19 聖女の事情

 どういう偶然からか、水の聖女アクアメイデンシャッハトルテによって案内して貰う事になった俺は、彼女と連れ立ってフェルグレンツェの街を歩いていた。


「どちらからご案内しましょうか?」


「……そうだな。まだこの街に着いたばかりで宿も取っていない有様なんだ。どこかオススメの場所があれば教えてくれないか?」


 この一週間利用していた安宿は知っているが、正直あそこは居心地が悪かった。

 丁度、今日で予約が途切れるし、折角なので更新せずもっと良い宿に泊まりたいと思ったのだ。

 幸いアリスティアからある程度纏まった額のお金を預かっているので、懐には十分な余裕がある。


「……なるほど。でしたらあそこが宜しいかと」


 そう言ってシャッハトルテが先導するのを、俺は後ろから付いていく。

 だがその間、ただ黙っているなんて勿体無い真似はしない。

 ここは距離を縮めるべく、積極的に動く場面だ。


「なぁ、シャッハトルテはこの街に住んで長いのか?」


 まずは無難な話題からだ。


「……えぇ、レイン様。わたしくは5年程前からこの街で暮らしております」


 シャッハトルテの見た目は普通のシスターだが、それでも勇者パーティに加わる程の人物だ。

 何より彼女から感じる魔力は、これまで俺が見て来た人間の中で勇者の次に高い。

 見た目の印象だけで迂闊な判断を下せば、きっと痛い目を見るだろう。


「そうか。ここは魔王軍との最前線近くだと聞くが、危なくはないのか?」


 だが俺はそんな事情を敢えて知らぬふりして、素知らぬ顔でそう聞く。


「……そうですね。街にまで被害が出ることは少ないですが、街道を進んだ先の最前線では多くの方が亡くなっています……」


 そう語るシャッハトルテは、見るからに沈んだ表情をしていた。

 その落差に俺はちょっとだけ焦りを覚え、思わずフォローに走る。


「す、済まないっ! どうも無神経な事を聞いてしまったようだ」


「いえ、お気になさらないで下さい。わたくしは大丈夫ですから……」


 そうやって笑みを浮かべるが、明らかに無理をしている。


「なぁ、良ければ俺に話してみないか? 所詮俺は旅人。大した力には成れないだろうが、それでも愚痴を吐き出すことで少しは心が楽になると思うぞ」


 俺は気が付けば、そんなことを口に出していた。

 勿論シャッハトルテの情報を得たいという打算もあったのだが、それ以上に無理に強がる彼女の姿が痛ましくて見ていられなかったのだ。


 だがそんな俺の考え無しの一言に対し、シャッハトルテは過剰とも言える反応を示す。


「っ!? え、あ、わたくし、どうして泣いているんでしょう……」


 立ち止まり涙をポロポロと零すシャッハトルテ。


「ど、どうした? 何か俺、マズイことを言ってしまったか?」


 そんな彼女に対し、どうしていいか分からずにオロオロとしてしまう俺。


「い、いえ、違うんです。そうじゃないんです……。ただわたしくそんな優しい言葉を掛けられたのが初めてで……」


 その言葉を口切りに、己の心情を吐露するように語り始めるシャッハトルテ。


「実はわたくし、戦場から逃げ出してきたんです……」


「戦場というと、すぐ傍の魔王軍との最前線か?」


「はい。わたくしはそこで長年従軍神官として、魔王軍と戦う兵士の皆さまに付き添っていました。ですが、癒せども癒せども、怪我を負う方は増える一方です。当然、わたくしの力及ばず命を救えない方も大勢いらっしゃいました」


 当たり前だ。いくら治癒魔法が凄くとも、決してそれは万能の力ではない。

 死者は勿論のこと、死に瀕した者なども状況によっては救う事は難しい。


「それでも治療を続けたわたくしをきっと評価して下さったのでしょう。いつしかわたくしは水の聖女アクアメイデンと呼ばれるようになったのです」


 成程、二つ名を与えることで、戦場での分かりやすい象徴として祭り上げたんだな。

 まだその時点では、人間達の旗頭たる勇者は存在しない。

 国もバラバラの人間達を纏める為には、そう言った方策も必要なのは理解出来る。

 だが……。


「聖女などと過分な名で呼ばれる一方で、その手から零れ落ちる命を見つめ続けたわたくしは、遂にその重荷に耐えられなくなりました。……そうしてわたくしは戦場から逃げ出したのです」


 そう語るシャッハトルテの悲壮な表情は、理解出来るなどと軽く口に出来るようなモノでは無かった。


「この街へと戻り、一人のシスターとして人々に寄り添おうと決意をしたわたくしでしたが、上手くは行きませんでした」


 それはそうだろう……。一度祭り上げた者が、神輿から降りるのをそう簡単に許しはしないだろう。


「わたくしの顔を見た方は皆、いつ戦場に戻って来るのか。ただそればかりを聞くだけです。……この街の人々が求めているのは、水の聖女アクアメイデンであるシャッハトルテであり、ただのシスターなど必要とはされていませんでした」


 シャッハトルテは戦場における活躍ばかりを評価され、一人の人間、シスターとしては誰からも見て貰えなかったのだ。

 それが俺の何気ない言葉に対する、過剰とも言える反応の理由なのだろう。


「……辛かったな」


「……はい」


 俺はただそれだけ言って、後は黙って彼女を抱きしめる。

 彼女も抵抗することはなく、それを受け入れ俺の胸へと縋りつく。


 俺の服は彼女の涙で濡れてしまったが、そんな野暮な突っ込みなどするつもりなかった。



 そうしてどのくらいの時間が経ったのだろうか。


「……申し訳ありません。わたくし、初対面の方になんてことを……」


「いいんだ。俺から言い出したことだ。気にしないでくれ」


「ですが……」


 そんな微笑ましい言い合いをしていた俺達を、邪魔する声が響いて来た。


「敵襲だーっ!! 魔王軍の奴らがここに攻めて来たぞーっ!!」


 やれやれ、魔王軍ってのはホントに空気を読まない奴らだ。

 ……トップの顔を見てみたいものだな。

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