13.冬の日の金曜日(夕方)

「今の私、変じゃない?」

「大丈夫! すっごいかわいい!」

 夕方、雪とゆうきは雪の家でファッションショーを開催していた。2人とも、ふだん着ている制服とは雰囲気が一変していた。

「そういえば、ゆうきちゃん。 冬祭りの準備大丈夫だったの?」

「大丈夫、大丈夫!」

 ゆうきは、陽気に手をパタパタと振り「大丈夫」と言っているが、全く大丈夫ではなかった。なつきが、雪をクラスに迎えに行った後、そのまま一緒に帰宅してしまったのだ。

 ゆうきのスマホには、クラスメイトからのメールが大量に届く。

「次は、これ着てみよう!」

 そう言って手渡すのは、白のセーター。雪の小柄なかわいらしさを強調するべく、わざとサイズが大きいものを選んだのだ。

「これ、なんか大きくない? ごわごわする」

 少し大きすぎたかもしれないが、それが萌え袖を作りだし、優喜の顔はだんだんとにやけてくる。

(私は、なんてかわいい幼馴染を持っているんだ!)

「雪、大好きだ!」

「わぁぁぁ!」

 優喜は、あまりの雪のかわいさにベットに抱き着きながら押し倒す。はたからみたら完璧な犯罪者だ。

「もう、離してよ! 苦しいよ!」

「ぐへへ。 よいではないか」

 馬乗りになられている雪は、涙目で、抵抗したときに服は、はだけて白いお腹が丸出しだ。

「ゆーきちゃん、お夕飯、食べていくでしょ? あ……」

 2人で騒いでいたせいで、2階に上がってくる足音に気が付かなかったのだ。服がはだけた小柄な盲目少女に馬乗りになり「ぐへへへ」と笑うボーイッシュ少女……雪の母の存在に依然として気が付かない。


「ほ~ら、お腹をこうしてぽーん……あ」

 すべすべな雪のお腹をいやらしい手つきで撫でていたが、部屋の入り口にいる人物を見て、硬直する。雪の母の存在にやっと気づいたのだ。

「やめてよ……うぅ」

 雪の半泣きの声が部屋でいつもより大きく聞こえた。


「ゆうきちゃん……うちでお夕飯食べてく?」

「いや、あの、これは、その……」

 いきなりの出来事に思わず挙動不審になる。それが、逆に雪の母を刺激していしまった。

 雪の母は、優喜に近づいて肩に手を置くとゆっくりと話す。

「大丈夫……同性愛なんて気にしない。 うちの子をやさしくしてやってね」

 それだけ伝えると、部屋を出ていき、ゆっくりとドアを閉めた。


「ちが……ちがうんだよ」


   ***


「加賀谷くん、まだ帰らないのかい?」

「んー……」

 机に突っ伏して寝ているなつきに、夕日先生が声をかける。外はすでに暗くなり、聞こえていた生徒たちの声も聞こえなくなっていた。

 下校を促すチャイムも鳴り終わりそうになっている。

「電車……行ってしまいますよ?」

「まだ、大丈夫だよ」

「そうですか」

 しばらくの間、夕日先生の心配そうな視線を感じていたが、なつきは突っ伏したまま起き上がろうとはしなかった。

 すると、夕日先生は何も言わずに隣で明日の書類に目を通す。

 なつきは、それがうれしかった。

 自分のおかしな行動を、問いたださず、受け入れてくれることが、嬉しくて、安心した。

「今から大きな声で、独り言話すね。 誰も聞いてないからいいよね」

「そうですね。 誰も聞いていませんね」

 夕日先生は、書類に目を通しながら優しい笑みを浮かべる。


「今日は、父親と母親が家に帰ってくるんだって。 これで家に帰ればどうせ喧嘩か、俺の不満しかいわない……そんな、家に帰りたくないよ」

 なつきの声が、だんだんと震えていくのがわかった。

「普通の……普通の家に帰りたい」

 なつきの中の幼い時からためてきた辛さが、はじけたように、頬を涙が伝う。

 大好きだった両親は、いつだか、自分よりも、己を優先するようになっていった。

 繋がれていた手は、すんなりと離されて、谷底に突き落とされるように深く、深く、離れていく。

 今となっては、自分を否定する両親を、なつき自身も否定しているというのに、両親は、声を荒げるばかり。

 部屋にこもり、大好きな音楽ですべてを遮断していれば解決していたものも、解決できなくなっていた――

 夕日先生の兄のような優しさ、ゆうきのぶっきらぼうだけど友達想いの優しさ――そして、雪の純粋な優しさ。

 それに触れるたびに、なつきの押し殺してきた不安がはじけたのだろう。

 夕日先生は、なつきのそばにより、そっと頭に手を置く。

 男の人の手で撫でられたのはいつ振りだろう――なつきが思い出すことはできなかった。

「私は、何も聞いていません。 ただ、生徒が泣いていたならば、そばに寄り添うくらい、いいですよね?」

 そっと、つぶやかれた言葉は温かく、なつきのぽっかりと空いた塞ぎようのない穴を少し埋められたかもしれない――


   ***


 切れかかってチカチカと点滅する街灯の光を頼りに、重い足を進める。

 家の近くまで、夕日先生に送ってもらったが、やはり家に入る気にはなれず、わざと遠回りをして帰る。

 今が、何時なのか、あとどれくらいで家に着くかなんて全くわからなかった。


 ふと、顔を上げると高級感のあるマンションが見えてきた。

 もう、帰ってきているんだろうな、そう想いながらエレベーターに乗る。壁に寄りかかりながら、階をカウントする電子パネルを見つめていた。

(はぁ……めんどくさい)

 無機質なデザインの扉の前で、一度大きくため息をつく。家の中で、ため息をついた日には怒りの嵐……2人の機嫌を損ねないようにゆっくり扉を開いた。

「ただいま……」

 いつものことだが、返事はない。だけども、リビングには電気がついており、時折、人影らしきものが動くのもわかる。

 校長室の引き戸は、どうして、あんなにも魔王城の扉を開く時のような緊張感があるのだろう――親がいる家は、いつだって魔王城だった。


「ただいま……」

 ドアの隙間から顔をだし、小さく言う。

 リビングンは、キッチンで料理をする母とソファーでテレビをみる全く知らない男の人。

「あれ、なつきくん? 大きくなったね!」

 なつきの声に反応した男が立ち上がり、近づいてくる。それに、続いて、見たこともないような笑顔の母も近づいてくる。

「なつき、覚えてる? お母さんの上司さん。 今日は、うちにいらっしゃってくれたのよ」

 なつきは、無言で頭を小さく下げる。

「ははは。 なつきくんも高校生か~ あの時、小さかったからな!」

 お前の思い出話なんて聞きたくないんだよ――なつきは、小さく舌打ちをして男を押しのける。

 込み上げる怒りを、飲み物で冷やそうと冷蔵庫の中を開けると、無駄に高そうな食材とワイン。なつきは、それを見ただけで苛立ちが堪えきれなくなった。

  一度、外したマフラーを手に取り乱暴にリビングを出ようとする。

「どこいくの!」

 後ろから聞こえる母の声、あきらかに機嫌が悪そうだった。

「別に、どこでもいいじゃん」

「どこでもって……親に向かってその口のきき方はないんじゃないの?」

「何が? 俺が、どこに行こうと勝手だろ? 大丈夫ですよ。 問題は起こしませんから」

 勢いよく閉められた扉の後ろからは、ため息交じりの母の声と男の笑い声が聞こえてくる。

(クソッ! クソッ!)

 行く当てなんてないのに、財布とスマホをポケットに入れ真っ暗な外へと出る。車のライトで照らされたなつきの顔は小さな雫が反射していた。

 小さな光を気に留める者なのど誰もいなく、無情にも地面にぽたりと垂れた。

 袖で乱暴に目元を拭い、なつきは思い切り地面を蹴る。

 田舎の田んぼ道――人なんて1人もいなく、タヌキかイタチの目だけが光る。

「クソがああ! ふざけんじゃねええぞ!」

 うざったく綺麗に輝く星に向かって大声で叫ばれた言葉は、誰もいない広い空間にこだまする。

 いまだに消えきれない苛立ちに不快感を感じつつ、また、叫びだそうとしたとき、スマホから着信音が鳴った。

「もしもし」

「あ、こんばんは~ なつきくん元気?」

 電話の相手は雪だった。自分の感情とは真逆の雪のマイペースな話し方に少し笑いそうになる。

「元気だけど……どうしたの?」

「あのね、あのね。 明日、着て行く洋服なんだけど、白と赤どっちが好き?」

「……白」

「じゃ、明日は白のお洋服着ていくね! ほんと、楽しみだね~」

「そうだな……」

 なつきは、目元に溜まる涙を必死に堪えようとする。

「あれ? なつきくん、大丈夫? 泣いてない?」

「え、何が! 全然、大丈夫だよ!」

「ほんとに? ねぇねぇ、ゆーきちゃん! なつきくんが泣いちゃった!」

 雪が電話の向こうにいる、ゆうきに声をかけると微かに「マジで!」という声が聞こえると、すぐにゆうきが電話に代わる。

「なになに? どうちたのかな~? 泣いちゃったのかな?」

「な、泣いてないし! 何言ってんの! 馬鹿じゃん!」

「大丈夫だよ。 男の子が泣くのは全然かっこわるくないよ……ダサいけどね!」

 酔っぱらったおっさんのような大きな笑い声。

「うるさい! もう、切るからな!」

「あ、待って待って! 雪が代わりたいって」

 そういわれると、雪の声に代わる。

「あのね……なつきくん……」

 言葉を探すように、とぎれとぎれで話す雪。

「どうした?」

「その……私、いろいろ迷惑かけちゃうかもしれないけど……明日は、いっぱい思い出作ろうね! それじゃ、おやすみ!」

 雪も恥ずかしかったのだろう。最後の方は早口になっていて、電話もすぐに切られてしまった。

 通話が終了したあと、なつきは無駄に怒っていた自分が恥ずかしくなり、中指を立てるポーズを空に向け、笑って小さくつぶやいた。

「ぶざけんな」

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