2.教室、憂鬱
校長室での好意と嫌悪の入り混じるあいさつを終えたなつきは、付き添いの先生を変えて、張り裂けそうなほどの緊張を堪えている。
「ここが、加賀谷のクラスになる、2年2組だ」
眼鏡のおじさん先生と変わった、冬なのにほんのり汗をかく小太りの<花谷先生>。なつきの担任の新米先生だ。
なつきは、花谷先生の似合わない爽やか笑顔に無意識のうちに嫌悪感を表情に出す。
「じゃ、先生が、声をかけたら教室に入ってくれ」
「わかりました」
花谷先生の爽やか笑顔に申し訳ないが、なつきは、今から起こる出来事に対する嫌悪感が拭いきれない。
その要因の1つが――
「おはっよー!」
「でたー! ハナセンだー!」
「誰が、水の浸入を防ぐ道具だ! ほら、席につけ~」
花谷先生の入場とともに響き渡る声だ。
なつきの転校は、急に決まったものではない。そうなると、ド田舎に現れる高校生の情報は回っているだろう。
その証拠に届く「転校生」というワードに耳を塞ぎたくなる。
そして2つ目の要因が――
なつきは、曇りガラスから覗く時間割表に目を向ける。
そこに書かれているのは、一時限目『LHM』。この厄介な授業の内容は、クラス活動。
つまり、今日の授業内容は、必然的に『転校生の自己紹介』になってしまうのだ。
以上二つが、なつきの嫌悪感の要因だ。
(帰りたい)
依然と聞こえてくる騒めき声に、本日2度目の叶うことのない帰宅願望。
だからといって、なつきを出迎える家など、どこにも存在しない。
溜まる苛立ちをぶつけるかのように、マフラーを首から無理やり外すが、冬場の乾燥で髪に静電気が宿り、顔中にへばりつく。
「クソすぎるだろ」
ため息を吐くようにつぶやかれた言葉は白い息とともに空気中に浮遊した。
なつきは、廊下を浮遊する白い息を眺めようと思ったが、そんな間もなく、白い息は、自然の秩序に従い見えなくなってしまった。
「加賀谷、入れ!」
急にかけられた声に、思わず肩をすくめる。
花谷先生の指示に従い、引き戸へ手をかけた。
音を立てて開かれる引き戸とともに暖房で温められた生温い空気と教室特有の埃っぽさが鼻をかすめる。
なつきが、教室に足を踏み入れると、さっきのざわつきが嘘かのように静まりかえり、鼓動が早まる。
教壇に上がれば、クラスメイトの視線が一気に集まる――ただ、1人の視線を除いては。
窓際の一番後ろの席に、ただ、1人だけ俯いて机の木目を見る、朝に出会った小柄な少女がちょこんと座っていた。
「加賀谷、どうした? 自己紹介しろ?」
「え、あ、すみません」
花谷先生の声で、無意識的にあの少女を見つめてしまっているのに気づき慌てる。
だが、すぐに聞こえてきた、坊主頭の少年のヤジが、苛立ちとなり、冷静へと変換される。
「加賀谷なつきです。 よろしくお願いします」
同じ学問を学ぶだけの仲間に対する自己紹介には十分の内容だ。
しかし、教室からは、疑問のざわめきが起こりだした。
「え? あれだけ?」
「全然、自己を紹介できてねぇじゃん」
「愛想悪くない?」
なつきの中では、苛立ち、嫌悪を通り越して、呆れだ。
<加賀谷なつき>という名前を知れれば、十分ではないのか。
なつきにとって、他者の名前などコミュニケーションをするための道具でしかない。
全員を<田中>と呼んでいたら不便である。だから、なつきは、他者の名前を覚える。
それ以上でも、それ以下でもないのだ。
ただ、こんなくだらないことで、文句を言われるのは癪に触る。
「2年からで短いですが、精いっぱい頑張ります」
妙な空気感は拭いきれないまま、小さな拍手が、なつきをクラスという社会に歓迎した。
「とても、いい自己紹介だな! じゃ、加賀谷の席は、宮内のとなりだ」
どこを、どう評価したら、よい自己紹介になるのか問い詰めたい気持ちをぐっと堪え、花谷先生が指さす場所を目で追っていく。すると、確実に、あの少女の隣の席を指していた。
なつきは、花谷先生のうざったい笑顔を背中で受け止めながら、足を進める。
教壇から、空席の場所まで、直線距離で数十メートルなのだろうが、なつきには、何百メートルも先の場所のように感じた。
なつきが抱く感情は、朝に感じた胸を締め付けるようなものではない――本能的恐怖だ。
ざわつく教室の中で、ただ1人、俯いて木目を見つめる少女に対するもの。
それに、空席なのに以上に感じる存在感も原因の一つだ。
(やべぇ……なんて、声かけよう)
心臓が、耳の横にあるのではないかと思うくらい、鼓動が大きく早くなる。
椅子に手をかけ、ギィィという不快な音を響きかせながら着席する。
なつきは、頭の中でアンパンのヒーローの主題歌を流しながら、普段、振り絞ることのない勇気を振り、木目観察少女へと声をかけた。
「あ、あの……よろしくね?」
少女からの返事はない。
(あ、木目観察に熱中してるのね……マジかよ)
なつきは、最後の勇気を振り絞り、再び、声をかけた。
「いきなり声かけてごめんね……あれ?」
少女から一向に返事は返ってこない。そのかわり、小さな寝息が返ってきたのだ。
(ね、寝ているだと!)
肩でバッサリと切られた髪が、俯くことで『貞子状態』となり、表情を確認することはできないが、この少女は、確実に寝ているのだ。
なつきが真実を知り驚愕すると同時、一時限目の終了を告げるチャイムが大きく鳴り響いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます