第26話 物部兄

 先輩からの通達で、今日の部活はなかった。

 明日に備えて、ゆっくり休んでおくようにということらしい。

「それでは、星先輩」

「うん」

 簡単な挨拶を済ませて、矢吹と華が別れる。

 その姿はどことなく、心の通じ合った少年マンガのライバル同士のようにも見える。結局、仲がいいのか悪いのかよく分からない二人であった。

 俺は、華に案内されて物部家へと向かう。


 物部樹と会うためだ。


 家に着いたら、物部兄の死体が転がっているのではなかろうかという不安感がどうにも拭えない。

 物部家はどこにでもあるような三階建てのアパートの一室だった。

 鉄筋コンクリート製の分厚い壁に囲まれた部屋。家の中には無駄な物が一つもないくらいに、整然としている。

 リビングを抜け、廊下を通り、一番奥の部屋を華がノックする。

「どうぞ」

 中から、物部兄の声が響く。

 正直、声を覚えているわけではないので、父親の声かも知れないが。

 華に促されるまま、部屋へと入る。

 本棚と机があるだけのシンプルな中身だが、壁を本棚が覆っているので圧迫感がもの凄い。

 大きな地震がきたら、一瞬で本の生き埋めになりそうだ。そんな部屋の中心に、作務衣を着た物部兄が姿勢正しく座っている。

 コチラを眼鏡の奥から見つめている物部兄の顔を、俺もじっと観察する。

 顔色は良さそうだが、相変わらず全体的に肌が白い。なので、具合が良いのか悪いかのよく分からない。

 立っていろとも座れとも言われないので、とりあえず向かいに置かれた座布団の上に座る。

 用意されているということは座ってもいいってことだよな。

 しかし、座った後も物部兄は口を開こうとしない。

 このままお見合いをしていても時間の無駄だと、仕方がなく俺が先に口を開く。

「元気そうだな」

「君は世間話をしに、わざわざ家まで訪ねてきたのか?」

 場を和ませようと軽い話題からはじめたというのに、物部兄にじろりと睨まれる。

 折角気を遣ったというのに、まさか怒られてしまうとは。

 俺は溜め息をついて、頭を乱暴に掻く。

「明日の作戦を、物部と妹にも手伝って欲しい」

「何故、僕達が手伝わなくてはいけない。それをすることで、僕達に何の得があるというんだ?」

 そう言われるだろうなとは、思っていた。

 だから、彼らの得も考えてはある。面倒なので、あっさりと引き受けてくれることを望んでいたのだが。

 華がお茶を持って部屋に入ってくる。

 置いたら出ていくのかと思っていたが、扉を閉めその横に立つ。まるで俺を閉じこめるような立ち位置だ。

「兄さん、私も話を聞いても」

 物部兄が、華へと視線を向け頷く。

 どのみち、二人に了承してもらわなければならないのだから手間が省けたと言えなくないが、部屋の圧迫感がさらに強まったような気がする。

「俺達を二人が手伝ってくれるなら、読書部を辞めて貰っても構わない。もちろん、オロチだということをバラすこともしない」

 物部兄が、鼻で笑う。

「それが、俺達の得というわけか。どうする、華」

 物部兄の言葉に倣って、俺は背後に首を向ける。すると、華はいつも以上に難しそうな表情を浮かべていた。

「答えは変わりません。私は悪とは組まない」

「矢吹が悪モノだって決まったわけじゃないだろ」

「悪い事をしていないのなら、何故真実を告げようとしない。それはやましい事があるからではないのか?」

 そう言われると、返す言葉もない。

 俺は矢吹が何を隠しているのかを知らない。

 華を説得する要素が少なすぎるのだ。

「物部も、華と同じ意見なのか」

「当然だ。俺達は正義のために戦っている。それに取引に応じるなど、悪人のする事ではないか」

「じゃあ、矢吹が正義のためにヘルタースケルターと繋がっているなら、手伝ってくれるってことだな」

 俺の問いに、物部兄が眉をしかめた。

「俺達を信用させるだけの情報を持っているという事か」

「いや、残念ながらそんな強力なカードは持ってない」

 持っていたら、この場面で既に使っているしな。

 出し惜しみする意味がない。

「何が言いたいのか、解らないのだが」

「ただの確認だよ。念のためのな」

 俺の言葉に、物部兄が首を左右に振る。

「俺は、君を仲間に迎え入れたいと思っている」

「そりゃどうも。俺が入ったところで何がどうなるとも思わないけどな」

「能力のことは聞いている」

 能力ときたか。

 そんな大層なものでもないのだが。

「その能力を解析させて欲しい」

「そんなことして、どうするつもりだ。俺と同じにでもなるつもりか」

 だとしたら、やめておいた方がいいとアドバイスを送る。

 こんな何の役にも立たないモノで、人生をふいにする必要はない。

 だが、物部兄の答えは俺の予想とは違った。

 本棚の一つから紙の束を取り出すと、俺の前に広げる。

「オロチの強化に使わせて貰う」

 オロチの設計図なのだろうか。

 何か色々と書いてあるが、正直一つも理解できない。

 どういうことなのかと視線を上げる。

「戦闘員達に敗北したときから、強化案は考えていた。そんな折りに君の能力を知ってね」

「機械に転用できるようなモンじゃないと思うが」

「それは、解析してみれば解る話だ。もし、協力してくれるというのなら、君達を手伝ってもいい」

 手伝ってもいいときたか。

 逆に取引を持ちかけてくるとは、なかなかいい根性をしている。

「取引はしないんじゃなかったのか?」

 ニヤリとしながら訊ねると、物部兄はくすりともせずに真剣な表情で返す。

「取引には応じないと言っただけだ。それに、正義の前には小さな犠牲も止む得ない。俺の感情など、オロチの強化の前には小さな犠牲だ」

 さて、どうするべきだろうか。

 オロチ一人がいるだけで、作戦が確実に成功する。というわけではない。だが、いるのといないのとでは、可能性にかなりの開きがある。

 そのために、自分自身を犠牲にするかどうか。

 人体解剖されるわけでもなし、犠牲にはならないか。面倒ごとには巻き込まれるだろうが。

「坂上港、私からもお願する」

 協力するのか、しないのか。選択するのはどうにも苦手だ。

 自分が誤れば相手が傷付く。最悪、死ぬ可能性だってある。そんな重荷を背負うのは、もうごめんだ。だからといって、このまま黙っているわけにもいかない。

 物部兄が早く選べと、視線を向けてくる。

 まったくもって、面倒くさい。

 面倒くさいが、やらなければならないこともある。

 俺は息を吐き出すと、真正面に物部兄を捉える。

「俺は──」

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