第16話 狂言誘拐

 目の前では、二人の少女が頭を下げ合っていた。

 一人は矢吹で、もう一人は物部妹だ。

「本当に申し訳ありませんでした」

「全然大丈夫ですから、気にしないで下さい」

 そんな二人のやり取りを、俺はソファーで眺めている。

 何度同じやりとりをしたら気が済むのだろうか。

 もう、十回以上は繰り返している。

 と、ニコニコとしながらことの成り行きを見守っていた先輩が、両手を叩いて注目を集めた。

「何回も頭を下げてると首が疲れちゃうし、その辺でいいんじゃないかな?」

 矢吹と物部妹は互いに顔を見合わせて、小さく吹き出す。

「で、相談なんだけどさ。もしも、もしもだよ。物部君が悪いことしたなと思っているならさ、ちょっと携帯電話を貸して欲しいんだけど」

「いいですけど、何に使うんですか」

 何の疑いもなく携帯電話を渡そうとする物部妹の行動を止めようとする。

 だが、それよりも早く先輩が携帯電話を引っ手繰るようにして受け取った。

「物部妹よ、少しは人を疑うということを知った方がいいぞ」

「どういうことですか?」

 キョトンとする物部妹の向かい側で、矢吹も同じ表情をしている。

 お前はいい加減、先輩のヤバさに気付けよ。

「人聞きの悪いこと言わないで欲しいな。僕はね、お仕置きのためにほんのちょっとだけドッキリに仕掛けようってだけなんだからさ」

「本当に、ほんのちょっと、なんだろうな?」

「信用してくれないなんて、酷いなぁ。僕が今まで嘘をついたことがあるかい?」

「嘘をついてるところしか見たことねぇよ」

 俺の言葉のどこが面白かったのか、先輩がケラケラと笑う。

「いつもはそうかもしれないけど、今日は本当に本当だよ。でも、物部君が嫌だと言うなら、やめておくけど。どうする?」

 物部妹は、少しだけ迷ってから頷いた。

 了承を得られれば、そこからは先輩の本領発揮だ。

 物部妹の手をロープで縛り、猿ぐつわを噛ませる。それから、椅子に括りつけるという念の入れようだ。

 どこからどう見ても、人質の完成だった。

 当然のようにロープを取り出してきたが、何故読書部にロープがあったのかは聞かないでおこう。

「ロープ痛くないかな?」

 猿ぐつわのせいで喋ることの出来ない物部妹は、首を縦に振って答える。

 じゃあ、と先輩が物部妹の携帯電話の通話ボタンを押す。

 電話の相手は物部兄だ。

「あー、もしもし、物部樹君かな? 僕はね、安部六雲っていいます。昨日はどうも。なんかウチの部員がお世話になったようで。って、聞いてる? ちゃんと聞いてないと華ちゃんがどうなっても知らないよ。うん。そうそう、華ちゃんを預かってます。今は無事だけど、十分後にも無事かどうかは保証できないなぁ。そういうわけだから、急いで読書部までお越し下さい。あーそうそう、この件を誰かに言ったら華ちゃんと二度と会えなくなるからね。そのつもりで。じゃあ、待ってまーす」

 携帯電話を机の上に置くと、ロープが入っていたロッカーから拳銃を取り出し、安全装置を解除する。

「あ、安部先輩、なんでそんなモノを持ってるんですか!?」

 鈍く光る拳銃に目を白黒させる、矢吹。そんな矢吹を面白がって先輩が銃口を向ける。

 その瞬間、矢吹は短い悲鳴と共に、素早い動きで机の陰に隠れる。

「大丈夫だよ、矢吹君。これ、玩具だから」

 ケラケラと笑う先輩の様子に、矢吹はそっと陰から顔を出す。しかし、銃口を向けると再び陰へと隠れてしまう。

「面白いな、矢吹君は。なんか癖になりそうだよ」

「やめておけ」

 そろそろ五分が経とうとしている。

 物部兄はまだ現れない。

 もしかしたら、妹を見捨てるのではないだろうかという考えが浮かぶが、流石に妹を目の前にそれを言うほどデリカシーに欠けてはいない。

 そもそも、来なければ来ないで一向に構わないのだ。

「なんかこれって、悪役のすることですよね」

 机の陰から、矢吹がポツリと漏らす。

「いやいや、これは正義を履き違えた人間を正しき道に戻すための儀式。つまり、正義の行いだよ!」

「う、うーん」

 低く唸る矢吹に俺は言いたい。先輩のしていることは完全に悪の所行だと。

 だが、面倒なのでやめておく。

「それに、正義か悪かなんて個人の価値観でコロコロと変わるものじゃない。完全な正義とか完全な悪っていう定義があれば、争いもだいぶ少なくなると思うけどねぇ」

 先輩は俺の方へと顔を向けて、意味あり気に口元を緩ませた。

「矢吹君は、そこで見ているだけでいいから。僕のやり方ってヤツをね」

 ガラリと部室のドアが開かれ、物部兄が姿を現す。

 相当急いでいたのか、肩で荒く息をしている。その上、顔面は蒼白を通り越して土気色をしていた。

 こんな状態でドッキリなど仕掛けて大丈夫なのだろうか。

「貴様等、こんな事をして只で済むとは思っていないだろうな」

 思いきり俺を睨んでくる、物部兄。

 いや、俺は一つも関係ないんだけどね。止めなかったけど。

 学校のバックの代わりに持っていた、やたらと重そうなアタッシュケースを床に置き、物部妹へと近付こうとする。

「おいおい、誰が勝手に動いていいって言ったのかな?」

 先輩が不適な笑みを浮かべて、物部妹の頭部に銃口を押しつける。

「そんなの物は偽物だ」

「華ちゃんの頭が吹き飛んでも同じことが言えるかな」

 玩具の拳銃だと言いながらも、物部兄の足は止まる。

 それは、自分の言葉がハッタリだからなのか、先輩の表情があまりにも余裕に満ちているからなのか。

 どちらにせよ、妹のことは大切に思っているらしい。いいお兄さんではないか。

 そうなると、妹を巻き込んでいるこちらの良心が痛んでくるのだが、生憎先輩は良心などというものは持ち合わせていないらしい。

 悪魔的な笑みを浮かべながら、拳銃を手の中で遊ばせる。

「なにが望みなんだ」

「言ったよね、昨日ウチの部員が世話になったって。そのお礼がしたいだけなんだよ、僕は」

 物部兄の刺すような視線を受けても、先輩の笑みは崩れない。むしろ、益々強くなっていくように見える。

「港後輩がいたから良かったけどさ、一歩間違ったら死人が出てたかもしれないわけだよ。それをキミはどう思ってるのかな?」

「正義の前には、小さな犠牲は致し方ない事だ」

「なるほど、キミはそういう畑の人なんだね」

 先輩は待っていた答えでも聞いたように、目を爛々と輝かせる。

「良かったよ、僕と同じ考えで」

 銃口が頭に強く当たり、物部妹は僅かに顔をしかめる。

「というわけで、華ちゃんには何の恨みもないんだけどさ、犠牲になって貰うことにするよ。正義のためにね」

「ふざけるなッ。何故、それが正義になる!!」

「ふざけているのは、そっちだよ。キミのようなとんでもない人間が間違った正義で暴れてごらんよ、どれだけの被害が出ると思ってるのさ。それを考えたら、一人の犠牲で済むんだから安いものだよ」

 先輩が引き金に指をかける。

「正義の前には、小さな犠牲も仕方がないんだよ」

 指に力が掛かり始め、物部兄は頭を垂れ床に膝を付いた。

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