惜別

 きっと後悔をするだろう。

 この先いつか、言い表しようのない寂しさに胸を焦がされたり、あるいは枕を濡らすこともあるだろう。

 それでもこれは、4年も前からもう決まってしまっていることで。

 特別な包装も何もない、赤いミルクチョコレートの銀紙を破って、それでも噛み付くのはしのばれて、手で割り砕いたひとかけらを口に運ぶ。

 舌に載せれば、体温で容易く溶け出す。滅茶苦茶な甘さと、フレーバー程度の苦みに涙が落ちた。


――これ、貰ってくれよ。餞別にしては頼りないけど


 彼女はいつもと変わらない口調で、それでも遠い月を見ながら目じりに涙をためていた。泣かせてしまったな、と少し困った。泣かれてしまっては、僕が泣くわけにもいかないじゃないか。だから笑って受け取った。

 子気味のいい音を立てて板を割っては、口に運ぶ。フレーバー程度の苦みが少し強くなったように感じた。ひとかけらずつ口に運ぶたび、彼女との繋がりが溶けて消えていくような感覚を覚えて、少し泣く。


 きっと後悔するだろう。

 故郷へ不義理を働いたとしても、今一番に考えるべきは彼女だったのではないか。なんてことは、全てが終わってしまったからこそ浮かぶ都合のいい考えだ。


――私は好きだったぞ、君のこと


 ああ。

 彼女との、最後のやり取りがリフレインする。洒落っ気の一つもないうどん屋で食事をとって、少しだけ酒を飲んで。その帰り、人気もまばらな往来で、君はそう切なく笑った。

 僕もだ、と、短く答えるのが精いっぱいだった。あの場で彼女を抱きとめて、その語尾を過去形にしないだけの行動をとることなんてできなかった。達者で暮らせよと、僕を慮る彼女に、君もな、なんて、情緒のかけらもない返事を返すしか僕にはできなかったのだ。

 踵を返し、足早に去っていくその背に、彼女に、手を伸ばす資格なんて、僕にはなかった。


 選別としてもらった板チョコは、すっかり溶けて消えた。残ったのは赤い包装紙と、銀紙だけだ。

 彼女と幾度の長い夜を語り明かした、今は殺風景な部屋を見渡す。

 もともと私物の多い部屋ではなかったが、すっかり荷造りされた段ボールばかりが並ぶ部屋の寒々しさは、堪える。

 明日の朝には業者が来て、僕と荷物を遠地へ運んでしまう。

 そういえば、ゴミ箱すらも片づけてしまったのだったか。

 包装紙と銀紙をくしゃりとポケットに押し込んで、段ボールにもたれて眠る。


 ああ、きっと後悔するだろう。溶けてしまったチョコレートのように、後味だけを残して。

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永多真澄のごった煮短編集 永多真澄 @NAT_OSDAN

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