、<宮内雪>です。 よろしく」

 簡単かつ分かりやす自己紹介。普段のなつきなら気にも留めなかったが、今日だけは胸に引っかかった。

 その理由は、明確だ――この少女は、今まで、一度も、なつきと視線を合わせようとしないのだから。

 なつきが、引っかかる疑問の答えを導き出すより先に、それは、ある少女の殺気と声で制止させられた。

「雪から離れろ!」

 背後で叫ばれた言葉に、肩をすくめて体を向けると、記憶に新しい少女が、そこには立っていた。

 制服を着崩し、茶色がかった短髪が妙に似合う褐色肌の少女だ。

「お前……何をしたんだ! アタシの雪に触るな!」

 女子高生特有の妄言に、なつきは、眉を顰める。だが、宮内さんを怖がらせてしまったのは事実。でかかった反論をぐっと飲みこんだ。

「ごめん。 あいさつしただけだよ。 少し、感じ悪くないか?」

「アタシが、誰に、どんな態度をしようと勝手だろ!」

 褐色少女の怒号は、クラスメイトの視線をすべて集め、妙な空気を持ってくる。

 しかし、なつきは、お構いなしに目つきの悪い三白眼で少女を睨みつける。

「俺は、転校生だからね。 お前らの仲良し劇なんて知るわけねぇだろ」

「仲良し劇だと……ふざけるな!」

 なつきを押しのけて教室を後にする褐色少女と急に手を引かれ転びそうになる宮内さんの背中を見ながら、小さく舌打ちをした。

 褐色少女が言い放った「許さない」という言葉の奥に隠された感情をなつきが理解できることなど絶対になかった。


   ***


  転校初日のものすごくバタバタとした午前中も終わりを告げた。

 あとは、午後の授業さえ終われば、今日の任務はコンプリート。しかし、腹が減っては授業はできぬ。

 なつきは、高校入学時に見栄を張って買った少し高めの財布を尻ポケットに入れ、購買へ向かった。


「すげぇな。 人で溢れてる」

 田舎の高校の購買には、これでもかというくらいの人が集まり、いろいろな声が行きかう。

 高校生にとって、転校生など興味はわかないわけで、すれ違う人々は、なつきなどに興味を持たない。クラスメイトも同様だ。

 このごった返す人ごみは、なつきの大嫌いな『うざったさ』そのもの。しかし、なつきは、余裕のある笑みを浮かべ、一枚の紙を購買のおばちゃんへと手渡した。

「たまごサンドウィッチとストレートティーを予約していたんですが」

「はいはい。 二00円ね」

 転校生特典で、花谷先生が予約しといてくれた大好物のストレートティとたまごサンド。

 だいぶ良心的な値段をさっさと手渡し、購買に群がる生徒たちを見て優越感を噛みしめた。

 だが、一つの決定的な問題点を導き出した。

 転校生、初日、お昼……この三つの要素がそろったとき、それは導き出される。

「お昼……どこで食べよう」

 お昼が入った袋を持ち棒立ちするなつきを、友達と並んで歩く生徒たちがあざ笑うかのように隣を通り抜けた。


(図書室は、飲食禁止。 外は寒いし、トイレなんて絶対に嫌だ)

 お昼を食べれそうなポイントをひねり出して、学校中を歩き回る。

 図書室に行けば眼鏡をかけた女子生徒に門前払いをくらい、外を見れば冬の風が音をたたて木々を揺らしている。

 時間が経つにつれて、生徒たちのざわめき声が購買からどんどんなつきへと迫ってくる。

 なつきは、自然と、人気の少ない階段前へとやってきていた。

「ここって……」

 東側階段の3階から上へと続く階段を見上げた先の踊り場に錆びれた一枚の扉が、そこにはあった。

 微かな希望をもって、階段を駆け上がりドアノブを回す。

 どうやら、鍵は掛かっていないようだ。さびれた扉は、不快な音を立てて開かれる。

 そして、校舎に充満する人工的な生温い空気とは違う、澄んだ空気が体を包み込んだ。

 冷たい風とは正反対の暖かな日の光に目を細め、自然と頬が緩む。

「屋上空いてるとか、最高かよ」

 ボッチにとって屋上は、特等席に近い。

 しかし、現実は残酷だ。目の前にあるのは、苔が生えたコンクリートに塗装のはがれた壁、地面には、誰かが吸ったタバコの吸い殻や空き缶が転がり食欲を削いでいく。

 唯一、綺麗といえるのは、避雷針が建つボックス型の塔の周りだけ。

「まぁ、昼食えるだけ、よしとするか」

 文句を言おうと思えば、いくらでもいえるが、そこを我慢して、塔の壁を背にして腰かけた。

 ストレートティを一口飲んで、空を見上げる。空からは、ぼっち飯をしているなつきを嘲笑うかのように太陽が憎たらしく輝いている――クソみたいな気分だ。

「ぽんぽこ体操、ワン、ツー、スリー! みんなで健康、ワン、ツー、スリー! さぁ、あなたも~」

「ワン、ツー、スリー……」

 突然、聞こえてきた教育番組の体操の歌。妙に、覚えやすい歌詞と頭に残るメロディーは、自然となつきに続きをつぶやかせる。

 そして、最悪の事態を理解する。

 なつきの背後から聞こえるその歌。背もたれにしている壁が歌を歌っちゃうようなメルヘン的なそれでない限り。

「誰かが、いるんだな」

 後ろに顔を向ければ、小さな影が忙しそうに動き、体操をしている真っ最中だ。それに、声から察すると女の子。

(こうゆうときは、退散するのがベスト。 そのまま、踊っててくれよ……)

 音を立てないように立ち上がり、一歩、一歩、ゆっくりと進んでいく。

 耳に届いている『ポンポコ体操』が止まらない限り、なつきもこの女の子も何事もなく午後を迎えることができる。

 しかし、無情にもなつきの足元にあった空き缶の乾いた音が響き渡り、『ポンポコ体操』の歌は止まった。

「誰、誰かいるの? ゆーきちゃん?」

 不安げに投げかけられ言葉、それにこの声には、聞き覚えがあった。

 朝、褐色少女に手を引かれて、教室を出ていった切り戻ってこなかった宮内さんの声だ。

 クラスメイトで、しかも隣の席……このまま逃げてしまっても問題はないだろう。

 だが、これが原因で仲が悪くなるというめんどくさい事態は避けたい。

 なつきは、逃げようと扉に近づいていた体を回れ右をして、宮内さんへ声をかける。

「あぁ……悪い。 何も見てないし、聞いてないから」

 なつきの軽い謝罪は、宮内さんに届いたのだろうか。

 このまま笑って終わるのがベストだが、一方的に嫌われる方向でも妥協しよう。

 しかし、なつきに届いた声は、<許す>とは、ほど遠いものだった。

「誰なの……わかんないよ! 許してよ……ゆーきちゃん、戻ってきてよ」

 暗闇に取り残された子供のように取り乱す少女に、なつきは、理解が追い付かない。

 なつきの一方的な判断かもしれないが、この状況は事故だ。

 別に、性的暴行を加えたりだとか、カツアゲをしようなんてわけじゃない。それに、度胸もない。

 だとしても、あんまりじゃないか。

「なんだよ、それ。 俺が、悪いのか? それともなんだ、転校生が気にくわないのか……冗談じゃねぇ」

 唾を吐きかけるように、子供のわがままのように、何も知らない無知ななつきは、暗闇に取り残されている少女につぶやいた。

 何に対しても自分を正当化して、有りもしない力を過信して、苛立てば声を荒げる――この気持ちを、誰も近いしてくれはしないし、してもらおうとも思わない。

 なつきは、そんな人間なのだ。


「加賀谷……くん?」

 宮内さんは知りたくても知れないのだ。

 暗闇の中、宮内さんのささやきは、なつきに届くことなく錆びれた扉が強引に閉められる音でかき消されたのだった。

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