第2章 シュティルハイム編
11 魔王、道に迷う
魔王城を出発した俺は、西にある人間領へと向かった。
どうして人間領に行くのかと問われれば、その答えはいくつか存在する。
一つは、俺自身の見た目によるものだ。
一応、俺は魔王であり、分類上は魔族となるのだが、見た目には魔族らしい特徴が何一つない。
その身の内に秘めた膨大な魔力を除けば、そこらのヒューマンと何ら変わりがないのだ。
ならば魔族領で暮らし、変にヒューマンと間違われて目立つよりも、いっそヒューマンを装って人間領で暮らした方が、楽じゃないかという理由だ。
ネックとなるのは俺の膨大な魔力だが、その問題はアリスティアに借りた、魔力を抑える魔法具によって解決した。
二つ目に、人間の情報が欲しかったからという理由が来る。
魔王城にいれば、魔族に関してはそれなりに情報が入って来るのだが、敵対種族である人間側の情報は少ない。
だが俺の倒すべき相手である勇者もまた人間なのだ。
敵の情報はいくらあっても困ることはない。
最後に、これが一番の理由なのだが、単に少しでもアリスティアと距離を置きたかったからだ。
今の俺はアリスティアに対し、複雑な想いを抱いている。
俺をこんな境遇へと追いやったことについては、正直恨まないでもないのだがその一方で彼女が一途に向けてくる愛情に、俺が救われていたのもまた事実だ。
嫌いにはなれず、だが一方で許すにはまだ時間が足りない。
そんな訳で俺は、彼女から遠い地で心の整理をしたいと思ったのだ。
◆
「ふむ、地図によると、ここから先が人間領だな……」
アリスティアに貰った地図と実際の地形を睨めっこしながら、俺は道なき道を進んでいく。
わざわざ街道を避けたのは、魔王である俺の顔を知る者がいる可能性を危惧してのことだ。
「取り越し苦労だったか……」
だが、その選択に俺は後悔し始めていた。
良く考えれば、ループしたばかりの俺の顔を知っている者など、ほとんどいないだろう。
俺自身はループを繰り返しているせいで、一方的に知っている顔が多い。
その所為で要らぬ心配をしてしまったようだ。
その結果として、今俺はピンチに陥っていた。
「ていうか、ここは……どこだ……?」
気が付けば、俺は暗い森の真っただ中にいた。
四方八方どこを見ても、木、木、木。
これでは、地図など使い物にならない。
「参ったな……」
既に彷徨い始めて、数日が経過している。
たとえ魔王と言えども食事は必要だ。
だが余裕を見て、余分に持ってきたはずの食糧や水は、既に底を尽きかけている。
「マズイ、これは非常にマズイぞ……」
このままでは餓死してしまう。
色々な死に方を経験してきたが、餓死はまだ未経験だ。
結局は振り出しに戻るだけの話なのだが、そこに辿り着くまでに結構な苦しみを味わう事になるだろう。
それはなるべく避けたい所だ。
必死になって俺は、森の中を駆けずり回り出口を探すが一向に見つからない。
そうこうしている内に、遂に食料が尽きた。
「くぅぅ、腹が減り過ぎて、力が入らない……」
もはや、歩く力すら失い俺はその場に倒れ込むと、そのまま意識を失ってしまった。
◆
薄暗い闇の中に、俺の意識は沈んでいた。
そうか、俺は死んだのか……。
思えば餓死なんて笑えもしない死に方だ。
もう少し慎重に動いていれば避けれてたはずなのに、俺は何をやっているんだ……。
そんな事を考えていると、声が意識の外から響いてくる。
「――大丈夫!? しっかりして!」
この声は、アリスティア……じゃないな。
誰だ?
「良かった。やっと目を覚ましてくれた。もう、死んじゃってるのかと思ったじゃないっ」
目の前にいた少女は、瞳から涙が零れ落ちるのを拭いながらも、花が咲いたような笑みを見せてくれた。
素朴な顔立ちながらも、どこか不思議な魅力を感じさせる笑顔だ。
俺は思わず自身の状況も忘れ、それに見惚れてしまっていた。
「どうしたの? 幽霊でも見たみたいにボーっとした顔をして……」
碧色の瞳が、こちらを心配そうに覗き込む。
「あ、ああ。いや、済まない。つい君の笑顔に見惚れてしまっていた」
「へ? や、もう、ちょっと、いきなり何を言ってるんだよっ……」
目の前の少女が一瞬呆けた表情をした後、沸騰したように顔を真っ赤にする。
それに合わせて肩下で纏められた色素の薄い金髪が、大きく揺れる。
というか俺は何を言っているっ!
トンデモナイ事を口走った事実に気付き、俺もまた顔を赤くして硬直する。
押し黙った二人の視線が交錯する。
「ぷっ、あはははっ。もうっ。……突然ビックリさせないでよ。でも、元気になったみたいで良かったよ」
彼女がそう笑ったことで、止まっていた時間が動き出す。
「す、すまない。これは君が……?」
森での強行軍によって全身のあちこちについていた傷が、治療されているのに気が付く。
「森で倒れていたキミを見つけた時には、ビックリしたよ。最初死体かと思ったからね。でも確認したら息があったから村の皆に助けてもらって、ここまで運んだんだ」
どうやら俺はまだ死んでいなかったらしい。
となるとここはループする前だから、人間領か。
ようやく頭が働き出したのか、今更のようにそんな事実に気付く。
「助かったよ。君の助けがなければ、多分俺は死んでいた……」
そしてまた、魔王城の玉座の間へと舞い戻っていたはずだ。
啖呵を切って飛び出してきたのに「餓死しました、てへぺろ」なんて言ったら、アリスティアに何を言われるか分かったものじゃない。
色々な意味で助かった。
「ふふっ。どういたしましてっ。ボクの名前はローズマリア。キミは?」
「俺か? 俺の名は……レインだ」
今代の魔王の名でもある"ナイトレイン"の名を名乗るのは流石に躊躇われ、咄嗟にそう答える。
「レイン……、ね。いい名前だね」
「ありがとう、ローズマリア」
「長いし、マリアでいいよ。それよりお腹すいたでしょ? 何か食べる? ……と言っても、大したものは出せないんだけどね」
「ああ、済まないがそうしてくれると助かる。さっきから腹ペコで死にそうだったんだ」
実際飢えて倒れたわけだし、何も間違ってはいない。
「そっか。じゃあ、何かお腹にたまるものを作ってくるね」
そう言って席を立ち、彼女は部屋から去っていく。
そこでようやく俺は周囲の状況をじっくり観察することが出来た。
ボロボロの木板で造られた継ぎ接ぎだらけの家だ。
補修もままならないのか、隙間風がそこら中から入ってきている。
記憶が正しければ、この辺りは大陸の南側だから、こんな家でもどうにかなるのだろうが、これが北方の寒地だったら暮らしてはいけまい。
「こんなものしかないけど、我慢してね」
出てきたのは、麦粥に野菜くずを混ぜ込んだような料理だった。
魔王城で食べていた食事とは、ハッキリ言って比べものにならない粗末なモノだった。
だが、そんなことはおくびにも出さす、俺は笑顔でそれを受け取る。
「いただきます」
手を合わせ食前の挨拶を済ませると、一目散に皿と向かう。
極限に近い空腹状態だったことがスパイスとなり、俺は夢中でそれを食べ尽くす。
「ありがとう、マリア。凄く美味しかったよ」
「そっか。それは良かったよ」
本当は「おかわり!」と叫びたい所だったが、この家を見れば、そんな余裕がないことは嫌でも分かる。
きっとこの食事だって、少ない備蓄を無理くりひねり出して用意してくれたものだろう。
見ず知らずの俺に対して、そこまで優しくしてくれた。
それだけでも感謝の念は尽きない。
「落ち着いたみたいだし、話を聞かせてくれる? どうしてあんな所で倒れていたの?」
「実は――」
俺は予め用意していた設定をローズマリアに語る。
魔族領で奴隷として捕まっていた俺は、隙を見つけて逃げ出した。
無我夢中に逃げている内に森に迷いこんだと。
要約すれば、こんな感じだ。
魔王もある意味では(アリスティアの)奴隷みたいなもんだったし、全く間違っている話という訳では無い。多分。
「そう……。大変だったんだね……」
しんみりとした表情でローズマリアが俯く。
「そう言えば、家の人はどこかな? お世話になったし、せめて挨拶だけもしたんだが」
「この家に住んでるのは、ボク一人だよ……」
「えっ?」
ボロイ家だが、広さはそれなりだ。
置かれている家具などから考えても、とても一人で住んでいるようには見えない。
「お母さんは一昨年病気で……。その1年後にお父さんは魔王軍との戦いに徴兵されて、それからは……」
「済まない。無神経な事を言ったようだ」
「ううん、別に気にしないでっ。……それに、この村に住んでる人は、そんな人ばっかりだから……」
そのマリアの言葉通り、このシュティルハイムという村は滅亡の危機に瀕していた。
魔族領との国境近くという立地が災いしたのだろう。
徴兵によって村の若い男たちは連れて行かれ、今村に残っているのは老人と女性ばかりだ。
若い男性はこの村には今、村長の跡継ぎであるその息子、ただ一人しか残っていないそうだ。
「その村長の息子ってのがまた、嫌な奴なんだよね」
そんなことをいいながら、ローズマリアが俺の身体を寄せてくる。
貧乏暮らしでやせっぽちかと思いきや出る所はしっかり出ており、その女性的な魅力が俺の男性としての本能を刺激する。
そう言えば最初のループ以来、長いことマトモに女性と触れ合った記憶がない。
……斬られたり、切り裂かれたりは、良くされているんだけどな。
「男が一人しかいないからって、村の女の子達をまるで自分の女みたいに扱うんだよ。酷いよね」
「呆れた男だな。どうやら女性の扱い方を知らないと見える」
「その点、レインは違うよねっ。ボクがこうやって寄って来ても、まるで動揺しないんだから。ねぇ、ボクってそんなに魅力ないかな?」
そう言ってシャツの胸元を僅かにずり下げるマリア。
待て待て、俺も顔に出てないだけで、普通に動揺してるからっ!
「そんなことは無いよ、マリア。君みたいな魅力的な人間は初めてみたよ」
努めて冷静に、俺はそう告げる。
その言葉に嘘の成分は欠片も存在しない。
ただまあ、人間の女性で俺が知っているのって、勇者ぐらいだからなぁ……。
勇者の容姿そのものは十分に美少女の範疇にあったが、例えそうでも俺を見ればすぐ殺そうとする女など、ノーセンキューである。
「……レインって実は結構、女の子を弄んだりするタイプ? なんだか凄い自然に褒めるよね」
「いや、それは誤解だ……」
俺はどちらかというと弄ばれる側だ。
思い返せば最初のループでも、メイドさんたちに掌の上でコロコロされていた記憶がある。
「ふーん。ホントかなぁ?」
そう言って、好奇心に満ちたキラキラとした瞳で俺を見つめてくる。
そんな彼女に俺はただ苦笑を返す他無かった。
その後、俺は助けてもらったお礼も兼ねて、足りない男手を補う存在として暫くこの村に滞在することになった。
半年後には再びループするという現実から目を背けて……。
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