11.放課後

 窓から見える空は、夕闇が迫ってきていた。窮屈な教室から解放された放課後は、電車が来るまでの時間を旧校舎の一室で潰すのが日課になってきてしまっていた。

 机の上で頬杖をついていると、後ろから声をかけられる。

「加賀谷くん、お茶が入りましたよ」

「ありがとう、夕日ゆうひ先生」

 背丈が高く細身の体に、黒いジャケットを脱ぎ、Yシャツの上から青のエプロンをつけている<徳屋 夕日とくやゆうひ>。と言っても、青のエプロンをつけているのは旧校舎にいるときだけで、普段は白の白衣を身にまとっている。

 夕日先生は、急須から茶飲み茶碗にお茶を注ぐと、なつきの前に腰を下ろした。

「加賀谷くんは、もう学校になれましたか?」

「これだけ登校すれば、嫌でも慣れたよ」

「なら、よかったです」

 なつきが転校してきてから、だいぶ、時間が経とうとしていた。あれだけ嫌悪していた学校に通えているのも、この旧校舎に出会ったからかもしれない。

 最初は、一生の恥になりうる出会いだったが、それも、時間と共に笑い話になっている。

 なつきが、変質者と勘違いした奴が、目の前でニコニコとしている夕日先生。

 なつきは、夕日先生とお茶を飲みつつ他愛のない会話をしながら電車を待つ――そんな時間を、なつきは好きなっていた。


「あ、ようかんありますよ。 食べますか?」

「うーん……食べようかな」

「わかりました」

 そういうと、席を立ち、戸棚へと向かっていく。そんな、夕日先生の後ろ姿を目で追いながら、なつきは、なんとなく、家のことを考えたが、すぐに、それを遮断した――いわゆる、現実逃避。

「どうぞ。 知人からお土産でもらったんですが、さすがに一枚ものは食べきれませんので」

 和を感じるお皿に綺麗に並べられたようかんを口に運ぶ。程よくきいた塩分とようかんの甘さが、疲れたなつきの体に染み渡る。

「そういえば、今日は雪はいないの?」

 いつもなら、なつきが旧校舎に来るころには、夕日先生に出してもらったお菓子を口いっぱいに食べているのに、今日はその姿を見ていない。

 雪は、LHRとかのクラス活動の授業以外は、この旧校舎で夕日先生と過ごす。一般のクラスでの授業を雪が受けるのは、いろいろと厳しい部分があり、転学を強いられていた時に、夕日先生が助け船を出してくれたのだ。

「そういえば、宮内さんは伊波さんのミーティングが終わったら一緒に来るって言ってましたね」

 そろそろ来るんじゃないんですか、とドアに目を移した時、新品の引き戸の後ろからは2人の笑い声が聞こえてきた。

 いつも通り、優喜に手を引かれながら楽しそうな笑顔で話す雪の登場だ。

「最近、加賀谷もここで暇つぶしてるんだってね」

「まぁ、ここが一番静かで落ち着くしね」

 今までだったら、この瞬間で、ありとあらゆる罵声をあびせてきていた優喜も、随分と落ち着いている。その理由は、優喜が、なつきを信用しているなど、本人が知る由もない。

 最近では、雪がいなくても2人で話すときだってあるくらいだ。

「宮内さん、おかえりなさい。 伊波さんもお疲れ様です」

 おぼんの上にお茶とようかんを2人分持ち、優しい笑顔で声をかける。夕日先生は『教師と生徒』という関係よりは『親戚のお兄さん』と思えるくらいの存在になっていた。

「雪、今日はようかんだよ~」

「え、ようかん!? 私、大好きだよ!」

 早く座ろうといわんばかりに、優喜の手を引き席に着く。すると、手渡された竹のようじでようかんを刺し、口に運ぶ。

「おいひ~(おいし~)」

 満面の笑み。夕日先生はこの笑顔のためにお菓子を持ってきているのかな、と思ってしまうくらいの笑顔だった。

 もちろん、なつきは、そんな笑顔が大好きだ。


  ***

 

 カチャカチャ、と夕日先生が食器を洗う音が聞こえてくる。食器を洗う音を聞いていると、なぜか眠くなってしまう。

 なつきは、優喜の真っ白なノートが黒で染まっていくところを眠そうな目で見つめていた。

「なーつーきーくーん! ひーまーだーよー」

 となりで、なつきの体をゆする雪は、暇なあまりだだをこね始めていた。優喜は、大量に出された課題を終わらすのに必死で、雪をかまうことはできない。

 夕日先生も洗い物をしているから雪をかまうことはできない……

 なつきは、一度大きく伸びをすると雪の方へ体を向ける。

「んー……なにする?」

 雪は、顎に手を当て、少しの間考える。

「あ、しりとりしよう!」

「しりとりかよ! まぁ、いいけど」

 雪の提案で出された、暇を極めたものだけがたどり着く遊び、通称『しりとり』が始まった。


「しりとり!」

 雪の元気のある声がスタートの合図。

「りす」


「すいか!」


「かま」


「まいく!」


「くま」


「マジック!」


「くるま」


「ま……ま……ま~?」


 しりとりでの必勝法は<同じ文字で攻める>。

 暇つぶしなのに大人げなかったかな、と思いながら、ニヤニヤと雪を見つめる。

「終わりか? 降参するか?」

「まだ! ここまで、出かかってる!」

 必死に思い出そうと、険しい顔で考える姿に、なつきは思わず笑ってしまう。雪は、至って真剣に考えているからより面白い。


「加賀谷くん、この地域でやってる<冬祭り>って知ってます?」

 洗い物を終えた夕日先生が、エプロンで手を拭きながら話しかける。

「あ、祭り!」

 絶対に勝ったと油断していた時、雪が言葉を見つけてしまい動揺する。

「え、あ、り……り……リボン! あ……」

「やった! 勝った!」

 雪は、無邪気な子供のように笑顔で喜び、なつきは、それをみて、頬を赤く染めた。

「どうしました? 顔、真っ赤ですよ?」

「なんでもない! で、冬祭りがなに!」

 少し前のめりに夕日先生に話を振る。先生は、なにを理解したのか、少し笑うと、あるポスターを見せた。

 そこには、綺麗な花火の写真と大きく『冬祭り』の文字が書かれていた。

「これは、この地域で一番大きな祭りですよ。 冬に花火を上げる祭りは、めずらしいのでテレビとかでもこの時期になると紹介されてますね」

「へー」

 テレビなんてあまり見ないなつきは、『冬祭り』なんて知らなかった。そもそも、祭りや人の集まるイベントはなつきが、最も苦手とするものでもあったからだ。

「これ、結構楽しいですよ。 他県からも、たくさん人が来ますしね」

「いいなー……私も、行きたいなー」

「宮内さんは、今年もお留守番ですか?」

「うん……あ、先生行こうよ!」

「残念ながら、この高校の先生は運営側としていかなくてはいけないんですよ」

「あー……そっか」

 さっきのしりとりの勝利で喜んでいた姿とは、真逆の落ち込み方に、夕日先生も少し心配になる。

「伊波さんを誘ってみては?」

「ううん。 ゆーきちゃんと行くと迷惑かけちゃうし」

 夕日先生の優しい言葉も逆効果だったようで、雪の周りからは青いオーラがでているようで、教室の湿度も上がったように感じる。

 なつきに送られる、夕日先生からの助けての視線。少し呆れたように、なつきは口を開いた。

「あー……じゃ、俺と行くか? なんつって」

 教室には、ゆうきのペンの音だけが聞こえる。今にも泣きそうな目で、こっちを見ていた雪の表情が、アニメのようにみるみるうちに変わっていった。

「ほ、ほんとに!? で、でも、私……その、あの!」

 うれしさのあまり、言いたいことが言えない。

「落ち着け、落ち着け」

 雪は、数回深呼吸をすると、再びキラキラと輝いた目をこちらに向け、うれしそうな声を張り上げる。

「冬祭り、私と行ってくれるの?」

「まぁ、俺は暇だしね」

「で、でも……私、目が見えないから、なつきくんに迷惑かけちゃうよ?」

 身長差のせいか、雪の表情が上目づかいに変わる。

「俺も、そこまで人気がある祭りなら行ってみたいし……その、1人で行くのもな」

 雪は、その場で飛び跳ねると、課題に集中しているゆうきに、「なつきくんが、冬祭り一緒に行ってくれるって!」と言うが、ゆうきは適当に返事をうつ。

「それじゃ――」

 雪は、小指を立てて目の前に出す。

「指切りげんまん! 絶対、私と行こうね!」

「わかったよ」

 繋がれた小指が離れると同時に、外からは下校を促すアナウンスが微かに聞こえてきた。

 茜色の空は、黒と白の星空に姿を変え、そこから覗く月の光が、少し変わった旧校舎を照らしていた。




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